第5話 友達1

文字数 5,501文字

「で?その藤って子とはどういう関係?」

好奇心と何かを期待するような大和の眼差しに、俺は冷ややかな一瞥を返してやる。



第5話 友達



金曜日。 

一昔前は「花」とまで呼ばれ、現代でも休日前の特別な一日として他と一線を画した扱いを受けるこの曜日も、今の俺にとっては何の意味もない。

俺の所属するチームで立ち上げた新プロジェクトが今週から本格的に始動し、ここ最近週末はほとんど残業をしている為、もはや曜日という概念自体があやふやになっているからだ。

今日も今日とて、誰も居なくなったオフィスに籠り書類とパソコンの画面を目で行ったり来たりさせているうちに、終業時間を1時間過ぎてしまった。

いよいよ眼から来る頭痛と肩凝りが激化してきたので、さすがに今日は帰るか、と眉間を揉みほぐしていた頃だ。

営業部にいる同期の大和が、俺を飲みに誘いにやって来たのである。

手土産にわざわざ缶コーヒーを持参していたので、俺は渋々それを受け取り休憩がてら大和の話し相手を務めてやった。

しかし、それが悪かった。

一人でベラベラと取り留めのない話をする大和に対し、疲労困憊の俺はぼんやりとその声を耳に入れながら最低限の受け答えをしていた。

そのうちにどんな会話の流れになったのかは定かでないが、俺は大和に話を振られ、


「先週は藤の家でお好み焼きを作って……」


と、うっかり口を滑べらせてしまったのである。

そうして、冒頭の大和の台詞に繋がるという訳だ。

客観的に聞いても、別に変に勘繰られる程の発言ではないように思う。しかし、受け手がこの男となれば話は別である。

案の定大和はニヤニヤと歯を見せつけて厭らしく笑い、"面白いネタをみつけた"と言わんばかりにその顔を俺に近づけてきた。

俺はそれに苛立ちを隠しもせず、わざと大きくため息をついてやる。


「…言っとくが、藤は男だ。お前が期待するようなことは一切ないぞ。」

「はあ?男ぉ?」


大和は切り揃えられた濃い眉を片方だけ吊り上げ、目を見開いた。

かと思えば急に腑抜けた表情になって、空気が抜けるみたいにそのデカい図体を俺の隣のデスクにもたれかける。


「長谷見…ようやくお前みたいなやつにも人並みの幸せが訪れたかと思って話聞いてりゃ、男って!何だそりゃ!」

「うるさい。お前はただ面白がってただけだろうが、白々しい。」

「あ、バレてた?」


大和は大袈裟に演技掛かった話し方をコロリと変え、しれっとふざけた調子で喋る。

それもまた癇に障るのだが、いちいち相手にしていたらキリがないので、俺は衝動と共にカフェオレを流し込んだ。

大和もまた上体を起こして、ブラックコーヒーを啜る。

少し伸びた顎髭とセットが乱れて所々前髪が垂れ落ちたアップスタイルの頭、くたびれたように見える目尻の下がった顔も相まって、とてもじゃないが同年代とは思えない出で立ちである。

ごくりと音をたて高く隆起した喉仏を上下させた後、あ"ーっとだらしなく声をあげる姿が益々オヤジくさい。


「まあしかしな…お前のこと心配してやってんのは嘘じゃねぇのよ?毎日毎日馬鹿みたいに真面目に仕事ばっかして、ここ最近じゃ毎週残業、休日出勤。長谷見…会社や仕事とはな、どんだけ一緒にいても付き合えねぇしキスもセックスもできねぇんだぞ?」


大和はそう言って呆れたような、憐れむような眼差しを俺に向ける。

言っていることは尤もなのだが、その顔とデリカシーを欠いた言い種が大層不愉快だったので、俺は目一杯の軽蔑を込めて睨み返した。


「言われなくても知っている。俺は俺の責任を精一杯果たす為にこうしているだけだ。誰がそんなことの為に残業なんかするかっ。」

「あーもー、ほんっと冗談通じねぇなぁ…。俺が言いてぇのは、少しは仕事から離れて息抜きしろよってことでしょうが。」

「そうならそうと普通に言え!」

「はいはい、ゴメンねー。はしぇみ君にこのジョークはちょっと難しかったでちゅねー。」


幼児でもあやすように猫なで声で言われてますます腹が立つ。

しかしそうして俺が感情的になればなるほど大和は面白がって調子にのり出すので、俺はいつも振り上げた拳を下ろさざるを得ない。ぶつけ所のない不満が舌打ちになって漏れ出す。

