第2話 晩餐会 1
文字数 2,550文字
藤は料理ができない。
その為、俺が仕事から帰ってから晩飯を作り、それを二人で食べるのがこの部屋でのお決まりの過ごし方だ。
「藤…いくら大の男2人で食べるからといって普通こんなの買うか?これじゃあしばらくキャベツ生活しないと食べきれないぞ。」
両手でもまだ余る程の大玉キャベツを冷蔵庫から取り出し、俺は右隣に居る藤に向かってぼやいた。
料理をしない代わりに藤には食材調達を一任しているのだが、時々こうして規格外のものが入っているのでその度頭を抱えさせられる。この家の冷蔵庫といったら俺の腹より少し上くらいの背丈しかないサイズなので、冷凍保存も易々とできないからだ。
どうしたものかと、憎々しくも瑞々しいその巨大キャベツを凝視しながら顎に手をかける。すると、藤はまあまあ、と宥めるように言って俺の肩を軽く叩き、
「俺は別にそれでもいいぜ?同じキャベツでも長谷見の飯なら全部美味いだろうし。」
そう悪びれもなく言い放ちやや首を傾げて笑って見せた。
雪原を思わせるまっさらな紙の上に、薄墨で引かれた絹糸のような線で端整に描かれた絵画。藤の顔は、例えるならばそんな繊細な美しさを持っている。
オーバーサイズ気味の白シャツから透ける華奢な首筋と骨格も相まって黙っていればスレンダーな女性と見間違う程なのに、それに反して話し声は腹の底から振動するように低い。
そのアンバランスさがなんとも言えない不思議な色気をこの男に纏わせていた。
そんな人物から不意に微笑まれると毎回不本意にもその顔に見惚れてしまう。俺はその度何故か己を責める気持ちになるので、抗うように眉間に力を入れた。
「そう睨むなよ。俺は本気でそう思ってんだぜ?」
俺の顔を見た藤は、困ったように言った。
在らぬ誤解を生んでしまったことに気付き俺が咄嗟に弁解しようと口を開いたタイミングで、アナログ感のあるレンジのベル音がキッチンに鳴り響く。
藤はそれを聞くなりパッと俺から視線を外してレンジの扉を開け、「ほいよ。」とおどけた調子で言いながら解凍された豚肉を俺に差し出した。少し端に火が通ったバラ肉から、香ばしい匂いが立つ。
先程までのやり取りがまるで無かったことのように藤があっけらかんとするものだから、俺は小さくため息をついて「どうも。」と無愛想に返しその手から豚肉を受け取った。
藤のこういうマイペースな振る舞いは今に始まったことではないのだが、未だに慣れない。
気を取り直し、俺は大物キャベツ1/4の千切りを完遂させ、先に作っておいた生地の入ったボールを藤に手渡した。
今夜のメニューはキャベツの大量消費を目標にしたお好み焼きである。
「じゃあこのキャベツと冷蔵庫にあるネギ、生地にいれて混ぜてくれ。」
「よし、任せろ。ネギはあの袋に入ってるやつだよな?全部使うか?」
「ああ、全部入れていい。いいか、優しく混ぜろよ。溢さないようにだぞ。」
「わかったわかった。」
俺は少し語調を強めて、念を押した。藤はかなり大雑把な性格なので、それだけの作業にも過保護なくらいの指示を出さねば最悪生地が飛び散って失くなりかねないからである。本人も自覚はあるらしいので、俺の細かい口出しにからっと笑って答えた。
藤が生地を混ぜる間に、俺はフライパンと油を用意して、コンロに火を着ける。薄く油をしいたフライパンに徐々に熱気が立ち込めた。
「生地、これでいいか?」
左隣で作業をしていた藤が生地の入ったボールを俺の方に少しだけ寄せてきた。
中を見ると山盛りのキャベツの千切りとみじん切りされたネギが凡そ均等に生地に混ざっている。生地の量も減っていないようなので、どうやら俺の注意をきいて律儀に作業してくれたらしい。
「お前にしては上出来だな。」
「そいつは良かった。じゃああとは長谷見先生の腕次第、ってわけだな。」
俺がわざと嫌味を言うと、藤は不敵に笑って言い返しながら生地の入ったボールを手渡してきた。不意に煽られ、俺は大人気なく眉をひそめる。
さらに藤は一歩俺に近づき腰をシンクにもたれかけフライパンを覗き込んだ。柔らかい光を灯したような艶のある黒髪がさらりと落ちて、その横顔を覆い隠す。そこから少し透けて見える白い頬や骨張った顎のラインが妙に扇情的で、俺の胸の内はまた苛立ちにも似た感情に苛まれた。
