第6話 始まり7

文字数 2,890文字

「なあ…本当にこれで作るのか?」


台所の作業台の前に立つ俺の後ろで、藤が不安げに問うた。

俺はそれに、作りますよ、とだけ答え、広げた食材と家にあるありったけの調理道具達を仁王立ちで見下ろす。


料理はからっきし、と言うのは伊達じゃないらしく、藤の台所には本当に最低限の調理道具と調味料しかなかった。

包丁一本と小さな薄いまな板、フライ返しとお玉、直径30センチもない底が深めのフライパンが一つ。

調味料に至っては、サラダ油に醤油、塩と胡椒、そしてふりかけのバラエティーパックのみである。


「これはただの興味本位の質問なので答えなくても良いんですが…。」

「ん?」

「これらで何か、自分で作ったことはあるんですか?」

「そうだな…目玉焼きくらいか?けど、すげぇ焦がしてな。それきり作らなくなった。」


予想以上のパンチのある藤の回答に、なるほど、とだけ答えるのにやや暫くかかってしまった。

現実逃避もそこそこに、俺は口許に手を添え改めて頭を捻らせる。


これだけ制限された状況下で調理をするのは初めてだった。

大学生の時に初めて料理をした時ですら、事前に調べて必要な買い物をしてから挑んだので、こんな事は全くの初体験である。

とは言え、勝手に行った買い物に失敗した挙げ句、無理を言ってここに立たせてもらった手前、さすがにもう一度買い足しに行くとは口が裂けても言えない。

こうなったからにはこの厳しい条件の中でできる料理を、意地でも考えてやる。そう自分を奮い立たせて、意識を集中した。


(メインはやはりうどんだろう。しかし、出汁もなければ具材も野菜ばかり…それじゃあ、味気がなさ過ぎるな。)


できるだけ調理工程が少なく済んで、味付けもシンプルに仕上げられるもの。

それでいて、栄養価も高いものー。

そこでふと、冷蔵庫の中身を思い出して、俺はひらめいた。


「なるほど、これなら…」

「お?何か思いついたのか?」

「ええ。待っていてください、そう時間はかからないと思うので。」


俺は言うなり、買ってきた野菜を数品選んで残し、広げたものを片付けつつ道具のセッティングを始めた。

給湯器からフライパンに半量のお湯を入れて火にかけ、まな板と包丁を一度洗う。選びとった茄子、胡瓜、トマトも水洗いし、各々を一口大の角切りにした。

そうしているうちに、お湯がふっ騰してきたのでうどんの麺を茹で始める。茹で麺なので2分もすれば食べ頃だ。

お湯を捨て、フライパンにそのまま水をいれて麺をさらし粗熱を取る。ザルもないため仕方なく手で軽く振って水切りをし、そのまま丼に突っ込んだ。

次にフライパンの水気を拭き取り、火にかける。鉄板が温まってきたら油を多めに注ぎ入れ、そこで角切りにした野菜達を一気に炒める。

焼き目がついて、水気が出てきたところで醤油、塩、胡椒を適当に振りかけ味付けし、フライパンから直接茹でたうどんの上に乗せる。野菜から染み出たエキスと醤油でできたソースも、麺全体にふりかけた。

