【茜坂病院前バス停にて】

文字数 983文字

 茜坂病院前バス停にて。
 僕は生まれて初めて恋に落ちた……

 みーんみんみん。
 みーんみんみん。

 セミがけたたましく合唱する八王子市の山道。
 車もほとんど通らない、峠へ伸びている一車線の道。
 その表面はぼろぼろで、しわくちゃおばあちゃんの様なひび割れたアスファルトが覆っている。
 割れたその隙間からは沢山の雑草が顔を覗かせて、呟く。

 『こんにちは。ようこそ、私達の物語の舞台へ』

 そんな日本中の皆に忘れられたような道の途中に、バス停がある。
 血に塗れたようなサビだらけで、もう字も読み取り辛い。
 だが確かに、「茜坂病院前」と書いてある。
 裏手にある坂を登った所にある古い総合病院、「茜坂病院」にアクセスする為のバス停だ。

 ……

 この物語の主人公、倉敷博巳は、そこに入院している。
 十四歳。
 都内在住の中学二年生だ。
 そんな彼には、病院の皆には内緒の秘密がある。
 毎日十一時三十分に、そのバス停でバスを待つことだ。
 一人で待つのでは無い。
 隣には、博巳の想い人がいる。
 一つ年上の、逢沢瞳さんだ。
 身長は、博巳よりちょっと高い百六十くらい。
 清楚な黒髪はロングで背中の真ん中くらいまである。
 瞳の色は茶色で澄んでいる。
 痩せていて、肌は抜けるように白い。
 胸は──残念ながら──ぺったんこで無い。
 赤いノースリーブのワンピースを着ている。
 頭には、白いリボンの付いた麦わら帽子。
 小さな花のチャームが付いた白いお洒落なサンダルを履いている。
 その体からはいつもユリのいい匂いがする。
 いつもこの時間に、レースの付いた白い日傘を差して、古いアンティークみたいな旅行カバンを持って、バス停で立っている。
 彼女が何処へ行きたいのか。
 何を待っているのか。
 博巳にはわからない。
 何故なら、瞳さんはこちらから声を掛けないと博巳に気付かないからだ。
 それどころか、毎回、会う度に博巳のことを忘れてしまう。
 それでも、瞳さんは毎日この時間になると、バス停に現れる。
 博巳は、それを知っていて、一緒に隣に並ぶ。
 声をかけなければ気付かれることも無い。
 毎日会っているのに覚えていてくれない。
 それでもいい。
 ずっとずっと、博巳は瞳さんのことが大好きなのだから。
 文字通り、ずっと、ずっと。

 終わらない入院生活。
 毎日続くバス停の日々。

 これは、そんな二人の不思議な愛の、物語である……
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