第5話 友達4

文字数 3,515文字


※※※

la cage(ラ カージュ)は三武調剤薬局の裏通りにある小さなカフェである。

店主の左門は元々俺がよく通っていたスナックの店員をやっていた男で、2年前に独立してこの店を開いた。

以前この場所で商売をしていた定食屋が引っ越しを機に店を畳むということだったので、店主の昔馴染みである三武局長を通し、俺が左門に物件を紹介したという縁もある。

そんな浅からぬ仲にあるので、当薬局メンバーは何かというとラカージュを贔屓にしているのだ。


「どうぞ、チーズリゾットです。」


ハイネックの白い制服に腰で結ばれた黒いエプロン姿の左門が、優雅な手さばきで皿をカウンターテーブルに置いた。

ここの看板メニューであるチーズリゾットが濃厚なチーズの香りを纏った湯気をたて、食欲を掻き立てる。

一口食べればクリーミーな口当たりと、こだわりの組み合わせで生まれた数種のチーズ、アクセントのハーブのフレーバーが一見事に一つにまとまり、桃衣曰く


「んー!いつものことながら、もんちゃんのリゾットは幸せの味がする!!」


らしい。

左門はキッチンから大口を開けて食べる桃衣を見下ろし、口許に手を添えながらクスクスと笑った。


「ありがとうございます。桃衣はいつもリアクションが良いので、僕も作り甲斐がありますよ。」

「えー?えへへー。もんちゃんの奥さんにしてくれたら、毎日朝から晩までベストリアクションお届けするよー?」

「ちゃっかり主婦業お前に一任させるつもりだぜ。気をつけろよ、左門。」


左門に上目遣いで熱視線を送る桃衣が、瞬き一つの間に表情を変えて俺を睨み付けた。俺は素知らぬ顔で食前のブレンドコーヒーを啜る。

桃衣は着せ替え人形がそのまま人になったような可愛らしい顔立ちで、胡桃色のロングヘアがよく似合う美人だ。しかしそれを鼻にかけることもなく気さくで愛嬌もあるので、患者や関係業者問わず男性人気がすこぶる高い。しかし、当の本人は2年前からどんな好条件の男からの誘いも全く受け付けなくなった。

理由は、言わずもがなである。


「桃衣ほどの女性なら、家事は自分が一切引き受けると言って求愛してくれる男が沢山いますよ。はい、藤。フライドチキンカレーです。」


一方、左門の方はというと桃衣のアプローチをいつもこんな調子でのらりくらりと躱している。

スラリと長い手足に、シャープなラインの小顔、豊かな睫毛で重たげな眼差しが印象的な彼は、カフェのオーナーというよりランウェイを歩くモデルのようだ。仕事中は細身のカチューシャとヘアゴムで長めの髪をしっかりまとめているが、それが端正な容姿を余計強調している。

加えて物腰も柔らかで料理も美味いとくれば当然世の女性達が放っておくわけがないので、彼にとって甘やかな誘いのあしらいは日常茶飯事なのだろう。

口を尖らせる桃衣を横目に、俺は微笑む左門の手から皿を受けとった。


「いただきます。うん、美味い。」

「ホント…桃衣とは正反対のリアクションで毎度落ち込ませてくれますね、貴方は。美味しいって、それ本当に思ってます?」


左門は目を細めて疑わしそうに問うた。

俺はカレーを無心で頬張りながら、「もちろん」と頷いてみせるが、左門は溜め息を溢す。


「昔、スナックで飲んでいた安酒の方がよっぽど美味しそうにしてましたよ、貴方。」

「そうか?」

「無駄よ、もんちゃん。この男にとって食事は摂るもので、味わうものじゃないから。」

「随分な言われようだなぁ…。」


俺は二人の苦言に苦笑しつつ、手のひらほどもあるフライドチキンに手をかける。

揚げたてのチキンは噛むと外はカリカリ、中は溢れる程の肉汁で満たされている。左門が作ったオリジナルスパイスで下味がつけられたそいつは単体でも十分美味いが、同じく左門独自のブレンドでできたカレー粉を使用したこのスパイシーでキレのある味わいのルーに合わせると、天下一品だ。

大食漢の俺の胃袋が唯一満足できるメニューなので、ラカージュではほぼこのフライドチキンカレーしか食べたことがない。

それでも何度でも食べたくなり毎度オーダーしているので、俺としては左門の料理を最大限評価しているつもりなのだが、どうやらそれでは伝わらないようだ。

黙々とチキンとカレーを交互に貪る俺を見て、左門はやれやれ、と諦めたように呟いて空になっていたグラスに水を注ぐ。


「その食べっぷりだけは見ていて気持ちがいいんですけどね。」

「そいつはドーモ。」

「ホント見た目にそぐわずよく食べるよね、藤君。そこが長谷見さん的には作り甲斐があって良いのかしら?」


桃衣が疑うような目をして俺を見ながら、またリゾットを頬張った。


長谷見の話はメニュー選びを済ませるなり桃衣が、

"もんちゃん聞いてよ!藤君てば飲み屋で仲良くなった長谷見さんって男の人に毎日ご飯作らせてるんだよ!"