煩悩を振り払うように、俺はキャベツで少し硬さを持った生地をフライパンに一気に流し入れる。
フライパンの直径から一回り小さめの円形に生地を成型し、その上に豚肉と刻んだ紅しょうがをかける。これは、先週作った焼きそばに使った余り物だ。揚げ玉はさすがになかったので割愛。
ジュウッと生地が焼かれる音ともに
漂う芳香が空腹を誘った。
「よし…そろそろひっくり返すか。」
「お、ついに見せ場だな。でかく作ったからなぁ、大丈夫かぁ?長谷見ー。」
「おい、プレッシャーかけるな。」
「長谷見、そういう状況好きだろ?」
図星を突かれて返す言葉を失くす。
右手にフライ返し、左手に木べらをもち、それぞれを生地の下に差し入れる。誰もが緊張するであろうこの瞬間。俺も藤も例外ではなく、二人とも何となく無言になった。
自分の中でタイミングを見計らい、両掌にグッと力を込めて、手首を柔らかく返す。同時に宙でクルリと反転した生地は、見事崩れることなく再び鉄板の上へと着地した。
「おお!さすがだぜ長谷見、完璧だ!」
「ふん、このくらい当然だ。」
「な?俺のプレッシャーが効いただろー?」
「馬鹿言え、これは俺の元々の実力だ。」
「あははっ、そーかもな。」
大口を開けて笑い、藤はご機嫌に鼻歌を歌いながら俺から離れ、使用済みの器具を洗い始めた。
自分で言うのもなんだが、昔から不遜な物言いのせいで他人からの反感を買うことが多い。しかし藤は出会ってから今まで、そんな俺の言動に対しつっかかったり嗜めたりなどということは一度もしたことがない。それどころか、今のように笑い飛ばしてくる始末である。
最初はそれが嫌味かとも思ったが、藤のことを知っていく内にどうやらそうではないらしいと思うに至った。おそらく、藤の大雑把な性格は他人に対するおおらかさという長所にもなっているのだ。
自分のネガティブな部分も許されていると感じる藤との時間はとても心地よく、俺にとっては仕事で荒んだ心を癒す唯一無二の時間だ。
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その為、俺が仕事から帰ってから晩飯を作り、それを二人で食べるのがこの部屋でのお決まりの過ごし方だ。
「藤…いくら大の男2人で食べるからといって普通こんなの買うか?これじゃあしばらくキャベツ生活しないと食べきれないぞ。」
両手でもまだ余る程の大玉キャベツを冷蔵庫から取り出し、俺は右隣に居る藤に向かってぼやいた。
料理をしない代わりに藤には食材調達を一任しているのだが、時々こうして規格外のものが入っているのでその度頭を抱えさせられる。この家の冷蔵庫といったら俺の腹より少し上くらいの背丈しかないサイズなので、冷凍保存も易々とできないからだ。
どうしたものかと、憎々しくも瑞々しいその巨大キャベツを凝視しながら顎に手をかける。すると、藤はまあまあ、と宥めるように言って俺の肩を軽く叩き、
「俺は別にそれでもいいぜ?同じキャベツでも長谷見の飯なら全部美味いだろうし。」
そう悪びれもなく言い放ちやや首を傾げて笑って見せた。
雪原を思わせるまっさらな紙の上に、薄墨で引かれた絹糸のような線で端整に描かれた絵画。藤の顔は、例えるならばそんな繊細な美しさを持っている。
オーバーサイズ気味の白シャツから透ける華奢な首筋と骨格も相まって黙っていればスレンダーな女性と見間違う程なのに、それに反して話し声は腹の底から振動するように低い。
そのアンバランスさがなんとも言えない不思議な色気をこの男に纏わせていた。
そんな人物から不意に微笑まれると毎回不本意にもその顔に見惚れてしまう。俺はその度何故か己を責める気持ちになるので、抗うように眉間に力を入れた。
「そう睨むなよ。俺は本気でそう思ってんだぜ?」
俺の顔を見た藤は、困ったように言った。
在らぬ誤解を生んでしまったことに気付き俺が咄嗟に弁解しようと口を開いたタイミングで、アナログ感のあるレンジのベル音がキッチンに鳴り響く。
藤はそれを聞くなりパッと俺から視線を外してレンジの扉を開け、「ほいよ。」とおどけた調子で言いながら解凍された豚肉を俺に差し出した。少し端に火が通ったバラ肉から、香ばしい匂いが立つ。
