【水着】

文字数 3,065文字

「瞳さん、海とか行かないんですか?」

 みーんみんみん。
 みーんみんみん。
 暑い暑い八王子市の夏。
 降り注ぐ太陽光は肌を焼き焦がすように暑い。
 照り返すアスファルトも信じられないくらい熱い。
 日傘を差して立つ瞳さんに、汗だくの博巳が聞いた。

「海じゃなくても、プールとか、川とか……」
「んー。……あんま行ったことないナー」

 旅行カバン片手に、瞳さんは上を向く。

「泳げないんだよね、あたし」

 舌を出して苦笑い。

「それに胸もナイし。骨ばってるし。……魅せれる身体じゃ、ないんだよね」
「そんなことないです!」

 急にムキになる博巳に、瞳さんが驚く。

「そんなこと……ないです」

 大好きな瞳さんだ。

(骨ばってたっていい。胸だって……正直ちょっと残念だけど、それでも構わない。それでも)
「それでも見たいです。瞳さんの……水着」
「ええっ」

 瞳さんが目を見開いて露骨にびっくりした。

「あたしの? お、オジサン困っちゃうなあ、そんな……若い子には負けるヨ……」
(貴女、十五歳ですよね?)
「……ど」

 瞳さんは前を向いたままもじもじし出した。

「どんな水着が……見たいの?」
(いいのか?これは、言ってしまっていいのか?)
「……は」
(言いたい。見たい。瞳さんの。瞳さんの)
「ハイレグのビキニとか……」
「ふぁっ? ハイレグのビキニぃっ?」

 瞳さんが耳まで真っ赤になる。
 赤いワンピースと同じ色だ。

「む……無理無理無理無理無理無理! あ、あたしそんなの着れないっ!」
「どんなのが見たいって、聞いたの瞳さんじゃないですかぁ」
「そ、そりゃそうだけどサ……さすがにあたしゃそんなのもう着れないよお」
「もうって、瞳さん十五歳じゃないですかあ」
「!」
「見たいです」
(ええい、こうなったら、押して押しまくってやる!)

 博巳は心に決めた。

「黒がいいです。瞳さんには、似合うと思うんです」
「く、く、黒っ?」
「ハイレグのやつですよ、めっちゃ脚が綺麗に見えるんです!」
「ひ、ひろみくん、目が怖いよお……」
「お願いしますよ、ぜったい、お願いしますよ」
「え、えぇー……?」

 ぶろろろろ。

(ちぇっ。もうバスが来ちゃった)
「……バイちゃ!」

 きーん。
 瞳さんは耳を真っ赤にしたまま逃げていった。

 ……

 翌日。
 病室ではなくバス停で待つことにした。

「きーん」

 瞳さんが走ってきた。

「ききーっ」

 バス停の所で止まった。
 日傘と、旅行カバンを手に持った。
 いつも通りなら。いつも通りなら、忘れてる。
 昨日の会話も。
 水着のことも。

「んーんー」

 鼻歌を歌って、幸せそうだ。
 いつも通りなら、博巳がここにいることも認識していないはず。いつも通りなら。

「瞳さん」
「わっ」

 驚いた。
 今までに「無いパターン」だ。

「やあ、ボク。こんなに暑いのに、こんな所でなにしてるのかな?」

 いつもの反応……に見える。

「ううん、なんでもないですよ」

 こちらも平静を装う。

「そ、そう。なんでもないか……」
(あれ。ちょっと。顔が赤い?これは脈アリかな?)
「瞳さん瞳さん」
「んー?」
「耳貸してー」
「んー?」

 大好きな人に耳打ちするのは、背徳感があって、なんだか、いい感じだ。

「黒のハイレグビキニ」

 かっ。
 一気に耳まで真っ赤になった。

「着ないよお! 着ないったらあ!」
「覚えてるんじゃないですかあ!」
「ひろみくんのえっち! ヘンタイ! 大っ嫌い!」

 きーん。
 傘も旅行カバンも捨てて逃げてしまった。
 がーん。
 儚い夢も恋も灰燼と化した博巳は灰になってしまった。

 ……

 翌日。

「はああ」

 バス停にて、博巳が大きな、大きなため息を吐く。

「はあああ」

 その横で、瞳さんが日傘を差して立っている。
 何か気まずそうにこちらをちらちらと見ている。
 顔が赤い。

(絶対、昨日のこと、覚えてるでしょ)
「はああああ」

 わざとらしく、大きな大きなため息を吐いてみる。

「ボク……元気少ないね?」
「はい……」
「あたしの……せいだったりする?」

 博巳は頭を垂れて座ったまま。

「……見たいの? あたしの……その……水着」
「はい……」
「そんなに? ……あたし、痩せっぽちでアバラ見えてて、胸なんてまな板だし……」
「いいんです……それが……瞳さんのありのままが見たい……」