などとまるで告げ口のように話して聞かせた為、一応最低限の情報は左門に伝わっている。 

とはいえ桃衣の話は断片的過ぎる上にかなり語弊があるので、左門が調理を終えて落ち着いてから改めて二人に説明をするつもりでいたのである。

丁度よく桃衣がその名を出してくれたので、俺は指についたチキンの油を紙ナプキンで拭った。


「違う違う。長谷見はそれほど料理好きなやつじゃないよ。」

「おや、そうなんですか?」 

「まあ、作るもんは美味いんだけどな。」


俺はカレーを口に入れながら、今朝の朝食を思い浮かべる。

長谷見が作り置きして冷凍していたキャベツの肉味噌炒めと、切り干し大根。作りたての時に比べると劣るにせよ、どちらも食べきってしまうにはあまりに惜しい逸品だった。


「普段から料理をされて手慣れてらっしゃるんですね。」

「そうだろうな。いつも俺が適当に買ってる食材であれこれ作ってくれるし。」

「何その主婦力…長谷見さんて何者?」

「普通にサラリーマンって聞いてる。」

「普通のサラリーマンにそんなスキルある?えっ、まさか、子持ちとか!?」


桃衣の妄想に俺は苦笑しながらそれは無い、ときっぱり否定した。長谷見が独身で一人暮らしであることは会ったその日に聞いていたからだ。

そもそも、妻子持ちの男が毎日友達の家で夕飯を作って食べている状況はどう考えてもおかしい。桃衣もそう思い至ったのか、そりゃそうよね…とあっさり納得した。左門はその様子にクスリと笑う。


「今時じゃ、家庭的な男性というのも珍しくないのでしょう。」

「家庭的ねえ。」

「それで?何でその長谷見さんが藤の所に通い妻をすることになったんです?」


左門が半ば冗談で言ったのであろう比喩は言い得て妙だったが、どうも人聞きが悪いので俺は渋い顔で左門を上目に覗き見た。

左門とはスナックに通っていた頃からの付き合いになるのだが、初対面の時から妙に馬が合ったのでいつしか自然に店員と客という立場を超え、お互い遠慮なく物を言い合えるような知己となっていた。

その為左門はその本性である毒舌を俺にだけは全く容赦なく浴びせるのである。

俺の不服そうな表情を見下ろし、左門は何故か楽しげに鼻で笑った。


「今のはもちろん冗談ですが…客観的に聞いているとそう揶揄したくもなりますよ?相手が友達とはいえ、毎日家に呼んで食事の世話をさせてるなんて状況。」


理路整然と放たれる左門の言葉に、ぐうの音も出ない。

しかし事実とは異なることも確かなので、俺は負けじと反論する。


「確かに長谷見にはうちで飯作ってもらってるけどな、俺が呼んでるわけじゃないぜ。長谷見が仕事終わるとうちに来るから、ついでに一緒に飯作って食ってるんだ。」

「つまり貴方が長谷見さんを呼び立てているのではなく、長谷見さんが藤の家に押し掛けてきてると言いたいんですか?」

「いや、だから、そうじゃなくて…」


どうも上手く伝わらず、俺は苛々して前髪をかき上げる。

そんな俺の様子を見て、桃衣が俺の肩に手を乗せた。


「何かよく分かんないからさ、もう長谷見さんとの出会いから順を追って説明したら?」

「そこからか?勘弁してくれ、昼休憩終わっちまうだろ…。」

「じゃあ、かいつまんで話してください。僕も一応仕事中なので忙しいんですから。」

「そーよ、もんちゃん忙しいんだから早く早く。」


二人からの理不尽な催促にげんなりしながら、俺はフライドチキンにかぶり付く。

その軟骨をわざと奥歯でゴリゴリ言わせながらも、頭では長谷見と初めて出会った日の事を思い浮かべていた。

楽しげに飲んで騒ぐ酔っ払い達の中で一人だけ、大量の空の徳利に囲まれながら黙々とハイペースで酒を呷る不機嫌な横顔。

その光景があまりに鮮明に思い出せるので、よほど印象深い出来事として刻まれているのだなと、左門と桃衣の存在も忘れて俺は他人事のようにそう思っていた。


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