第7話 藤の存在2

文字数 1,647文字


また顔に熱が集まってくる感覚がしてきたので、酒を飲もうとお猪口に徳利を傾けると、慌てて注いだせいで酒が僅かに溢れテーブルが濡れてしまう。

しまった、と一人顔をしかめながらお絞りを探そうと目線を上げた。

そこでようやく、華丸の表情が目に映る。


「華丸?」


華丸は、真っ直ぐに俺を見つめていたが心ここに在らずといった様子で、同時にどこか寂しげに陰っているように見えた。

俺の呼び掛けに華丸は目を覚ましたように瞬きを一つして、小さな声でごめん、と言い、俯きながら眼鏡を直す仕草をする。


「…ちょっとびっくりして、言葉が出なかった。はせが、そんな風に…いや、何でもない。」


何故か言葉を濁して、華丸は自嘲気味に笑い、口を閉ざす。

その意図が分からず、俺もまた何も言い出せずに黙り込んだ。

束の間沈黙が広がった後、華丸がレモンサワーを手に取る。大きく傾いたグラスの中で氷が転がって音をたて、同時に華丸の喉もゴクリと鳴った。

口を軽く指で拭ってから、華丸はまたおれを真っ直ぐに見る。


「はせの気持ちは分かった。だけど、それなら余計…冷静になる時間をとらないと駄目だよ。欲求のまま行動するなら、それは依存だ。君は彼と、そんな関係になりたい訳じゃないだろう?」


至極真っ当な華丸の言葉に、もはや抗う気はなかった。

俺は藤のことになると理性的ではなくなるのだということが、今日のこの場だけでも十分実感できたからだ。

俺は少し逡巡してから、そうだな、と呟くように一言だけ返して、溢した酒をお絞りで拭った。

その間、他の客席からの笑い声やグラスのぶつかる音、厨房から聞こえる調理音だけが俺達の周りを取り囲む。


すると突然、俺の左肩に何かがずしっと重くのし掛かった。

振り返ると、そこにはゴツゴツとして血管の浮き上がった大きな手が乗せられており、そのすぐ上で、赤ら顔の大和が焦点の定まらない目で俺の姿を捕らえる。


「長谷見、ビールおかわり。」

「は?」

「おーかーわーりぃー!!」


容赦のない音量で耳元に叫ばれ、俺は反射的に肘でその手と顔を振り払う。

大和は俺の攻撃を難なく後ろに躱して、何が可笑しいのかゲラゲラと笑い出した。

先程までの緊張した空気を一瞬で台無しにするその粗野な笑い声に、一気に肩から力が抜け落ちる。

華丸もまた同じ気持ちのようで、大きく吸い込んでから深く息をついて、テーブルに頬杖をついた。


「…大和は酒好きな割に本っ当に弱いね、相変わらず。」

「まだ二杯目なのによくここまで酔えるな、お前…。」

「俺は酔ってねぇ。お前らがテンション低いからそう見えるだけだっ。もっと俺みたいに楽しく飲めよ!長谷見、いいから早くビールおかわり頼めっ!全員分!」


大和はふんぞり返りながら、俺に向かって人差し指を立て手を振り上げる。

当然のように人を小間使いとして扱う態度に苛つきながらも、いつものことなので怒る気にもなれず、俺は仕方なく言いなりなって店員に追加の注文をしてやった。


「よーし、じゃあ新しい酒でもう一回乾杯しようぜぇ。」

「はあ?意味分かんないんだけど。一人でやってろ酔っ払いが。」

「うーわノリ悪っ。つまんねぇチビ丸はほっといて長谷見、二人の永久の友情に乾杯しようぜ。」

「お断りだっ。」

「あれぇ、そんなこと言っていいのかなー?会社の人間に藤君のこと色々触れ回っちゃおうかなー?」

「お前なぁ…」


この場でしれっと藤の名前を出してくる大和の図太さに、俺は渋い顔をしてみせた。

横目に見える華丸はそれに何の反応も示している様子はなく、ただ大和の蛮行を呆れた様子で眺めている。

気もそぞろでいる内に、大和は俺の手に無理やりグラスを持たせて強引に乾杯をした。

それから先は藤の話をすることはなく、いつものように仕事の愚痴や世間話をしながら時間を過ごした。

ほぼ大和の独壇場のような会話量なのは定番のことだが、そこに挟まれる華丸の毒舌が心なしか少なく感じていた。

俺はそれに何故か罪悪感を感じつつ、大和を中心に出来上がったこの空気に溶け込んだふりをして、看過することしか出来なかった。




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