先程までのやり取りがまるで無かったことのように藤があっけらかんとするものだから、俺は小さくため息をついて「どうも。」と無愛想に返しその手から豚肉を受け取った。
藤のこういうマイペースな振る舞いは今に始まったことではないのだが、未だに慣れない。
気を取り直し、俺は大物キャベツ1/4の千切りを完遂させ、先に作っておいた生地の入ったボールを藤に手渡した。
今夜のメニューはキャベツの大量消費を目標にしたお好み焼きである。
「じゃあこのキャベツと冷蔵庫にあるネギ、生地にいれて混ぜてくれ。」
「よし、任せろ。ネギはあの袋に入ってるやつだよな?全部使うか?」
「ああ、全部入れていい。いいか、優しく混ぜろよ。溢さないようにだぞ。」
「わかったわかった。」
俺は少し語調を強めて、念を押した。藤はかなり大雑把な性格なので、それだけの作業にも過保護なくらいの指示を出さねば最悪生地が飛び散って失くなりかねないからである。本人も自覚はあるらしいので、俺の細かい口出しにからっと笑って答えた。
藤が生地を混ぜる間に、俺はフライパンと油を用意して、コンロに火を着ける。薄く油をしいたフライパンに徐々に熱気が立ち込めた。
「生地、これでいいか?」
左隣で作業をしていた藤が生地の入ったボールを俺の方に少しだけ寄せてきた。
中を見ると山盛りのキャベツの千切りとみじん切りされたネギが凡そ均等に生地に混ざっている。生地の量も減っていないようなので、どうやら俺の注意をきいて律儀に作業してくれたらしい。
「お前にしては上出来だな。」
「そいつは良かった。じゃああとは長谷見先生の腕次第、ってわけだな。」
俺がわざと嫌味を言うと、藤は不敵に笑って言い返しながら生地の入ったボールを手渡してきた。不意に煽られ、俺は大人気なく眉をひそめる。
さらに藤は一歩俺に近づき腰をシンクにもたれかけフライパンを覗き込んだ。柔らかい光を灯したような艶のある黒髪がさらりと落ちて、その横顔を覆い隠す。そこから少し透けて見える白い頬や骨張った顎のラインが妙に扇情的で、俺の胸の内はまた苛立ちにも似た感情に苛まれた。
煩悩を振り払うように、俺はキャベツで少し硬さを持った生地をフライパンに一気に流し入れる。
フライパンの直径から一回り小さめの円形に生地を成型し、その上に豚肉と刻んだ紅しょうがをかける。これは、先週作った焼きそばに使った余り物だ。揚げ玉はさすがになかったので割愛。
ジュウッと生地が焼かれる音ともに
漂う芳香が空腹を誘った。
「よし…そろそろひっくり返すか。」
「お、ついに見せ場だな。でかく作ったからなぁ、大丈夫かぁ?長谷見ー。」
「おい、プレッシャーかけるな。」
「長谷見、そういう状況好きだろ?」
図星を突かれて返す言葉を失くす。
右手にフライ返し、左手に木べらをもち、それぞれを生地の下に差し入れる。誰もが緊張するであろうこの瞬間。俺も藤も例外ではなく、二人とも何となく無言になった。
自分の中でタイミングを見計らい、両掌にグッと力を込めて、手首を柔らかく返す。同時に宙でクルリと反転した生地は、見事崩れることなく再び鉄板の上へと着地した。
「おお!さすがだぜ長谷見、完璧だ!」
「ふん、このくらい当然だ。」
「な?俺のプレッシャーが効いただろー?」
「馬鹿言え、これは俺の元々の実力だ。」
「あははっ、そーかもな。」
大口を開けて笑い、藤はご機嫌に鼻歌を歌いながら俺から離れ、使用済みの器具を洗い始めた。
自分で言うのもなんだが、昔から不遜な物言いのせいで他人からの反感を買うことが多い。しかし藤は出会ってから今まで、そんな俺の言動に対しつっかかったり嗜めたりなどということは一度もしたことがない。それどころか、今のように笑い飛ばしてくる始末である。
最初はそれが嫌味かとも思ったが、藤のことを知っていく内にどうやらそうではないらしいと思うに至った。おそらく、藤の大雑把な性格は他人に対するおおらかさという長所にもなっているのだ。
自分のネガティブな部分も許されていると感じる藤との時間はとても心地よく、俺にとっては仕事で荒んだ心を癒す唯一無二の時間だ。
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