仕上げに、納豆と卵を冷蔵庫から取り出す。納豆は付属の醤油と辛子を入れて混ぜ、うどんの真ん中に盛り付けた。


「出来ました。」

「え、もうか?」


台所の隅で俺の調理を観察していた藤が、意表を突かれたように目を見開き、俺の手元を覗き見る。

そこで最後に卵を落とし、梅味のふりかけをかけて彩りを添えた。


「野菜炒めと納豆トッピング付、釜玉うどんです。」


作業台の物を寄せ、丼を藤の方に滑らせた。

熱々の野菜炒めから出る湯気から、醤油の香ばしい薫りが立つ。

それに引き寄せられるように、藤は俺の隣に立ち、真上からうどんを見た。その顔は心底驚いている様子で、俺はそれだけでも内心得意気な気持ちになっていた。


「この短時間で…本当に凄いな、長谷見。」

「急ごしらえで、時間のかからないこんなものしかできませんでしたが…。」

「十分凄いって。え、コレ俺が食って良いのか?」


藤が突然こちらを振り向くので、反射的に心臓が跳ねる。

俺はたじろぎながらもなんとか、どうぞ、と答え、手で促した。

許しを得るなり、藤は俺が納豆を混ぜるのに使った箸を手に取り、その場で立ったまま丼を手に持つ。

箸先を迷わず黄身に入れて、麺に卵を絡ませながら少しずつ納豆と野菜を混ぜる。最後は丼に直接口を付けて、麺と具を掻き込み一気に啜った。

ズルズルッと豪快な音をたてて吸い込んだうどんが、その頬を大きく膨らませる。しかし藤はそんなことはお構い無しで、無心になって咀嚼をした。


そこで初めて、俺は緊張を感じ始める。

思えば、人に料理を振る舞うのは大学生の時以来だったのである。

当時付き合っていた彼女に食べてもらったのだが、その時は可もなく不可もなくという反応だったので、正直なところ自分の料理が客観的に評価されるようなものなのかは、定かじゃなかった。

それ故に、全くの他人である藤がこのうどんをどう言い表すのか、今更ながら意識をしてしまったのだ。


そんな俺の心境を知る由もなく、藤の頬はいつの間にか萎んでおり、代わりにごくりと音をたて喉を上下させていた。


「その、どうでしょう…?」


思わず、神妙な声色で聞いてしまう。

藤はそれに、うん、と頷いてから、再び俺を見上げた。


「美味い。すげぇ美味いよコレ。長谷見お前、マジで天才か?」


ガラス玉のように丸く、キラキラと輝く藤の瞳に捕らえられ、一瞬時が止まったような感覚に陥る。


藤はすぐに俺から視線を外し、また麺を口一杯に掻き込んだ。それからは夢中になって、黙々と食べ続ける。

まだ落ち着かない鼓動を胸に感じながら、俺もまた黙って、藤の食事を眺めた。


自分の作ったもので、人から素直に喜ばれることがこんなにも心を揺さぶるとは思いもしなかった。

俺にとって料理は、ただ自分の健康や節約の為にしているだけの義務に過ぎなかった。それがまさか、こんな形で報われることになるとは。

まさに、青天の霹靂である。

嬉しいやら照れ臭いやら、慣れない感情の処理に俺が胸中慌ただしくしている間に、藤は丼をすっかり空にしてしまった。

それから満足げにゆっくりと息を吐き、両手で丼を額の前に掲げ、ご馳走さまでした、と丁寧に告げる。


「いやぁ、しかし驚いたな…。まさかこの台所にあるもんだけで、こんな美味いもんが作れるとは。長谷見、定食屋とか開けるんじゃないか?」

「お、大袈裟ですよ、さっきから…」


藤が容赦なく褒め言葉を浴びせるのでだんだん顔が熱くなってきて、居たたまれない俺は手でそれを制した。

藤は一瞬きょとんとした表情を見せてから、突然よし!と意気込んで丼をシンクに置く。そして作業台から包丁やまな板も引き寄せて同じようにシンクに入れ出した。どうやら片付けをするつもりらしい。


「いいですよ!片付けも俺がやりますから、貴方はまだ休んでいた方が」

「だぁいじょうぶだよ。長谷見のうどん食ったら元気出た。手料理ご馳走になったんだから、このくらいはやらせろよ。」


そもそもうちの台所だしな、と自嘲するように笑いながら、藤は俺を避けてコンロのフライパンも回収していく。

手持ち無沙汰で立ち尽くすしかない俺だったが、何とはなく心配だったので、その場に留まり藤の作業を見守った。



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