#67 - 黒髪

文字数 2,197文字

 (まこと)が美容院を開いてもうすぐ2年だった。
商店街で唯一の美容院なのでそれなりにお客の数も多かったし、サーフィン友達の内装業者にお願いして安く上げてもらって初期費用をおさえていたのもあって、銀行で借りた資金は返し終えた。
 もう1人美容師を雇う余裕もできて、新しく女性の美容師が働きに来ている。
彼女は出産前まで都内の有名店でバリバリ働いていたが、出産を機に仕事を辞めた。子供が小学校高学年になったので手が離れ、仕事復帰を望んでいたタイミングで、美容師のネットワークを通じて誠の店で求人があることを知った。
とはいえ主婦業もあるので週3日だけの出勤だったが、火曜日しか休みの無かった誠も市川も彼女のおかげで週休2日になれた。それに男2人の美容院だったが、女性が入ったことで熟年の女性客が増えて美容院には喜ばしい変革だった。

「秋田さんにはヤキモチやくなよ?」
新しい女性美容師が働きだした頃、誠はアタシに言った。
アタシには前科があって、誠のサーフィン友達に嫉妬したせいでケンカをしたことがある。そんなアタシに誠は釘を刺した。
『オレが触りたいのも触って欲しいもの梨嘉(りか)だけなんだからな』
その時、アタシのお弁当作戦に降参した誠がそう言ってアタシ達は仲直りした。アタシの醜悪な部分は誠の大きな愛情によって日々削られていっているようだ。まるで体の中の悪い細胞を手術で取り去るように。寛解(かんかい)して立派な大人の女性になる日も近い気がしているアタシは
「ヤキモチなんてやかないもん。誠の店の人じゃん」
と、答えた。
「おまえはオレを翻弄(ほんろう)する天才だからな。10代の頃から」
「何なのそれ」
「オレを怒らせて、謝らないくせに可愛いことするの。オレはそれで許しちゃうんだよなぁ」
思い当たる節しかなくて、アタシは気まずかった。

 アタシは誠と付き合う前に当てつけのように明るくした髪の色を黒く戻すことにした。気に入っていたし評判もよかったが飽きていたからで、決して誠に屈したからではない。美容院で誠に黒く染めてもらうと
「オレの可愛い梨嘉ちゃんが戻って来たー」
と、はしゃいでまだ席に座っているアタシを後ろから抱きしめた。市川や秋田もいるし、パーテーションの向こうには他のお客さんもいる。
「黒髪ロングストレートフェチのヘンタイ、やめろ」
恥ずかしくてアタシが小声で言うと
「そのフェチのルーツはおまえだもん」
と、高校時代のアタシの髪型を言っていた。当時は明るい髪色が流行っていたし、髪の色など校則の緩い学校だったのにもかかわらず、黒髪にしていたのはSHU(シュウ)の影響だとは絶対に言えない。
アタシを見送る為に一緒に歩いて出入口付近ついても、誠はまだアタシの髪を『かわいいかわいい』と言って撫でている。完全にヘンタイなのだが、彼の嬉しそうな顔を見ると水を差せず大人しくヘンタイプレイに付き合った。
 傍から見たらだいぶイチャついたカップルに見えるようなことを店の中でしていると、通りに面したガラスの壁をコンコンと叩く音がしてアタシと誠は音のする方を見た。
そこには不思議な顔をした父がいた。
誠はアタシの髪からサっと手を離し、父は店に入って来た。
「おまえ、帰って来てたのか?」
父がアタシに聞いたので
「あ、うん、今だよ、今さっき」
と、焦ったアタシは答えた。
「今さっきじゃないだろ?」
父の言う通り今さっきではない、数日前に地元に戻って誠の部屋で過ごしていた。父には知られていたのかとびっくりしたアタシは反応に困って返答にせずにいると
「だって、髪、黒くしてもらって。数時間前に来てたんだろ?」
と、父は笑いながら言った。父には気が付かれていないとアタシは肩をなでおろしたのもつかの間
「お父さん!」
と、今度は誠がアタシの父をお父さんと呼び何かを言おうとしている。誠は父を『大家さん』もしくは『鈴木さん』と呼ばなくてはならない立場なのにだ。
アタシが誠に目で圧力をかけると
「黒髪のがいいですよね」
と、アタシの髪を褒めてごまかして
「そ、そうだな。似合わうな」
と、父がアタシを見て返事した。
これ以上父と誠を一緒の空間に置いておくのは危険なので、近くの中華屋で食事をしようと父を連れ出した。
 誠の存在を隠したいわけじゃない。だけど年齢的にも性格的にも父親に恋人を紹介するというのはアタシにとってはかなり大きな決断と勇気が必要だ。
父とはいい関係の親子だと思うが、今まで1度も恋人を紹介したことはない。以前に交際した人達はそれ程深い関係ではなかったので、父に紹介する必要もなかったし、そんな気すらなかった。
誠は今までとは違うが、内気なアタシにとって父親の前で『この人を愛しています』と宣言するのは恥ずかしすぎる。
それに誠は誰にでも好かれるタイプできっと父も誠を気に入る。今の大家と借り手という間柄であっても気に入っている様子だ。自分の娘が誠のような好印象の男を連れて帰ってきたら期待をさせてしまう。その期待に応えられなかったらガッカリもさせてしまう。
いつ打ち明けるのが正解かは解らないが、まだ早い気がしていた。
「隠さなくてもいいじゃん、オレとお父さん仲良くできると思うぜ」
と、楽天家の誠は言うが、そこが問題ではない。
仲良くなったらなったでその後の展開を期待させてしまう気がしてアタシは躊躇している。
誠がさっきまで撫でていた髪に彼の感触を感じながら、彼のことを言い出せないまま父と中華料理を食べた。
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