俺が大人しくなると大和はつまらなく思ったのか、ふんと一つ息を吐いてまた椅子の背もたれに背中を重く垂れかけた。

そのまま、俺がデスクに積んでおいた書類を手で取り弄び始める。


「それにしてもお前、そんな仕事ばっかしててよく新しい友達なんかできたね。藤君だっけ?いつどこで知り合ったわけ?」


大和は何の気なしに尋ね、再びコーヒーを口にした。

大して興味もなさそうにこちらの顔すら見ずに話すくせに、一番つつかれたくない部分を的確に当ててくる。本当に小憎らしい。


「…そんなことを聞いて何になる。お前には関係ないだろう。」

「冷たいこと言うなよ。10年来の付き合いになる仲間が、質の悪い輩に捕まってないかって気にかけてやってんだろうが。分かれよなぁ。」

「お前は…本当に息をするように嘘をつくな。」


わざとらしく肩に乗せたられた大和の分厚い手を俺は力一杯振り払った。


この大和という男、営業成績は可もなく不可もなくという程度なのだが、持ち前の社交性と軽妙な話術で社内外の人間から人気があると専らの噂である。

しかし、大学時代からの腐れ縁である俺だけはこいつはそんな生易しい人物ではないことは分かっていた。

愛嬌のある仮面の下は、いつでもゴシップや人の弱味を狙うハンターの顔が潜んでいる。

大和に"面白そう"と感知され巧みに話を引き出されれば最後、どこかの酒の席で肴にされて恥をかくか、悪くすれば社会的立場を失うのである。

我が同僚ながら恐ろしい。

俺が頑として口を割らないので、大和はふむと唸り、角ばった顎に指を添えてみせた。


「さては長谷見、俺がその藤君の話を面白おかしく会社の人間に言いふらすと思ってんだろ。」

「ご名答だ。自覚があるなら少しは自粛しろ。その本性がバレるのも時間の問題だぞ。」

「ひでぇなー。俺が振り撒くのは社内で皆から嫌われてる奴の噂だけだって分かってるくせに。」

「お前"が"、嫌ってる奴だろう。」

「まあ、大体同じじゃん?」


俺がわざわざ強調して言い直した台詞に対し、大和は本気なのか冗談なのか分からない語調で吐き捨てた。

昔から人の好き嫌いが激しい大和だが、嫌悪の対象は大体組織の和を乱す問題行動が多い所謂厄介者なので、その言い分もあながち間違いとは云えない。嫌い方は明らかに行き過ぎているが。


「だぁから誰にも言わないって。俺ぁ長谷見のこと結構気に入ってんのよ?10年以上も付き合っていけてんのお前と華丸くらいだし。さすがに友達の情報は売ったりしねーよ。」

「友達?…華丸はともかく、お前と友達だと思ったことは一度もない。」

「うーわ。ひっでぇの。」


身を乗り出して俺に口を割らせようとする大和を一刀両断すると、大和は口角をひきつらせて俺を睨み付けた。

しかし俺は内心、コイツから「友達」と呼ばれたことに不覚にも少し心動かされてしまっていた。

幼い頃から人付き合いがあまり上手くなく一人で過ごす事が多かったので、幼なじみの華丸を除いて自分にそんな気軽な好意を向けてくれる他者が居るとは思っていなかったからだ。例え相手がこの全く信用できない男だとしても、それなりに嬉しいものである。

そう、"それ"は俺にとって嬉しいことのはずなのだ。


ー自慢の友達だぜ?ー


思いがけないタイミングで、先週の藤の言葉を思い出す。

あの日お好み焼きを食べて別れて以来、211号室には通えていない。

仕事が詰まっていたのは勿論なのだが、別れ際のその言葉が俺の中で何故か引っ掛かっていて、そのせいで藤と顔を合わせるのが気まずくなっていたのだ。

断じて嫌悪感を抱いたわけではないし、否定をするつもりももちろんなかった。しかし、どういうわけか"友達"と藤から呼ばれることに、素直に喜べない自分が居た。

では、何なら良いのか?

そこから先の答えをゆっくりと考えている暇などとれる訳もなく、日々の仕事に忙殺された結果無意識に大和の前でその名を口にしてしまう程疲労と欲求不満を募らせたという訳だ。

