#32 - 恩寵

文字数 2,594文字

 受験の迫ったとある日、学校から帰るとアタシ宛に封書が届いていた。
差出人は出版社名と、愛読している音楽雑誌の編集部と書かれていた。

とても熱のこもったお手紙拝読いたしました。
ぜひ1度編集部にてお話を聞かせてくれませんか。

というような内容の手紙と編集長の名刺が入っていた。
以前、DOOMSMOON(ドゥームズムーン)の事件についてゴシップ的に書き立てたWEB(ウェブ)の記事を読んで怒りに任せて、彼らの音楽性について手紙を書いて送った件だ。わざわざ読者の手紙に反応してくれるのかと驚いた。
アタシは編集部に興味がり、誘いに乗ろうと思い編集長の名刺にある番号に電話した。そして編集部に行く日時が決まった。

 アタシは自分でも自分に驚いているが、たまに大胆な行動に出る。受験する大学へ当日迷わないようにする為の下見で東京に行くと言って家を出たが、今回も独りで編集部にまで来てしまった。
「いや、若いだろうとは思ったけど、こんな若い女の子だとは思わなかったわ」
アタシを見るなり編集長の西澤(にしざわ)が言った。
きっと整髪料をたっぷり塗って固めればモヒカンだろうと思われる髪型で、頭頂部の髪の毛を横にねかせて後ろへ流していてレザーのライダースを来た彼はとても人当たりが良かった。こちらも想像していたのとは違っていがいと若かった。
「あ、はい、高3です」
「今年卒業? 何すんの?」
「大学生……受かればですけど」
「あ、そうか今受験シーズンすねぇ」
アタシは勉強もそこそこにこんなことをしていた。
「キミの手紙、すごい良かったよ。整理されてて読みやすかったし、熱量もあっていい文章だったよ」
あの記事はWEBのアクセス数を稼ぐために書かざる負えず、本来はもっと音楽的な事を書きたかったという西澤はアタシの手紙を絶賛した。
「いつか、ちゃんとDOOMSMOON(ドゥームズムーン)のこと書いてくれますか?」
と、アタシが聞くと西澤は答えた。
「書きたいとは思うけど、やっぱり被害者がいることだからどうなるかね……それ次第かなぁ」
確かにアタシは被害者のことまで気にしてはいなかった。矛盾はあるが大人の世界とはそういうものなのだろうと理解した。
「音楽は好きなの?」
西澤に聞かれ、好きなバンドやミュージシャンを列挙した。雑然とした編集部でコーヒーを御馳走になって音楽の話が始まった。相手はプロだからアタシなんてかわいいものだろうが、こんなに思う存分音楽の話をしたのは初めてだった。アタシは久しぶりに楽しかった。
「キミさ、良かったら大学生になったらバイトしにおいでよ」
西澤の思わぬ提案にアタシの心は踊った。
「アタシ、何もできないかもです」
「記事書いたり取材とかはないから、掃除とか雑用だよ?」
出版不況で編集部が縮小されほとんど人はいない。数人の編集者兼ライターが残っただけで、フリーランスに転身したライターがいたり、雑用していたバイトは辞めていってしまったという。
「最低時給しか出せないからさ、音楽好きじゃなきゃやってられないんだよな、きっと」
「それなら、アタシ、ぴったりです。家事得意だし。音楽好きだし」
「関係者席でライブ観られるかもとか期待してるなら、それはそう簡単にはないからね。」
それは残念だが、アタシはその申し出をありがたく受けることにした。
「あ、でも大学受からないと、東京出てこれないので……」
「じゃぁ、受験頑張って」
アタシは受験生という現実を思い出し、西澤は笑いながら言った。

 DOOMSMOON(ドゥームズムーン)のメジャーデビューがなくなって以来、アタシは受験にやる気を失っていた。1年近く塾に通わせてもらった上、夜遅く塾まで迎えに来てくれる父に申し訳なくて受験を辞めるとは言えないし、受験を辞めたところで他にすることもなかったので、大学生にはなりたいがモチベーションは下がったままだった。
 しかしこれで東京の大学に合格し、東京で1人暮らしをし、編集部でバイトするという具体的な目標が見えて、今更ながら改めて受験を頑張る決意をした。
 この大きな変化を誰かに伝えたかったが、誰もいなかった。大事な人を2人失ったばかりだった。

 後日バイト先の友達の福西にその話をすると
「すごいじゃん、編集部とか!」
彼女は興奮して言ったが、受験して東京の大学に受からない事には計画通りにはいかない。気の早い福西はもうアタシは大学が決まって東京に引っ越してしまうような悲観的なことを言った。
「でもさ、東京の大学行っちゃうんだ、さみしいよ」
「福ちゃん、まだアタシ、受かってないし」
2人で笑った。
福西は地元の大学に行き、高校生の時から同じCDショップでバイトしている彼女とは週に何日か一緒に働き、帰りに寄り道して食事したり楽しい時間を過ごしてきたが、それができなくなってしまう。大人の福西は子供なアタシにいつも寄り添ってくれて優しかった。
「福ちゃん、アタシ福ちゃんに甘えすぎ?」
「どしたの、そんなことないよ」
「それならよかった、アタシ福ちゃんには嫌われたくないから」
「嫌いになったりしないよぉ」
福西は突然しんみりしたアタシを笑い飛ばした。アタシの頭の中には美雨(みう)と誠がいた。彼女にその件を打ち明けた。
福西は美雨(みう)については
「いつか謝れるといいね」
と言った。アタシもそう思う。今はまだ許してもらえない気がして勇気がないがいつかきっと謝りたい。
「セックスしたからって、必ずしもそこにみんなが憧れるような愛が存在するとは限らないんだよね。なんていうか……人間てそういうもんだよね……。複雑っていうか……」
誠については福西は大人な意見を言った。
「福ちゃん、深いね」
アタシが言うと
「私もいろいろ経験してるからね。あんたより年上なんだから」
と、笑って続けた。
「私は年上なんだから、もっと甘えてもいいよ。何かあったら何でも相談してね」
面倒見が良い彼女はアタシの気持ちが沈んだのを察したのか優しい言葉をかけてくれた。アタシはそんな思いやりのある彼女が大好きだった。
「福ちゃん、東京に行ってもたまに会おうね」
「その前に受験頑張れってぇ」
彼女は大きな声で笑いながら言った。
最低な人間のアタシはこれ以上友達はできないだろうと思っていた。だから福西は最後の大切な友達だった。
「悩んでも答えなんて出ないことの方が多いんだから、悩むだけムダだよ。そういう時は楽しいことだけ考えて寝るんだよ」
別れ際、明るい性格の福西はアタシに言った。なるべくそうしようと思った。
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