#58 - 呪縛
文字数 2,425文字
数日後、誠から電話が来て食事に誘われ、その前に美容院にトリートメントをしに行った。
「あーあ、痛んじゃってぇ」
と、アタシの髪を触りながら顔をしかめて誠は言う。
「ねぇ、許したのにまだネチネチいうとかダサいよ?」
と、返してもまだブツブツ言っていて根に持っているようだった。
トリートメントを塗って温めている間、誠がアタシの横にイスを持ってきて座って言った。
「おまえの今月の映画の連載のやつ、オレと観たヤツだよね?」
20代後半から30代中盤向けの女性ファッション誌に連載している恋愛映画コラムのことだ。今月は“アリスの恋”について書いた。
まさかその連載を読んでいるとは意外で
「彼女の読んでんの?」
と、聞いた。
「オレ、美容院やってんだよね」
「あぁそっか」
過剰反応しすぎたかもしれない。美容院になら置いてあるような人気の雑誌なので、自分の店に置いて読んでいてもおかしくはなかった。
今では何故そんなことになったのかは忘れたが、確かに商店街のミニシアターで高校生のアタシ達は一緒に“アリスの恋”を観た。
「そういえば、一緒に観たね」
せっかくアタシが笑顔で懐かしさを込めて誠に向かって言ったというのに
「うん、前髪があってさ、サラサラの黒髪で可愛いかったおまえとね」
と、嫌味 な言い方をした。よほど根に持っている。
“アリスの恋”はアタシのお気に入りの1本で、その時以降も数年おきに見返している。しかし観るたびに感じ方やラストの解釈が変わる。とても不思議だった。
始めて観た時は確か16歳くらいで、完全なるハッピーエンドだと思っていた。
しかし、何か不穏な空気で終わるラストにハッピーエンドを感じられずになったり、結局また粗暴 のな男と一緒になるのかと納得いかないこともあった。
ろくでもない男かもしれないが愛はあるという謎の結末なのかと疑問に思ったこともあった。
この原稿を書くにあたって今年に入ってからまた観なおしたが、ラストに納得がいかなかった。いくら甘いことを言われたからといっても、なんでアリスはあの粗暴 な男を捨てて夢だけを追わないのかと。
そんな今までの感じ方の変遷 をコラムにしていた。
美容院を出ていつもの中華料理店に行き飲んで話してだいぶ遅くなったのでアタシは誠に送られて実家に帰った。
家の前で少し立ち話していると誠は何を思ったのか、アタシの両腕を両手で力強くつかんで自分の方に引き寄せて、アタシにキスをした。
アタシは咄嗟 のことで理解が追い付かなかず茫然 としていると、彼はそのままアタシを抱きしめた。
アタシは誠の首元に頭を付け、懐かしいその香りに目を閉じて身を預けた。
しかしそれは一瞬で、アタシはすぐに正気を取り戻し思いっきり両手で誠の胸を押して体を離した。
「誠はアタシから処女を奪ったうえに、モラルまで奪うの?!」
アタシは思わず大きな声で彼に向かって言い放った。誠には彼女がいる。
「はぁ?!」
と、勢いに乗せられた誠も勢いよく返したのでアタシは止まらなかった。
「なんで彼女いるくせに、チューするんだよ!」
「なんでってわからねぇけど、したかったんだよ!」
「ふざけんなバカ!」
「おまえ、まじで
「そうじゃんか!」
「あれは同意の上でだったろーが!」
「そうだけど、今は同意してねぇっつーの!」
夜にも関わらず大声でアタシ達はケンカを始めてしまった。
「おまえは、オレのこと好きだったくせに認めないからこんな面倒なことになってんだろ?!」
「だってあの時は何も解らなかったんだもん」
「オレがハグした時『誠にギュってされると安心する』とか言ってたじゃん、解ってんじゃん! それは愛以外の何物でもないだろ?!」
「アタシ、そんなこといわないし」
「言ってましたぁー。超かわいい顔で言ってましたぁー」
「何で抱きしめてんのに顔が見えるんだよ」
「心の目で見たんだよ!」
アタシ達はどうしようもないケンカを時間もわきまえず、年齢もわきまえず、自宅の前で繰り広げている。
「もう誠とは仲良くしない!」
「おまえはまたオレを避ければどうにかなると思ってんだな」
「うん、また避けます!」
「また高校ん時と一緒かよ、オレはもう大人だからな。覚えとけよ」
ケンカは決着しないまま、誠が謎のセリフを残して去って行った。
判然としないまま家に入ると
「梨嘉 ちゃんの初めての相手って、あそこの美容院の子だったんだね」
と、玄関で声をかけられ、心臓が止まるかと思う程びっくりした。
父の恋人の円香 だ。アタシがDOOMS の活動休止で落ち込んでいた時、ひっそりと励ましてくれていた彼女だ。父よりもはるかに若い円香 のことは、父の金目当てでそのうちいなくなるだろうと思っていたが、意外と父とは仲良くやっていて10年以上この家に住んいる。
アタシが東京に行ってからは父の世話を焼いてくれているので今では感謝している。
「円香 さん、全部聞こえちゃった?」
「うん、ほとんど」
と、満面の笑みで答えた。
「あの美容師の子いい男だもんねぇ。できたばっかりの時私も行ったよ」
円香 はまたアタシの秘密を知って楽しそうにして
「あ、お父さんまだだから安心して。内緒にしとくね」
と、付け加えた。
「ありがとう、いつも……」
学校をサボったりするのも内緒してくれていたので、今まで来たどの父の恋人よりも気が利かない円香 だが、アタシは1番信頼関係を築けていた。
