第5話 友達3

文字数 2,449文字

長谷見がうちに来なくなり、昨日で一週間になった。

騒ぐほどでもない日数なのだが、長谷見の休日である土日以外はほぼ毎日のように会っていたので、事前に出張やら仕事の都合で何日間来なくなる、という連絡をもらうとき以外でこんなにキャンセルが続いたのは初めてのことだ。

ついに、長谷見の作り置きのおかずが今朝で品切になってしまった。長谷見が来ないと、我が家の冷蔵庫は一気に閑散とする。

納豆2パックと卵1個、先日のあまりのキャベツ1/4、あとは飲みかけの牛乳と、ビール2本。

開けた扉から漏れ出す冷気と淡いオレンジ色の光が余計物寂しさを増長させて、自然に溜め息が出た。


「…夜はコンビニにするか。」


項垂れながら呟いて壁掛け時計を見ると、そろそろ仕事に出掛けなければならない時間だった。

立ち上がってダウンジャケットを着込み、ネックウォーマーを頭から通す。今日は1日曇り空で、気温も初冬なみに下がるとスマホの天気予報が教えてくれたので念入りに防寒をした。

俺の職場である三武調剤薬局は、家から歩いて15分程。愛車の古びたママチャリなら10分かからないくらいの場所にある。
丁度長谷見の職場と同じくらいの距離だと思うのだが、通勤中にそれらしい人物とすれ違った覚えはないので、通勤ルートが違うか時間が合わないかのどちらかだ。

長谷見との付き合いが始まって半年、俺たちは互いに勤め先も生活時間も厳密には知らない。俺に至っては、長谷見がどこに住んでいるのかすら知らなかった。

特にそういう話題を上げるタイミングはなかったし、実際それらを知らずに困ったこともないので、気にしたことがなかったのである。


「え、それってホントに友達なの?おかしくない?」


同じ薬局に勤める事務員の桃衣が、錠剤をバラす俺の背後で両手に抱えた納品をデスクに置きながら言い放った。

桃衣はこの小さな薬局の局長の娘で、調剤補助をしながら事務仕事を一手に請け負う心強い同僚の一人。桃衣は俺より歳は3つほど下だが、薬剤師と補助員として調剤室業務を組むことも多い為、同僚ながら気の置けない関係だ。

そんな彼女がいつものノリで雑談をふり、俺が仕事の片手間に応答しているといつの間にか長谷見の話になっていたので、俺たち二人の関係を簡単に話したところ、この反応である。


「おかしいか?今までだって友達の職場なんか一度も聞いたことないぜ?」

「藤君の言ってる友達ってさ、飲み屋で仲良くなった行きずりの人達のことでしょ?」

「行きずりってお前…」

「でもその長谷見さん?毎日家に来て一緒にご飯食べてるのに職場も知らないって…ありえないでしょ。」


手際よく納品の梱包を解いて、棚にPTPシートやら軟膏やらを次々と振り分けながら、桃衣はハッキリと言いきった。

俺もまた黙々と手を動かしつつ、彼女の理論に異議を申し立てる。


「さすがに毎日は来てないぞ。週に3、4回くらいだし。」

「週休2日制で週3、4回ならもう毎日と言っていいわよ。ていうかそこはどうでもいいの。問題はそんな友達かどうかも怪しい関係の人家に上げて、あまつさえ食事を作らせてるっていう状況だから。」


俺は一瞬だけ作業を止めて虚空を見つめ、桃衣の言葉を脳内で反芻しあー、と曖昧な返事をした。

すると、背後から溜め息が聞こえてくる。顔は見えないが、恐らく桃衣は心底呆れたと言わんばかりの目をして俺を睨んでいるに違いない。


「前々から思ってたけど、藤君て人付き合いの仕方特殊過ぎ。連絡先交換もしてない人の家で一晩明かしたとか、名前も知らない人と突然旅行行ったりとか。」

「連絡先は別に必要なければ交換しなくたって仲良くできるし、名前はあだ名が分かれば十分機能するから困らなかったぞ。」

「だからぁ…」


そういう問題じゃないっつーの、と桃衣は苛ついた声で言い、俺の頭を何やら平たいもので小突く。振り返って桃衣を見ると、さっきまで薬剤達が入っていた箱が小さく畳まれたものを持っていた。

先程運んでいた大量の納品を全て薬剤棚に振り分け終えたらしい。


「補充ご苦労さん。さすがに速いな。」

「まあね。そっちも終わりそう?」

「ああ、あとは分包と確認だけ。」


俺はばらした錠剤の入った皿を持ち、薬匙で錠剤を一粒ずつ皿から滑らせるようにして分包機の錠剤マスに入れていく。

今日日調剤も機械化が進んだとはいえ、まだまだ薬剤師の手作業や目視による確認が必要な部分は多い。

それ故、午前最後の調剤がこの錠剤2種、14日分の処方というのは作業負担がかなり軽くて助かる。内容によっては錠剤をシートからばらすだけでも骨が折れるし、確認作業も煩雑を極めるからだ。

特に疲れが出てくる昼飯時や閉店前は、極力易しい処方内容にしてくれと医師に頼み込みたいくらいだが、そんなものはこちらの都合でしかないので割り切る他ない。

淡々と分包機の操作をこなしている俺の横で、桃衣がバットに薬袋や薬剤情報など患者に手渡すものを一式まとめた。

桃衣は薬剤師が確認作業を終えたらすぐ患者に薬の説明ができるよう、いつもこうして用意をしておいてくれる。彼女はこういう気遣いも優れているので、うちでは調剤補助員として特に重宝されていた。



「そ。じゃ、薬情とかここ置いておくから。その人のお会計終わったらお店閉めてお昼食べに行こ。」

「ああ、ありがとな。」

「ラカージュで食べながら、その長谷見さんて人の話もう少し詳しく聞かせてよ。もんちゃんにも聞いてもらいたいから。」

「うん?」


桃衣はそう言って、俺の返事も聞かずに調剤室を後にした。

俺はたった今分包機が設定された数の薬を全て作り終えたのでこれから確認作業をしなければならないし、当の桃衣はカウンターで愛想よく接客中なので完全にランチの場所に異議を唱えるタイミングを失った。

しかし、どの道桃衣はこうと決めたら頑として動かないのでラカージュでのランチは不可避だろう。

ひょんなことから妙な展開になってしまい何とも言えない気持ちになりながら、俺は首を鳴らして気を取り直し昼前の最後の仕事に取りかかった。



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