#66 - 愛念

文字数 3,211文字

 とある金曜日、アタシは昼間から地元に向かった。いつもはラジオ番組が終わってから慌てて終電ギリギリの電車に飛び乗っているのだが、特別番組の為にこの日は自分の番組がお休みだったのでめずらしく明るいうちに電車に乗った。
(まこと)にメッセージを送っても折り返しがないので、多分接客中なのだろう。
地元について誠の美容院をのぞくと、彼の姿は見えず後輩の市川がカウンターに座って何かしている。忙しくなさそうだったので店に入ると
「あれ? 予約入れてたっすか? 誠さん、海っすよ?」
急に現れたアタシに市川(いちかわ)は驚いたふうに聞いたので、誠とは連絡が取れずに急に来たので、地元に戻ってきたことを伝えようと思って寄っただけだと伝えた。
店内には市川のお客さんの女性が1人だけで、ローラーボールを当てられてパーマがかかるのを待っていた。
「この後予約あるんで、すぐ帰ってくると思いますけど」
とも付け加えた。
「じゃぁ海行ってみるね」
と、告げてそのまま海に向った。

 砂浜より少し高くなっているアスファルトの歩道から目を凝らしてみると誠がいるのがわかる。とはいえ遠いので顔まで見えないが、見慣れた誠の体系とウエットスーツの色で判断する。ヒールのアタシは砂浜に降りたくないので、アスファルトの階段に座って音楽を聴きながら彼が海から上がるのを待つ。
 Blag Flag(ブラックフラッグ)の“I Love You(アイラブユー)”を聴いている時に、誠がボードから降りて水をかき分けて砂浜に向って歩きだしたのでアタシは見つけてもらえるように立ち上がって彼を見つめた。
いつもはジェルでオールバックにしている髪が濡れてパーマのカールが戻って乱れていて、それをうっとおしそうに手で後ろに撫でつけながら砂浜にたどり着いた。
ボードを置いてウエットスーツを上半身だけ脱いでいる誠に、少し遅れて海から上がった女の子のサーファーが小走りで誠の横に行って話しかけた。誠はアタシに気がつかずにその子と楽し気に話している。距離があるので話の内容まではわからない。
女の子も楽しそうにしていて誠に向って右手を伸ばした。
その瞬間、アタシの恋人に触れないでと願った。
願いは虚しく彼女は誠の二の腕に手を付けた。
 それは友達同士のたわいもないやり取りなのは解っている。けっしてこれで浮気を疑っているわけではない。何より誠はアタシをちゃんと愛してくれているのも解っている。
でもアタシの大切なものに触れられたのがとてつもなくイヤで、アタシは醜い感情に襲われた。
誠に気づかれる前に海に背を向けてその場から立ち去った。
 このまま誠の部屋に行くと、誠が仕事に戻る為にシャワーを浴びにすぐ帰ってくる。アタシは彼に嫉妬でおかしくなった感情をぶつけてしまいそうで怖かったので、コーヒーショップで時間をつぶした。冷静になる時間が欲しかった。
1時間くらいたつと
<今日海来た?>
多分市川からアタシのことを聞いたようで誠がメッセージを送って来たので
<誠んちにいるよ>
と、海の件には触れずにウソの返信をした。
<メシたのしみー♪ あとでね>
誠はアタシの葛藤も知らずに陽気な返信をよこした。
アタシは2人の愛の詰まった部屋で彼の為に料理をして過ごせば、きっと気持ちも晴れるだろうと思い、スーパーで買い物をして誠の部屋に行った。