現状起こっている面倒な事態が、自分自身の問題に向き合わなかったことが起因かと思うと何ともやるせない気持ちになり、俺はデスクに肘をついて頭を抱えた。



「何急に落ちこんでんだ長谷見?」

「…別になんでもない。ところで今何時だ?」

「あー、そろそろ7時半。」


大和が左腕に巻いた金属製の腕時計を見て答える。雑談を初めてから20分も経ってしまっていた。

俺はため息をつきながら重い体を何とか持ち上げ、広げた書類をまとめ終業の準備を始める。


「お、ようやく終わりか?じゃあ店に電話入れるわ。」

「おい…誰が飲みに行くと言った。俺は帰るぞ。疲れてるんだ。」

「お前はいっつも疲れてるだろー?元気になるの待ってたら来世になるわ。俺に捕まったのが運の尽きと諦めるんだな。」

「大和、お前いい加減に」

「いーじゃねぇか久しぶりにぃ。金曜日だし、華丸も呼んで昔馴染みでやろうぜー。あ、もしもーし、大和だけど。3人で30分後に。いつものとこで頼むわ。」


俺の返事を待たず、勝手に華丸も含めた数の席を電話予約する大和。

こうなってしまってはむしろ直帰する為に大和を撒く方が体力を使いかねないので、俺は自棄糞に後ろ頭をかきむしりながらパソコンのシャットダウン作業にとりかかった。



※※※


大和の行きつけという新鮮な魚介料理に定評のある居酒屋は、金曜日ということでかなり賑わっていた。

その中で一席だけ半個室状態になっている小さな座敷席に陣取れたのは、この時間で予め席を予約していた大和の手柄である。

喧騒が少し遠巻きになった空間で、俺と大和、そして俺たちとは別の会社からの帰りに合流した華丸の3人でテーブルを挟む形で向かい合わせに座った。

個室の入り口側に座った俺は店員からお絞りを受け取り、隣の大和と向かえ側の華丸に手渡し、ビールを3つ注文する。

店員がその場を離れるやいなや、華丸が手を拭きながら「久しぶりだね」と俺に笑いかけた。



「元気にしてた?相変わらず働き詰めなんでしょ?"はせ"は。目の下のクマ、また濃くなったんじゃない。」

「まあな…。そういう華丸も人のことは言えないような状況だろう。」

「まあね。でも、君程根詰めて稼いだりしないよ、僕は。」

「…おい華丸ぅ、俺には元気か聞かねぇのかよー。」

「はあ…大和は相変わらずめんどくさいね。どうせお前は元気だろ?見れば分かるよ。」

「おい、長谷見と温度差つけすぎじゃね?今日の主催者俺なんですけどー。」

「はいはい、どうもご苦労さん。ご飯何にしましょうかねー。」


絡む大和を華麗にいなして、華丸はメニュー表に視線を向けた。

少しずり落ちた赤茶色の太縁の眼鏡を人差し指で直す仕草は、いかにも几帳面なインテリ感があって大手企業の経理という肩書きがピッタリだ。

しかし全体像は、掘りごたつに座っていると俺や大和からはつむじが見えるほど小柄で、さっぱりと短く切り揃えられた色素の薄い髪と丸顔で猫のようにつり上がった目が無性に庇護欲をくすぐる容姿を成している。しかし、先の大和とのやり取りから分かる通り切れ味鋭いコミュニケーションを取るので、決して猫可愛がりできるような男では無いのが実際である。


華丸は暫く考えこんだ後メニューから数品選び、俺にメニュー表を渡した。

俺はテーブルにメニュー表を広げるが、大和は常連らしく「俺はもう決まってるんで」と手で制したので、一人でメニューを目でなぞる。


「それにしても華丸、お前よくこの時間まで会社に居たな。時間外労働断固拒否だからとっくに帰ったと思ってたわ。」

「ああ、やむを得ずね。この春から後輩育成に当てられてるもんだから、まあ、そう思った通りには終んないって諦めてるよ。」

「ほお、華丸が後輩育成か。」

「何だよはせ、その意外そうな言い方。5年目にもなれば、そりゃお鉢も回ってくるだろ。」


俺がメニュー表から視線を外し声を上げると、少し不満げに俺を睨み付ける華丸。

しまったと思い弁解しようとすると、大和が隣で喉を鳴らして笑いだす。


「そりゃお前意外だろうよ。こーんなちんまい教育係、端から見たらどっちが後輩かわかん」


大和の言葉は最後まで発せられることなく、華丸が渾身の力で大和の脛を蹴り上げた衝撃で消された。

狭い掘りごたつから右足を出し必死に蹴られた脛を撫でる大和に俺は憐憫の眼差しを送る。

昔から華丸は幼く見られる容姿が大のコンプレックスなので、彼の前でそれを話題にするのはタブーとされていた。

華丸を知るものにとってはもはや常識となっているルールだが、大和はわざとなのか迂闊なのか未だ華丸と顔を合わせる度にこうして鉄槌を食らわされている。

涙目で華丸に抗議をする大和に呆れ果てていると、店員がビールを運んで来たのでこれ幸いと俺はそれを受け取りそれぞれの席に配った。


「ほら、大和、バカやってないで乾杯するぞ。」

「バカってぇならそっちの馬鹿力の小さい方に言ってくれる!?骨折れたかと思ったんですけど!?」

「うるさいよデカブツ馬鹿。はせ、はい、今日もお疲れーカンパーイ。」

「ああ、乾杯。」

「あ!おい!何普通に二人で初めてんだ!」


大和が泡を食って俺たち二人のジョッキグラスに自身のグラスをぶつけたので、テーブルに数滴ビールが溢れ、大きな水溜まりを作った。

約半年振りに集まったメンバーだが纏う空気感は出会った頃から何も変わらない。自然と無駄な力が抜けて、疲れている筈の体が僅かに軽くなったような感覚を俺は感じていた。




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