円香 に知られてしまった驚きで、何でアタシと誠はケンカを始めたのか忘れていた。ただモヤモヤとイライラを抱えたままシャワーを浴びた。
少し酔いからさめて気がついた。
誠がアタシを抱きしめてキスしたのがきっかけだった。
一瞬それを受け入れていた自分がいたのも思い出した。
アタシは結局誠が好きなのか。
髪の色を変えても、30歳を過ぎても、結局誠なのか。
それとも高校生の時叶えられなかった思いだから固執しているだけなのか。
アタシは自分が解らなかった。
ただ誠に対しての怒りだけは明確だった。
「あーあ、痛んじゃってぇ」
と、アタシの髪を触りながら顔をしかめて誠は言う。
「ねぇ、許したのにまだネチネチいうとかダサいよ?」
と、返してもまだブツブツ言っていて根に持っているようだった。
トリートメントを塗って温めている間、誠がアタシの横にイスを持ってきて座って言った。
「おまえの今月の映画の連載のやつ、オレと観たヤツだよね?」
20代後半から30代中盤向けの女性ファッション誌に連載している恋愛映画コラムのことだ。今月は“アリスの恋”について書いた。
まさかその連載を読んでいるとは意外で
「彼女の読んでんの?」
と、聞いた。
「オレ、美容院やってんだよね」
「あぁそっか」
過剰反応しすぎたかもしれない。美容院になら置いてあるような人気の雑誌なので、自分の店に置いて読んでいてもおかしくはなかった。
今では何故そんなことになったのかは忘れたが、確かに商店街のミニシアターで高校生のアタシ達は一緒に“アリスの恋”を観た。
「そういえば、一緒に観たね」
せっかくアタシが笑顔で懐かしさを込めて誠に向かって言ったというのに
「うん、前髪があってさ、サラサラの黒髪で可愛いかったおまえとね」
と、
“アリスの恋”はアタシのお気に入りの1本で、その時以降も数年おきに見返している。しかし観るたびに感じ方やラストの解釈が変わる。とても不思議だった。
始めて観た時は確か16歳くらいで、完全なるハッピーエンドだと思っていた。
しかし、何か不穏な空気で終わるラストにハッピーエンドを感じられずになったり、結局また
ろくでもない男かもしれないが愛はあるという謎の結末なのかと疑問に思ったこともあった。
この原稿を書くにあたって今年に入ってからまた観なおしたが、ラストに納得がいかなかった。いくら甘いことを言われたからといっても、なんでアリスはあの
そんな今までの感じ方の
美容院を出ていつもの中華料理店に行き飲んで話してだいぶ遅くなったのでアタシは誠に送られて実家に帰った。
家の前で少し立ち話していると誠は何を思ったのか、アタシの両腕を両手で力強くつかんで自分の方に引き寄せて、アタシにキスをした。
アタシは
アタシは誠の首元に頭を付け、懐かしいその香りに目を閉じて身を預けた。
しかしそれは一瞬で、アタシはすぐに正気を取り戻し思いっきり両手で誠の胸を押して体を離した。
「誠はアタシから処女を奪ったうえに、モラルまで奪うの?!」
アタシは思わず大きな声で彼に向かって言い放った。誠には彼女がいる。
「はぁ?!」
と、勢いに乗せられた誠も勢いよく返したのでアタシは止まらなかった。
「なんで彼女いるくせに、チューするんだよ!」
「なんでってわからねぇけど、したかったんだよ!」
「ふざけんなバカ!」
「おまえ、まじで
うばった
とか人聞きのわりぃこと言うんじゃねぇよ!」「そうじゃんか!」
「あれは同意の上でだったろーが!」
「そうだけど、今は同意してねぇっつーの!」
夜にも関わらず大声でアタシ達はケンカを始めてしまった。
「おまえは、オレのこと好きだったくせに認めないからこんな面倒なことになってんだろ?!」
「だってあの時は何も解らなかったんだもん」
「オレがハグした時『誠にギュってされると安心する』とか言ってたじゃん、解ってんじゃん! それは愛以外の何物でもないだろ?!」
「アタシ、そんなこといわないし」
「言ってましたぁー。超かわいい顔で言ってましたぁー」
「何で抱きしめてんのに顔が見えるんだよ」
「心の目で見たんだよ!」
アタシ達はどうしようもないケンカを時間もわきまえず、年齢もわきまえず、自宅の前で繰り広げている。
「もう誠とは仲良くしない!」
「おまえはまたオレを避ければどうにかなると思ってんだな」
「うん、また避けます!」
「また高校ん時と一緒かよ、オレはもう大人だからな。覚えとけよ」
ケンカは決着しないまま、誠が謎のセリフを残して去って行った。
判然としないまま家に入ると
「
と、玄関で声をかけられ、心臓が止まるかと思う程びっくりした。
父の恋人の
アタシが東京に行ってからは父の世話を焼いてくれているので今では感謝している。
「
「うん、ほとんど」
と、満面の笑みで答えた。
「あの美容師の子いい男だもんねぇ。できたばっかりの時私も行ったよ」
「あ、お父さんまだだから安心して。内緒にしとくね」
と、付け加えた。
「ありがとう、いつも……」
学校をサボったりするのも内緒してくれていたので、今まで来たどの父の恋人よりも気が利かない
少し酔いからさめて気がついた。
誠がアタシを抱きしめてキスしたのがきっかけだった。
一瞬それを受け入れていた自分がいたのも思い出した。
アタシは結局誠が好きなのか。
髪の色を変えても、30歳を過ぎても、結局誠なのか。
それとも高校生の時叶えられなかった思いだから固執しているだけなのか。
アタシは自分が解らなかった。
ただ誠に対しての怒りだけは明確だった。