 夜になって誠が帰って来て2人でアタシの作った夕飯を食べる。誠はうまいと何度も言って勢いよく食べる。アタシは彼の食べる姿に幸せを感じるが、やはり海での光景が何度も蘇って、胸のあたりが苦しくなる。でもそれを誠に知られてはいけない。面倒くさい女だと思われて嫌われたくないから。誠がアタシを愛しているのは重々解っているはずだが、何故こんなに辛くなるのだろう。矛盾がアタシの中で渦巻いていた。
梨嘉(りか)、どした?具合悪い?」
誠はアタシの変化に気が付いていた。
「何もないよ」
と、アタシが不愛想に答えると
「何だよ、絶対何かあった感じじゃん」
納得いかない誠が食べるのを止めて何度も何かあったのか聞いた。
「まじで、何でもない。ウザイよ」
アタシはアタシの中の醜い部分と自分で戦って処理したかったのだが、誠がそれを聞き出そうとするので苛立って口走ってしまった。彼はアタシを心配してそうしているのも解っているが、アタシは彼を突き放すようなことを言った。それにも自己嫌悪してアタシは泥沼にはまった。
「いいよ、じゃぁもう一生おまえと話さないし」
誠は話すのをやめて、下を向いて夕飯の続きを食べた。彼は少し怒ってはいるが、ケンカにならないように気を使った言い回しをした。寛容な誠は醜いアタシを受け止めてくれるかもしれない。それに本当に一生話ができないのは困る。
「誠が、海で女の子と話してるの見たの」
誠は今さっき言った一生話をしないという宣言を守って返事をせずに、食べ物を口に入れたまま目線を上げてアタシを見た。
「その子、誠に触ったの。アタシの誠に誰も触れてほしくないの」
アタシが続けると誠は口を開いた。
「それさぁ誰のこと言ってんのかわかんねぇけど、ただの友達だろ?」
「わかってるよ、わかってるけど、女の子と仲良くしてるのイヤなの!」
「オレにどうして欲しいわけ? 友達も全部切っておまえだけならいいの?」
誠は困り果てて苛立っている。そうではない、アタシはそんなことを望んではいない。アタシだってこんなアタシに困っている。
「オレだって、おまえがあのバンドの曲聴いてるのちょーヤだよ」
誠はDOOMS(ドゥームズ)を持ちだした。思いがけずDOOMS(ドゥームズ)が話題にのぼり予想外の話の流れにアタシは戸惑って別のスイッチが入ってしまった。
「は? 仕事ですけど、音楽ライターなので、曲聴くのが仕事です!」
「じゃぁオレ、サーファーなんで、海の友達と話すのは普通です!」
本題とはズレたが結局ケンカを始めてしまった。食事も忘れて険悪な空気になって
「オレだって我慢してる事あんだよ!」
「アタシとDOOMS(ドゥームズ)の関係を誠のチャライのと一緒にしないで!」
「オレがいつチャラくしたんだよ、サーファーがチャライってのは偏見だかんな!」
「誠がスキだらけだから、小野ちゃんにもキスされたんでしょ!」
「いつまでその話すんだよ……」
「黒髪ロングストレートフェチのヘンタイ美容師!」
と、アタシがとどめを刺して一旦そのケンカは幕を閉じた。
悪い空気のままアタシ達は一言も話さず、目も合わさず、一緒に過ごした。同じベッドに背を向かい合わせて寝た。
次の日、誠はアタシの作った朝食を無言で食べて一言も会話せずに仕事へ出かけて行った。

 誠が出かけて掃除機をかけている時、『黒髪ロングストレートフェチのヘンタイ美容師』と、いう昨晩アタシが咄嗟に繰り出したパンチラインをふと思い出して、おかしくなって独りで声を出して笑った。
 ケンカして目も合わせない程なのに、アタシは歩いてすぐの実家に逃げもせず、東京の自分の部屋に帰るわけでもなく一緒にいた。誠も追い出すようなことは言わないうえに、朝出した朝食を無言ではあったが食べていた。結局アタシ達はケンカしていても一緒にいたい。それもおかしかった。
 仲直りしようと決めたが謝るのはシャクだったので、お昼のお弁当を作って店に届けた。
誠は接客中で市川にお弁当を託した。
「市川くんの分もね、よかったら食べて」
「まじっすか、ありがとうございます」
「こっち、誠の方だから間違えないでね」
と、アタシはお弁当箱を間違いないように念を押すと
「ハートとか書いてあるっすか?」
と、市川がニヤけた顔で聞いたが、まったくの逆だ。
市川の方にはおかずの他に俵型のおにぎりが並んでいるが、誠のには俵型おにぎりではなく白米の上に海苔で“バカ”と書かれている。
 お昼過ぎにきっとお弁当を開けた誠からメッセージが来た。
<愛してるバカ 黒髪ロングストレート好きのヘンタイより>
アタシの醜い嫉妬は器の大きな誠の前では効力を失ったようで、いつの間にかどこかへ消えた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み