第6話 始まり4

文字数 1,545文字



※※※

翌週、俺は先日の礼をする為に再び藤の家を訪ねることにした。

藤はあんな調子なので、礼なんか要らないと何度か断ったのだが、俺が頑として譲らなかったので渋々受け取ることを了承してくれた。そして、あの日お茶を飲みながら約束を取り付けたのが、今日だ。

平日なので俺は半日有休をとり、営業時代に得意先への手土産を買うために通ったことのある菓子屋に寄った。酒好きという情報しかほぼ記憶になかったのだが、幸い甘いものは不得手だという話は覚えていたので、酒の肴にもなりそうな塩気のある菓子を選び包んでもらった。

菓子屋を出た後、酒屋にも寄った。酒の好みまでは聞いていなかったので、色々迷った挙げ句、あまり詳しくない俺でも知っている有名な銘柄の日本酒7合瓶と、缶ビールの6缶パックを購入した。

すっかり手土産を揃えてしまってから、さすがに大袈裟すぎか?と両手の荷物を掲げて少し思案したが、その考えは割りとすぐに否定できた。

介抱と一宿の恩に加え、藤には礼を言わなければならないことが、もう一つ増えたからだ。


ーそれは、週明けの日のことだった。

社内コンペを終えて最初の出勤日、俺は意を決してプロジェクトチームのメンバー一人一人に頭を下げて回った。まずは打ち上げに参加しなかったこと、そして、自分の至らなさで迷惑をかけ、良い結果を得られなかったことに対する謝罪だ。

謝ることを決めた時から、俺はどんな責めも受け止める覚悟をしていた。

しかし実際は、皆一様に笑いながら、俺も、私も、悪かったと、自分達の力不足を俺に謝り返したのである。それどころか、俺に対する労いの言葉までかけてくれたのだ。

その時になって漸く、俺はリーダーとしての責任を一人で勝手に抱え込み、その重さで周りが見えなくなっていたことに気がついた。

俺が人生初の挫折と思い悩んでいたものは単なる失敗体験の一つで、それは己が感じているよりも実はずっと小さな出来事に過ぎなかったのである。

そう思い至った瞬間はまさに、目が覚めるような気持ちだった。

しかし、正直それでもまだ、自分自身を責める気持ちは完全に拭いきれずにいた。

そこで、ふと、藤の言葉を思い出したのである。


ー"ごめん"は一回で十分伝わるからさ。長谷見はいつも、そうしていろよー


思いがけず、藤から贈られたその言葉がネガティブに傾いた気持ちをうまく切り替えてくれた。

失敗は引き摺らず、常に次を考えて、やるべきことをする。

それが、"いつもの自分"であることを、俺に思い出させてくれたのであるー。


その感じた恩の大きさを思うと、むしろこの手土産ですら不十分なのでは、とも考えた。

とは言え、相手は一晩酒を交わしただけの関係で、しかも俺は自分の仕事のことは最低限しか藤に話をしていない。藤からしたら知れた事ではないのだと思うと、あまり過剰に贈り物をするのはかえって迷惑かと、思い止まった。

こうして一人脳内で喧々諤々しながら手土産を買い終えた俺は、先週通った藤のアパートへの道のりをタクシーの運転手に伝え、約束の時間丁度に目的地に辿り着く。

この日藤は休日で出掛ける用事もないと言っていたのだが、一応車内で「今から行きます。」とメッセージを送っていた。それに対する返信はなかったが既読はついていたので、俺は211号室のドアの前についてすぐに呼び鈴を鳴らした。

しかし、部屋からは何の応答もない。

訝しく思い、再度鳴らしても同じく無反応なので、俺はスマホを取り出し電話をかけた。

すると、電話口の呼び出し音と共に部屋の中から黒電話を模した電子音が聞こえてくる。ところが、一向にそれが止まる気配がない。


(スマホを忘れてどこかへ出掛けたのか…?)


一瞬そう考えたが、15分程前に事前連絡を確認している人間がそんな行動を取るのは不自然過ぎる。



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