#42 - 随喜

文字数 3,032文字

 アタシがSHU(シュウ)について書いた1000字に満たないミニコラムは、彼についてというよりも初恋の話のようで音楽雑誌には似つかわしくなかったが編集長の西澤は褒めてくれた。何かに惚れて何かにハマるということは誰にもでも経験あることだから普遍的(ふへんてき)な題材だと合格点をもらった。
「今度のライブのレポート書いてみるか?」
西澤が突然アタシに言った。
今度のライブというのは、少しづつ人気の出てきたSHU(シュウ)は3ヶ月後に今までより少し大きなライブハウスでライブをやる。DOOMSMOON(ドゥームズムーン)がメジャーデビュー日にライブをする予定だったハコだ。
「え、本誌にですか?」
アタシは意外な提案に驚いて聞き返した。
「そう、まぁ見開きで1ページくらい。嫌ならオレ1人で書くけど?」
嫌なわけはなく即座にその申し出を受けた。
そのライブには取材にいくという約束が取り付けてあってアタシは指導係の西澤と一緒に行くことになった。
 それともう1つありがたい提案をもらった。
「今度の記事でいいの書けたら、オレから人事に推してやるよ」
その記事にするSHU(シュウ)のライブの頃にはアタシは大学4年生で就職活動が始まる。
アタシは今バイトしている会社でなくても、どこかの出版社に就職したいと思っていた。必ずしも音楽雑誌に配属されるわけではないだろうが、バイトの経験も有利に働くだろうし、出版に興味があった。
できればこのまま今の編集部に残りたいが、その為にはフリーランスのライターになって編集部と個人的に契約してもらうか、この出版社に就職して配属先の希望を出すかだ。
まさかフリーランスになったところで今のアタシじゃ契約してもらえないだろうし、そんな大それたことは夢のまた夢だったので、頑張って就活するしかないと思っていた。なので編集長の西澤が口添えしてくれるのは何よりありがたかった。

 バイトが休みのある夜、久しぶりに福西と飲みに行った。
薄暗く上品で雰囲気のあるバーのカウンターのスツールに2人で並んで座った。30センチくらいの感覚をあけて左隣にいる福西は、シンプルなパンツスーツで髪を前下がりのボブに変えていて、少し茶色い髪が揺れるたびに小ぶりの品のいいピアスが見え隠れして、かっこいいビジネスウーマンといったかんじでカウンターに座る姿がサマになっていた。
平日だからかバーは()いていてカウンターにはアタシ達しかいなかった。
いつも大学と乱雑な編集部の往復、飲みに行っても無風流(ぶふうりゅう)なライブハウスで、アタシは上品な場所に緊張して福西のマネをしたカクテルを注文した。
「元気そうでよかったよ」
と、福西はアタシの最近の出来事を聞いて言った。
「アタシ、前会った時元気なかったっけ?」
「そうでもないけど……彼氏にフラれた時だったじゃん」
方向性の違いで別れたあの彼のことだ。あれから何ヶ月たったのか、その間にSHU(シュウ)や川口の事などいろいろあって、アタシはその彼のことなどすっかり忘れていた。さほど落ち込んではいなかったが、いつも優しい福西はアタシの心配をしていてくれていた。
 久々に会ったアタシ達は飲みながらおしゃべりした。
中途半端に伸びてうっとおしいアタシの前髪に話が及んだ。
それを説明するには交際してはいなかったが逢瀬(おうせ)を重ねていた甘い男の川口について話さなくてはならない。彼に可愛い着せ替え人形のように扱われたアタシはその過去を捨て去りたくて、可愛い要素の1つである揃った前髪を伸ばし始めたと打ち明けると
甘々(あまあま)がトラウマになっちゃったの?」
と、福西は大笑いした。
 出逢った頃からだが、福西といるとアタシの方が話す量が多い。彼女は聞き上手でアタシの話を真剣に聞いては、的確で親切なアドバイスをくれる。彼女と一緒の時間は居心地が良くて、1人っ子のアタシは彼女が実際のお姉さんだったらいいのにと思っていた。シンプルだけど地味すぎない彼女のセンスも好きだった。

