#73 - 承継①

文字数 2,469文字

 アタシのエッセイは連載を1年を超え、単行本化が決まった。
その為、新しく書き下ろしする

が必要でアタシは以前から気にかかっていたことを原稿にしようと考えた。
 母の父、祖父の存在だ。
父に聞くと、父と祖父は母の通夜で1度しか会ったことがない。それも『申し訳ないが帰ってくれ』と、一言言われて、母の遺体との対面も叶わぬまま通夜から数分で追い出されたその1回だけ。母は祖父に迷惑をかけないようにと実家とは距離を置いていたので、祖父が父をどう思っていたかはわからないという。母の実家とは疎遠だったので、アタシという孫の存在すら知らない可能性もあった。
 祖母は母が10代の頃亡くなっていて、兄弟もおらず、祖父は小さいな“中山医院”で院長をしていることしか知らなかった。存命なのかもわからない。
インターネットで“中山医院”を調べると病院紹介のページに、父から聞いていたとおりの地域にそれはあった。母はこの住居兼病院で生まれ育った。祖父がまだ院長かどうかはわからなかったが、母や祖父を知る人がいるかもしれない。原稿にできるかどうかは後から考えるとして、アタシは誠に付き合ってもらって“中山医院”を訪れることにした。

 レンタカーを借りて誠が運転して、調べた“中山医院”に着いた。
昔ながらの小さな病院は両開きの扉の取っ手には鎖がかけられ施錠してあって、閉院していた。曇りガラスの扉は本来よりも曇っていて、扉の上の“中山医院”という文字はすすけていて、閉めてからだいぶ経っているようだった。
病院の前に車を止めて、歩いて白いブロック塀沿いに回り込むと、住居の入り口があって“中山”と表札がかかっていた。母の旧姓で、実家に間違いはない。
誠と2人で門を入って、引違い戸の横についているチャイムを押した。
中から「は~い」と軽快な女性の声が聞こえて、間もなく戸の片方が勢いよく空いた。出てきたのはエプロンを付けた熟年の女性だった。
「あの、中山医院の院長先生はいらっしゃいますか?」
アタシが訪ねると彼女は不思議そうな顔をしたのを誠が見ていて
「あ、オレ達、親戚で」
と、すかさず付け加えると
「えぇ、いますよ。こんなお若いご親戚がいたなんて知らなかったぁ」
彼女は笑顔で答えてアタシ達を家の中に入るように促して、
「先生ーご親戚の方が見えたわよー!」
と、中に進みながら大きな声で言った。

 玄関からすぐの部屋に入ると、日が差して暖かそうな窓際で車イスに座っている白髪の男性がコチラを見ていた。
始めて見る祖父だ。
アタシが言葉を失っていると
梨々子(りりこ)……?」
と、つぶやいて祖父は車イスから立ち上がろうとした。誠が慌てて近寄って転倒しないように祖父の体を支えて、祖父は車いすに座りなおした。
アタシは祖父に近づいてしゃがんで
「アタシ、梨嘉(りか)って言います。お母さんは梨々子(りりこ)で……あなたの孫だと……」
と、祖父の顔をまっすぐ見て言うと、祖父は何も言わずにまじまじとアタシの顔を見ていた。誠もアタシの横にしゃがんで2人で祖父を見つめた。
「そうか……あの時の子か……そうか……」
と、祖父は理解できたようで、アタシの顔を触って「ごめんな……」と、何度も繰り返してボロボロと涙を流した。
「おじいちゃん」と、言ってアタシは祖父の手を握った。

 先ほど家の中に案内してくれた女性はデイサービスから来ている介護士で、アタシ達にもお茶を入れてくれた。
そして、祖父は半年くらい前に階段から落ちてしまって足腰を弱らせてしまい、車イス生活になって病院を閉めてしまったと教えてくれた。それ以来デイサービスと家事代行サービスを定期的に利用しているそうだ。杖をついて歩くことはできるそうだが、病院を閉めて以来活力がなくなってしまったようで、車イスに頼りきりだという。
梨々子(りりこ)

に来たのかと思ったよ」
と、落ち着いた祖父はアタシに言ったのでアタシは笑いながら
「似てる?」
と、聞くとベッドの枕元に置いてある写真を見せてくれた。
 若い頃の祖父と祖母とその間に挟まれた母の3人が水着姿の色あせた写真だった。母が高校生の頃、家族旅行で海に行った時の写真だという。確かにアタシは写真の中の黒いロングヘアーの母に似ている。
梨嘉(りか)、おばあさんもなんとなく似てるよ」
一緒に写真を見ていた誠が言った。
「妻はリノっていうんだ」
祖父が祖母の名前を教えてくれて
「みんな“リ”が付くんだね」
と、アタシが祖父に微笑むと祖父も笑顔になった。
祖母のことも初めて見た。祖母は露出の少ない昔風の水着を着て髪をおさげにしてかわいらしく微笑んでいた。

 祖父にアタシが何故訪ねてきたのかを話すと、
梨々子(りりこ)が子供を妊娠したっていうのは聞いてたんだけどね、出産したのは知らなかったんだよ」
祖父はアタシに謝るように言った。
母は実家とは疎遠(そえん)にしていたと父から聞いていたので驚きはしなかった。
「あちらの家では不倫してるって言われてたから、本当の梨々子(りりこ)のことわかってあげられなくて……」
と、また祖父は涙をこぼした。そしてまた何度も謝った。
 それから祖父は過去について語りだした。
祖父と楢橋(ならはし)という母と結婚していた男性の父親は医学生時代からの友人で、医大の近くの喫茶店でよく一緒に過ごしていたという。そこで働いていた1人の若いウエイトレスに2人の学生は同時に恋をした。
それが祖母のリノ。
結果的に祖父が祖母を射止めて楢橋(ならはし)は別の人と結婚する。
祖母は金持ちの医者一族の楢橋(ならはし)を選ばずに、苦学生の祖父を選んだ。そのことが因縁(いんねん)となって娘に災難として降りかかったのではないかと祖父は言う。
「だから、楢橋(ならはし)家は梨々子(りりこ)固執(こしつ)したのかもしれない、全部私のせいなんだ」
それはあまりにもメロドラマな展開で祖父の考えすぎだと思うが、なんとなくわかる気がした。
「でも、おじいちゃんがおばあちゃんと結婚してくれないと、梨々子(りりこ)は産まれないし、そしたら梨嘉(りか)も産まれないんで、お母さんはかわいそうだけど、オレにはいい結果っスよ」
涙の絶えない会話の中で、けろりと誠が言うと祖父は笑顔になって誠に「そうか、ありがとう」と言った。
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