#24 - 強欲

文字数 2,554文字

 SHU(シュウ)はキスしたことがあるだろうか。
アタシの思考はどんどんずれ出した。大人だしモテるだろうし、もちろんあるだろう。
それを思うとアタシの中に(みにく)い感情が沸々と沸き上がった。怒りにも似た、切なさにも似た、苦痛の正体は嫉妬(しっと)だ。
相手が誰かも知らないし、そんな人がいるかどうかすらわからない。目撃したわけでもない。妄想が勝手に作り出したSHU(シュウ)の相手にアタシは嫉妬した。SHU(シュウ)が誰かと、と、想像するだけで胸が締め付けられた。
 アタシにも小野と同じように独占欲があることに気づいた。小野の場合何とかそれが満たされたのかもしれないが、アタシの欲望が満たされる時は訪れない。
誠と小野はアタシに現実を突き付けた。

 あれから誠とはほとんど話していない。
夏の炎天下で屋上に行くのをやめてから話す機会はなくなり、気を抜くと誠が教室内でも話しかけてきそうで、アタシは以前のようにイヤフォンを耳にして窓の外を眺め『話しかけるな』というオーラを放った。
たまにメールが来たが当たり障りのない返信をしただけだった。
あいかわらず小野もそれ以外の女の子も前の席の誠の元を訪れる。これまでは誰が誠の彼女になるのかというレースの行方を観察し、独自に考察していたがそれももうやめた。
 誠と小野の何らかの関係に関わりたくなかった。
アタシに勝利宣言し勝ったことになっている小野の独占欲を刺激したくなったからだ。
もしこのレースから小野が敗退する時が来たとしても、また別の誰かが小野にとって代わり、またアタシを敵視し始める。後わずかの高校生活をそんなループに巻き込まれて過ごしたくはなかった。
だから誠とは距離を置いた。

 数週間前に黒いワンピ―スを“SESSO(セッソ)”で買ったが、脇を詰めてもらうために預けたままにしていたのを思い出して、塾をサボってそれを取りに行った。
駅から店まで歩いて5分くらいだが、太陽が照り付けていてその距離でも体力がどんどん奪われていくのがわかった。
店の前に着きとりあえず持っていたペットボトルの水を一気に飲んだ。
 ドアを開けると奥のカウンターにミサがいて、手前のスツールに2人座っていた。
「いらっしゃい、待ってたよー」
と、ミサが声を出した時アタシは気が付いた。
大きくて少し猫背で腰かけている後ろ姿に見覚えがあった。
SHU(シュウ)だ。
となりにはKIYOTO(キヨト)がいた。
アタシは突然訪れた偶然に身がすくみ動けずにいると
「アンタらのファンの子だよ」
と、ミサがアタシに手招きをしながら2人に言った。
KIYOTO(キヨト)はアタシを覚えていたらしく
莉愛(マリア)が連れてた子でしょ、何度か楽屋来てくれたよね」
と、軽い感じでアタシに向かって話した。
SHU(シュウ)は何も言わなかったが、仕事がら沢山の人と会うだろうから覚えていなくても仕方ない。
「高校生なんだね」
SHU(シュウ)は制服姿のアタシに言った。彼のベース音のように低く響く声だった。手の届くところに憧れの彼がいるという現実が受け止めきれないのか、先ほど厳しい日差しの中歩いたからか、目まいがしそうで
「はい、3年で」
と、返事するのが精一杯だった。
KIYOTO(キヨト)はアタシが莉愛(マリア)の出身校と同じ学校にかよっていると覚えていてくれてその話になると
「あの高校の近くの海岸でさ、フラれてなかった?」
と、ミサが笑いながら言い、彼女の目線の先にはSHU(シュウ)がいて気まずそうに
「うるせぇよ。いつの話だよ」
と返答し、3人は笑っていた。
SHU(シュウ)もフラれることなんてあるのだと思ったアタシはそれを思わず口に出すと彼は苦笑いしながらアタシに返した。
「オレ、恋愛関係ダメよ」と、彼はアタシに返答してくれた。
(しゅん)はさ、愛想ないしマメじゃないからね」
ミサがSHU(シュウ)の本名で言うと
「そ、(しゅん)ちゃんはバンドやってなかったらさ、ちょっとだけかっこいい暗い音楽マニアで人生終わってたね」
と、KIYOTO(キヨト)も賛同して笑っていた。
 アタシはそういうちょっと影のあるあまり派手ではないSHU(シュウ)が好きだった。自分と何か似たものがあるような気がしていたからだ。
「わざわざ海岸に呼び出されてフラれたの?」
ミサはしつこくSHU(シュウ)の失恋話を続けた。
「そうだよ、っていうかさ、この辺のヤツらって何でも海を舞台にしすぎだよな」
おもしろい言い回しで彼は答えて
「だからオレ、海嫌いなんだよ」
と、付け加えた。
やはり共通点があった。とたんに海を嫌うことがかっこいいことに思えた。
 そんなたわいもない話をして3人は笑っていた。アタシもなんとなくそこ混ぜてもらっていたが、アタシの中で覚えたての感情が見え隠れしていた。SHU(シュウ)のプライベートな話まで知っているミサに少しの嫉妬(しっと)が芽生えた。

 しかしそれは早々に消し飛んだ。
「コイツら私の恩人なのよ」
と、ミサは2人を指しながら続けた。
「ウチの旦那のバンドからヴォーカル引き抜いてくれたお陰で、今平和な生活送ってるからさ」
当時ミサと付き合っていた今のパートナーも、DOOMSMOON(ドゥームズムーン)と同時期に活動していたバンドで、DOOMSMOON(ドゥームズムーン)の今のヴォーカルは元々そこに所属していた。DOOMSMOON(ドゥームズムーン)ほど人気がなく迷走気味だったバンドはヴォーカルが抜けたのを機に解散し、現在はミサの彼は就職し結婚して子供を授かり夫婦円満で過ごしているという経緯だった。
「もし、旦那がバンド続けてたら私はお金の為に働いて、今みたいに好きな事を仕事にできなかったと思うんだよね」
ミサはしみじみ言った。
バンド・音楽の世界はそう甘くはないことを物語っていたのと同時に、メジャーデビューまでいったDOOMSMOON(ドゥームズムーン)はすごいバンドだと実感した。
 サイズ直しを頼んでいたワンピースを受け取って帰ろうとした時、ミサに高校卒業後の事を聞かれたので大学に行く事を伝え
「でも、今日も塾サボっちゃったんで、どこも入れないかも」
と、笑いながら言うと
右側に座っていたSHU(シュウ)がアタシの頭に手を軽く置いて
「がんばれよ」
と、言った。

 それ以降アタシの記憶はない。
彼にどんな返事をしたのか、どうやってウチまで帰ったのか、まったく記憶がない。今自分の部屋でベッドに横たわって天井を見ているがその実感さえない。彼に触れられて感極まったアタシは天に()されてしまったのだろうか。
だけど彼のぬくもりだけはハッキリと頭に残っている。
それでまだ生きていることはわかった。
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