 何杯か飲んでアルコールが回ってきた頃、福西がカウンターに沿ってアタシの方に身を乗り出し顔を近づけた。不思議に思ったアタシが近寄った彼女の奥二重で切れ長の瞳を見ると、彼女はアタシの唇に自分の唇を重ねた。
アタシは戸惑って目を見開いたまま彼女の唇の感触を感じていた。
唇を離した福西が一瞬アタシの目を見たが、すぐに目線をはずし慌てて態勢を戻してうつむいて「ごめん」と、つぶやいた。
アタシは何が起こったのかまだ理解できないでいて、ただ左側にいる福西を見ていると彼女は顔を赤くしながら言った。
「私、梨嘉(りか)がヘテロなのは解ってるから。酔っぱらっちゃったみたい……ごめん」
「福ちゃん……」
アタシは言葉が続かなかった。
「私、梨嘉(りか)の事かわいいなって思ってて……でも好きとかじゃないから怖がらないで」
アタシは彼女の事を怖いなんて思ったことはないし、この瞬間だって思っていない。
福西はうつむいたまま何度も謝っている。
今起きたことを理解できたアタシは「福ちゃん」と、彼女を呼んで、今度は彼女がしたようにアタシが彼女に身を寄せて自分からキスをした。
彼女は驚いてアタシを見ていたので、キスの理由を説明した。
 今のアタシは自分が何者なのかまだわからない。でも大好きな福西に可愛いと思ってもらえていた事が嬉しくて、アタシも彼女にキスをしたくなってしまった。
お酒のせいなのか、福西が魅力的だからかはわからない。このキモチを何て呼ぶのかもわからない。だけどアタシは彼女とキスしたかった。
アタシのキスの訳を聞いた福西は表情が明るくなりいつもの笑顔に戻ったので、アタシもつられて笑顔になり見つめ合った。
 その後、福西はめずらしく自分について語り出した。
彼女は自分は女の子として男の子も女の子も(へだ)てなく恋することができると打ち明けてくれた。
アタシはそれを興味深く聞いた。福西が誰を好きでも、誰と交際しても、アタシにとって彼女が素敵な姉のような存在に変わりはない。
自分の事を告白した福西はアタシに聞いた。
「まだ友達でいてくれる?」
「もちろんだよ、ずっとね」
と、答えて、また2人でたくさん飲んだ。

 甘くて飲みやすいカクテルを次々と飲んだからか、予想以上にアルコールがまわってアタシは酔っていた。福西に手を引かれてバーを出てタクシーを待っている時
「福ちゃん、アタシ、女の子とエッチしてみたいかも」
と、アタシが言うと歩道から車道を眺めるために半歩前にいる福西が振り返ってアタシを見た。
福西の話を聞いたからなのか何でそんなことを歩道の真ん中で口走ったのか、アルコールの充満するアタシの脳では分析できなかったが興味があったのは確かだ。
そして彼女はアタシに向かい合うと、
梨嘉(りか)とはそういう“カラダだけの関係”みたいになりたくないの」
と、彼女は真剣な顔で言ったので、アタシはわざと不服そうな表情を作った。
「いつか、お互いちょー愛してるぅって思ったときにしようね」
福西は優しい笑顔でそう言ってアタシを抱きしめた。心がきゅっとするような不思議な感覚があって、細くてアタシより少し小さい彼女を抱きしめた。
福西は川口とは違ってアタシとの関係を大切にしたいからアタシを拒んだ。
「福ちゃん、友達でいてくれる?」
「うん、もちろんだよ」
アタシ達は歩道で抱き合ったまま改めて友情を誓った。
 ほんの一瞬だが初めて女の子とキスをした。
男の子と違って、近づいた彼女はいい香りがしたし、唇は優しく柔らかかった。
だから男の子は女の子とキスしたいのかと、アルコールで緩んだ脳内でぼんやりと思った。
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