第6話 始まり1

文字数 2,074文字

去年の秋頃、俺は社内コンペに出すプロジェクトのチームリーダーを初めて任されていて、この案件を勝ち獲ることに一人躍起になっていた。

確実な結果を求めた俺は、企画のコンセプトからプレゼンの構成に至るまでほとんど全てを己のアイデアのみでまとめた。当然チームミーティングで意見交換はしていたものの、俺以上に明確なビジョンを持
ち現実化できるレベルにまで考えをまとめてきたメンバーが居なかったのである。

しかしこれにより、実質俺の理想を形作る為のプロジェクトと化してしまい、チームの士気は落ち込んだ。俺はリーダーとしてなんとかチームを盛り立てようと焦り、幾度もメンバー達とぶつかった。

プレゼンは一応完成はしたものの、メンバーへの采配までは間に合わず、結局本番も俺がほぼ一人で発表から質疑応答をこなすことになってしまった。結果、チームワークの不足が直属の上司からの評価に響き、あえなくライバルチームに敗退してしまったのである。

チームメイト一人一人の実力も企画の完成度もライバルチームに決して引けを取らなかった。それなのに、他でもないリーダーである自分がチームの力を引き出すことができず、あまつさえ足を引っ張ってしまったことに、俺は酷く落ち込んだ。

それまで協調性が必要な場面を極力避け、自分一人の努力でどうにかできることしかしてこなかった俺にとっては、人生で初めて味わう大きな挫折だった。

その日、チームメイトが気を利かせて反省会と称した打ち上げを開いてくれたが、俺は彼らと合わせる顔がなくて適当な理由をつけて断り、打ち上げ会場と駅を挟んで反対側の寂れた繁華街に逃げて来た。

目立たない路地裏の小さな居酒屋を選んで店主にありったけの酒を用意してもらい、俺は一人狂ったように自棄酒に興じた。

元々酒には強いので酔ったことはないのだが、この悔しさと情けなさを一瞬でも忘れさせてくれるよう、祈る気持ちで息つく間もなく飲んでいた。

そんな時だ。


「いい飲みっぷりだねぇ、おにいさん。」


いつの間にか、俺が居るカウンター席の隣に座っていた男から、突然声をかけられたのである。



第6話 始まり



初対面にも関わらず、まるで昨日も会ったかのような態度で話しかけてきたその男に咄嗟に返事をすることができず、俺は男の方を向いたまま黙して固まってしまう。

すると、男は唐突にイチ、ニ、サン…と俺の前のテーブルを指差しながら数を数え始めたので、思わずその細長い指の示す方向に視線を向けた。


「ははっ、スゲーや。まだ来てから1時間も経ってないのに日本酒7合も空いてら。」

「…何か文句でも?」


馴れ馴れしいその態度に、俺は少し苛立ちながら努めて冷静に返す。

すると、男はそんな不機嫌な俺に対して満面の笑みを浮かべて見せた。


「文句どころか、俺は感動してるぜ。久々に飲みに来たら、まさかこんな"うわばみ"に会えるとは。」


全面的に威嚇を示したつもりだったのに、男は怯むどころか体ごと詰め寄ってくるので、逆に俺が後ろに引いてしまう。

そこで初めて俺は男の顔をまじまじと見て、思わず息を飲んだ。その顔は今まで出会ったことのない、恐いほど綺麗な女の容貌をしていたからである。

しかし、声と一人称は完全に男のそれなので、状況も相まって俺の脳は完全に混乱状態に陥った。

そんなこちらの様子には一切構わず、その謎めいた人物は距離を詰めたままで俺の顔を覗き込み、キラキラとした目で見つめてくる。


「俺は藤。この辺りでよく一人で飲み歩いてるんだが、アンタみたいに若くて飲める奴に会えたのは初めてだ。」

「あ、ああ、そう。」

「歳は俺と同じくらいか?俺は見たことないが、ここには良く来てるのか?」

「いや、あの」

「なあ、もしまだいけるなら、この後俺と一緒にもう一件行かないか?好きな酒は日本酒か?だったらいい店があるぜ。」


矢継ぎ早に話しかけられるので、俺は答えるタイミングを逃し、あれよあれよと"藤"と名乗る人物のペースに嵌められていく。

人生初の大挫折と、人生で初めて会う人種との邂逅が重なりキャパシティを越えた俺の脳は、アルコールの効果もあってか思考力を完全に失った。

瞬間、俺はカウンターの椅子を押し倒す勢いでその場に立ち上がる。

驚いた様子の藤を見下ろし、俺は溜めこんでいたものを全て吐き出す気持ちで大声をあげた。


「あのな!!ナンパするにしてももっと上品な誘い方をしろ!あと、女が無暗に酒の席で男に声をかけるな!危ないだろうが!」


俺が言い切った後、店内には沈黙が広がる。

しかし一瞬でそれは大爆笑に変わっていた。

藤を始め、カウンター越しの店主や全く関係のない他の席の客達も肩を震わせ笑っている。

状況を理解できていない俺は、1人ポカンと立ち尽くすことしかできない。

すると、涙を浮かべて笑う藤がおもむろに立ち上がり、俺の両肩に手を置いた。

少し離れて面と向かって見ると、思っていたよりその背は高く、肩幅も広い。


「おにいさん、期待させちまって悪いが俺は男だ。」

「は?」

「ま、ナンパってところは否定しないけどな。」


そう言って藤はまた、白い歯を見せて笑った。




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