#44 - 教理

文字数 2,771文字

「私の彼女、キャット。かわいいでしょ。」
ナンシーはアタシを楽屋に呼んでバンドメンバーに紹介した。メンバー達は彼女に彼女がいても不思議な顔ひとつせずに歓迎してくれた。彼女達のアイデンティティは“パンク”でそれ以外の属性などどうでもいいのだろう。名前すらどうでもよくてアタシの事をキャットと呼び続ける。
「女同志なんだから、恥ずかしがるなよ」
と、言ってアタシをバスルームに誘う。そういう時だけ“女”という属性を持ち出すのはズルイ。他人とお風呂にはいるなんて恥ずかしくて今までしたことはなかったが、今ではナンシーと一緒に入るバスタイムは幸せな時間だった。
 ナンシーは都会の人混みでもアタシの手を握ったり、肩を組んだりする。そしてどこででも気分次第でアタシにキスをした。まさに恋人といった行動を人前ですることに抵抗のあったアタシは最初のうちはナンシーのそういう態度が恥ずかしかった。だけど一緒に過ごすうちに慣れていき、アタシも大胆になっていった。
ナンシーは好きな服を着て、好きなメイクをして、好きな髪色をして、好きな音楽をやって、好きな時に好きな子にキスをする。
人目なんて気にしないのだ。アタシもその解放感がクセになった。
彼女との日々は麻薬のようだった。
 ナンシーに「好き」と言うと「私も好きだよ」と、アタシの頭を撫でてキスしてくれる。アタシが長年探し求めていた恋人とはナンシーだったのかもしれない。
「ナンシーはアタシの1番理想の彼氏かも」
音楽の趣味も合って話は楽しいし、執拗(しつよう)に甘すぎるセリフは吐かないし、アタシの嫌いな名前では呼ばずにかわいい名前で呼んでくれるし、洋服を貸し借りできるし、お揃いでSex Pistols(セックスピストルズ)のシャツを着てくれるし、髪も身体も洗ってくれるし、メイクをしてくれるし、ネイルを塗ってくれるし、自分本位なセックスはしないし、ライブではかっこいいし、それにロックスターの恋人になるというバンギャルなら誰でも抱く夢まで叶ったし、今まで付き合った誰よりも相性が良くて理想的な気がした。
ベッドに横たわりながら彼女にそう言うと、隣で仰向けになってタバコを吸っている彼女は
「それは光栄だけど、私女だし、付いてないよ?」
と、素顔でもキリっとしている美しい鳳眼(ほうがん)を細めて笑いながら言ったのでアタシも笑った。
「そうだね、女の子だもんね、ごめん、彼女だね」
「どっちでもいいよ、性別なんて記号に過ぎないし」
「ナンシーに付いててもいなくても、理想なのは変わらないよ」
身体(からだ)を横にして彼女の方を向いて言うと、ナンシーも身体(からだ)をコチラに起こして向き合って、アタシの頭を撫でながら
「こんな可愛い彼女初めて」
と、優しい笑顔で言うので胸が高鳴った。
 最初は興味本位でナンシーについて行ったが、アタシはこんな優しくてかっこいい彼女に恋心を抱き始めていた。

 ある日アタシは独りでウチにいる時、ナンシーが恋しくて電話をすると
「ごめん、キャット。今日は男と約束あるんだよね」
彼女はそう言って電話を切った。
アタシの事を“彼女”と言っているから、恋人ではないと思うが男の子とも関係を持っているようだ。
次の日、ライブハウスで会ったナンシーに
「男の子とも遊んでるの?」
と、聞くと
「うん、キャットも遊んでいいんだよ、束縛しないし。それとも男に興味なくなっちゃった?」
彼女はアッサリ言い、不満げな顔のアタシを見て、
「やきもち?かわいすぎ」
そう言ってアタシを細い腕で抱きしめて
「彼女はキャットだけだよ」
と、耳元でささやいて、アタシの顔を指輪だらけの両手で挟んで、息ができない程の凄烈(せいれつ)なキスをした。
彼女の唇にアタシの身体は高揚するが、その快感をこれ以上(むさぼ)ってはいけない気がしてキモチに歯止めをかけた。
「今度3人でする?」
ナンシーのその言葉でアタシは気が付いた。
 彼女は別にアタシを(もてあそ)んでいるわけではない、そういう付き合い方をする人なのだ。きっとアタシを好きと言っていたのもウソではない。
アタシとナンシーはルールが違うのだ。アタシのルールに従わせようとすれば彼女は去っていく。だけどナンシーのルールにアタシは適さない。
それを悟って、アタシはライブハウスから出た。
 帰り道、アタシは福西の事を思い出していた。
彼女のように気高くありたい。ナンシーの生き方を否定するつもりはない。だけどこのままアタシが彼女に(おぼ)れていっても、アタシの望む未来はないように思った。ナンシーの事は思い出にしようと決めた。

 次の日もバイトで、編集部に行くと西澤に部屋の隅に呼び出された。
「鈴木、パンクバンドのギタリストと派手に遊んでるだろ。ウチのバイトがライブハウスでギターと豪快にキスしてたって報告が来たぞ」
またもや西澤に知られてしまった。
「ま、若いうちは派手にやれよ。でも悪い遊びは早めにやめろよ」
と、彼は笑いながら言った。
アタシは彼女を忘れるのもつらいが、同時に、吸い始めてしまったタバコをやめるのもつらい。
依存というものは

時は最高に気持ちがイイが、やめるとキツイ。

 アタシは確かにナンシーに恋をしていた。男の子とうまくいかないから女の子を好きになったわけではない。好きになったのがたまたまナンシーという女の子だっただけだ。男の子に興味がなくなったわけでもない。アタシみたいな子をなんて呼ぶのだろう。自分の事をうまく説明できないし、ナンシーとアタシの関係もうまく説明できない。でも別に説明する必要はないのだ。ただ恋をしただけなのだから。
 ナンシーに逢うのをやめたが、アタシはそれほど悲観的ではなかった。自分に新しい1面がある事を知れたから。教えてくれたナンシーに感謝している。
 よく考えてみると、アタシはナンシーのことを住んでいる所と好きな音楽以外知らない。出身は何処なのだろうか、何歳なのだろうか、何型なのだろうか、誕生日はいつだろうか、本名はなんというのだろうか。
彼女は本当に存在したのだろうか。淋しいアタシが作り出した妄想だったのではないかと思うほど、彼女との時間は夢のようなひと時だった。

 大学4年生を前にしてまた1つ大人になったアタシにはいろいろな可能性があった。
まずはSHU(シュウ)のライブレポートのいい記事を書くこと。そしたら編集者やライターの道が開けるかもしれない。好きな事が仕事に繋がるかもしれない。
それにアタシにいろいろ与えてくれるSHU(シュウ)のことをこれからも見続けるという楽しみもある。
 今のアタシはまだ発展途上だがいつどんな変化が起きるかわからない。
また女の子と親密になって今度はまじめな交際に発展するかもしれない。または男の子に真剣に恋するかもしれない。
どんな未来が待っているかわからない。
未だにロックスターに夢中で恋人はいないし、友達は少ないし、間違いをするけど、アタシは自分の未来が楽しみだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み