14.少女の話-かえりみち

文字数 2,892文字

「××ちゃん、まだ帰らないの?」
 先生が言います。なので私はうなずきました。
「もうすこし勉強したいから」
 ほんとうは、少しだけうそでした。
 お家がさびしいからです。
 お父さんとお母さんは、夜にならないとかえってきません。
 ごはんはあります。
 たまにおばあちゃんがきてくれます。
 でも、お家の私はたいてい一人です。
 おしごとがお城になってから、ふたりともかえるのが難しくなったって言っていました。最近は、夜になってもかえってこない日もあります。
 私は一人で眠るのも、なれっこなので平気です。さびしいけれど、大丈夫です。
 勉強をしておけば、お母さんはかえってきた時にたくさん褒めてくれます。
 だから、さびしい時は。
 いつもよりたくさん勉強するって、私はきめていました。
 お母さんも、お父さんもお仕事をがんばっているのだから。
 私がさびしいなんていうのは、ずるくてはずかしいことだから。
 だからちゃんと、私はがまんできます。
 先生が私のとなりにすわります。私の家のことをしっている先生は、さびしい? なんて聞きません。
 それは私にはうれしいことでした。
 さびしい? って聞かれたら、そんなことないです、ってこたえないといけなかったから。
「...そうだ! ××ちゃんは、好きな人とか居ないの?」
 ふしぎなしつもんでした。
 私は先生の顔をみます。そういえば、先生はさいきん結婚した、っていっていましたっけ。
「先生、意味がわからないんですけど」
 先生の言いたいことがわからないままこたえたので、私も変なこたえかたをしてしまいました。
 私の顔をみて気持ちがつたわったのか、先生は眉をよせて、あやまるときの顔をします。
「ごめんなさい、でももし××ちゃんに好きな人ができたら、真っ直ぐ帰る気になるのかなー、なんて思って。先生変なこと言っちゃったわね。確かに××ちゃんにはまだ早い話だったわ」
 私をなぐさめるために言っているのはわかります。
 でも、先生にバカにされたような気がして、私はちょっと怒りました。読んでいた本を強めに閉じて、先生をじっとにらみました。
「好きな人って言いますけど、先生の言う好きな人ってなんですか? 結婚あいてのことですか? 私、お父さんもお母さんも、おばあちゃんも大好きです」
 私が先生をひなんするようにそう言うと、先生は困ったように首をかしげます。うーん、と少しうなって考えたあと、私に答えました。
「結婚相手、って限定するわけじゃないわ。ただそうねぇ......何をしていても、考えないようにしても、心に顔が浮かんでくる人。その人を思うと苦しくなったり幸せになったりする人......かしら?」
 ちっともいみが伝わらない言葉です。
 先生は大人なのにせつめいがへただ、と私はまたおこりました。
 そして、私はあきれて言います。
「先生、そんな人なら私、もういます。ひとじゃないけど」
 先生は驚いたように私の顔をじっと見て、その後ににっこりと笑いました。
 私は私でびっくりしました。
 だって、私は先生の説明のへたさをおころうと思ってたからです。
 こんなこと、言うつもりじゃなかったのに。自分の言葉に、自分でおどろいていました。

 空がオレンジ色で、きれいです。
 かえりみち、私は自分の影をおいかけます。一歩すすむと、影も一歩すすみます。
 おいつけない自分をおいかけながら、私はさっきの言葉を思い出していました。
「......そんな人なら、もういます」
 誰のことでしょう。自分で言ったのに、誰のことか私にはわかりません。
「心にうかんでくる...くるしくなる...」
 そんな人がいるとすれば、あの、豚さんを責めなかった――
「...っ!」
 おもいっきり頭をふって、その顔を追いだします。考えたらイライラしてしまうから。
 あんなまちがった狼さんのこと、はやく忘れてしまいたいから。
「あんな狼さんなんか、好きなわけないもん。お母さんがみたらぜったいおこる。まちがえてるから」
 イライラしたので、私は足もとの石をけりました。けってからあまりよくないことだったなとはんせいしましたが、とにかくイライラしたのでしかたありません。じゃないと叫びだしそうでした。
 石の転がっていく先を見ると、そのもう少し先にひらけたおはなばたけが見えました。
 きゅうてい服をきた王子さまが、きれいなお姫さまを抱きしめています。周りにはほかにも着かざった人たちがいて、ひと目で物語のとちゅうなんだとわかります。
 いけない、じっと見ていたら怒られてしまいます。私は間違えて石が当たらなくてよかったと思いながら、急いで横を通りすぎるごとにしました。足音がうるさくないように、気をつけながら。
 どんな物語なのかはわかりません。けれど王子さまは、お姫さまを抱きしめてとても幸せそうでした。
『ああ、林檎の毒から目覚めて本当に良かった! 姫、私は貴女を愛してしまった。これからはずっと、私が貴女を守りましょう!』
 お姫さまはうなずき、王子さまの首に腕をまわしてこたえます。
『嬉しいわ、王子様! どうか、私をお城に連れていってください』
 愛しあう二人の、しあわせそうな言葉。
 その横を、みえないもののふりをして、私はそっと通り過ぎました。

 しばらく歩くと、もう王子さまやお姫さまたちの声はきこえなくなりました。私はほっとしてため息をつきます。
「......『ずっと、あなたをまもります』かあ」
 好きな人をまもっていく。
 それって幸せなんでしょうか。ずっと。
 それって先生が言うとおり、寂しくないことなんでしょうか。
「ずっと、あなたをまもります...」
 私の家までもう少しです。少し歩くのをはやくして、私は家にむかいます。
 謝っている狼さん。
 泣いている豚さん。
 悲しそうな、でもなんとか笑った顔。
 思い出すたびイライラする顔。
「ずっと、あなたをまもります......!」
 お母さんのえがお。
 寂しくなくなるって言う先生。
 イライラする、イライラするほど優しい、狼さん。
 私はとうとう走りだしました。
 胸がどきどきします。心臓があばれます。
 顔があつくなって、なんだかおかしくて楽しくて、笑いそうになってしまいます。
「ずっと、ずっと......」

 私は家にたどり着くと、扉を開けて入りました。誰もいなくて少し暗い部屋。私はランプに明かりを灯すと、こらえきれなくて声を出してくすくす笑いました。
「ずっと、あなたをまもります、だって。ふふっ」
 だってもし、あの狼さんにそう言えたら、なんてそうぞうしたら。それはとても、嬉しいことのように思えたのです。
 そう伝えられたら、この暗い家にだって、先生の言うとおりにまっすぐ帰れる気がしたのです。
 狼さんにそう言えたらと考えると。泣き笑いの狼さんの顔を思い出しても、ちっともイライラなんてしなかったのです。

 狼さんをまもれる私も、寂しくなんかない。とても素敵だと思えたのです。

 きっかけである事すら忘れてしまった。
 その感情は恋と呼ぶのだと、気づくどころか知りもしなかった。
 すこし昔の、私のできごと。
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