 自分が如何に変態な事を言ってるか分かっているけど……

(見たいんだ。大好きなお姉さんの、水着が)

 瞳さんが俯く。

「そんなに見たいのね……わかった」

 博巳の中にポッと火が灯った。

「ちょっと、何日か時間ちょーだい。今日子さんあたりに相談してみるから……」
「よっしゃあああっ!」

 博巳が両手でガッツポーズをする。

「瞳さん大好き!」

 ジャンプで抱きつこうとする。

「きゃああ、ヘンタイっ!」

 びたーん。
 渾身のビンタを頬に受けて、博巳は撃沈した。

 ……

 数日後。

「きーん!」

 瞳さんが走ってきた。

「ききーっ」

 バス停の所で急ブレーキ。

「ふうっ」

 日傘を差して、旅行カバンを手にする。

「あちーなー。あー、あちー」
(なんだか今日は自己主張が多いぞ。あれ?)

 よく見ると、バス停から少し離れた、博巳の横に立っている。

「あー、ほんとにあちーなー」

 ちら。
 ほんの一瞬、博巳の方を向いた。
 顔が、赤い。
 玉の汗を浮かべている。
 ぱたぱた。
 おもむろにスカートでぱたぱたと扇ぎ始めた。
 そんなことをしたらぱんつが……

「困っちゃうなあ、水着下に着てるからかなあ?」

 ちらり。
 真っ赤な顔をして、博巳を見ている。
 そして博巳のすぐ横で、スカートをそろりそろりとたくし上げた。
 倉敷博巳は、目撃する。
 理想的な、想い人の肢体を。

 それは、まさに芸術品だった。

 真っ白い、シミも傷もひとつも無い肌の脚。
 確かに痩せてごつごつしてるけど、とても綺麗だ。
 ハイレグだから、その綺麗な脚の、太ももを通り越して下腹部まで露になっている。
 黒いハイレグに包まれた痩せて凹んだお腹。
 余分なお肉なんて一つも付いてなくて、おヘソまで真っ白。
 胸は、Aカップでも余りそうなほど無いけど、タイトなブラがいい感じに包んでいる。

(エンジェルカップってやつかな。なんだかとても愛くるしい)
「ど、どかな……あ、あんまり見られると……その……オジサン恥ずかし……」

 目をキョロキョロさせてしどろもどろに呟く瞳さん。

(もう、もう我慢できないっ!)
「瞳さんっ」

 狼になった博巳が瞳さんのスカートの中に抱きつく。

「きゃーっ!」
「大好きです、大好きなんですっ」
「だめえっ、見るだけ、見るだけだよおっ」
「無理ですねっ」

 瞳さんの下腹部に頬擦りする。

「いや、いやあ! ひろみくんの……」
(あ、やばい。やりすぎたか?)
「えっちぃーっ!」

 びたーん。

(やっぱり。こうなるんだよなあ)

 みーんみんみん。
 みーんみんみん。
 夏の山道で、鼻血を出して倒れる少年と、真っ赤になってスカートの裾を押さえる少女を、セミの鳴き声が包む。

「……行きたいなあ……瞳さんと。海でもプールでも、川でも……」
「……あげたのに……」

 瞳さんが真っ赤のまま何か呟いた。

「こんなとこじゃなくて、海で、いっぱい触らせてあげたのに……あたしの初めてだって、ひろみくんになら……」

 ぶろろろろ。

 西東京バスが間抜けな二人を通過したせいで、最後のところは聞き取れなかった。

「瞳さん? 今なんて……」
「なんでもないもんっ! バイちゃっ!」

 きーん。
 瞳さんは両手を広げて走り出した。

 ……

 瞳さんが、この後あの水着を着ることは二度となかった。
 博巳が、瞳さんが最後に言った告白を聞くことも、二度となかった。
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