22.獣と姫の物語-エピローグ
文字数 2,301文字
姫は駆け出しました。
階段を、転びそうになりながら。
「......ああ、もう!」
邪魔になったガラスの靴を、脱いで手に持ちます。
はやる気持ち。
胸がどきどきします。心臓があばれます。
顔があつくなって、なんだかおかしくて楽しくて、笑いそうになってしまいます。
「待って、待ってくれ、姫!」
振り返ると、王子様が姫を追いかけてきていました。その後ろには、継母とお姉様達。
とても心配そうな顔で、お姫さまの方に走ってきます。
お姫様は王子様が追いつくのを待ちました。急いだせいでしょう、王子様はぜえぜえと苦しそうに息を整えます。
その王子様の手に、お姫様は脱いだガラスの靴を渡しました。王子様は受け取ると、ぽろぽろ涙を流しました。
継母はお姫様を見ると、とても寂しそうに聞きます。
「本当に行ってしまうの? この国にいれば、ずっと幸せでいられるのに」
王子様も、継母も、お姉様も。
この国のみんなが、行かないでとお姫様に願います。
お姫様は少し悲しそうに、でも笑顔で答えます。
「ありがとう。でも私、じっとしていられないわ。だって、彼と約束したんだもの!」
再びお姫様は駆け出します。
こんどは王子様も継母も、お姉様達も。
お姫様を見送る事にしました。
階段を駆け降り、お姫様は待っていた馬車に乗ります。
かぼちゃでできてはいないけど。
馬はネズミではないけれど。
夢は物語とおなじだけ、胸にたくさんつまっていました。
「お願い、出して!」
御者にそう頼むお姫様の手には、一通の手紙が握られていました。
あれから、五年が過ぎた。
大陸の端にある辺境の国。あの国よりは少し寒いここで、僕は細々と暮らしている。
今の僕は、狼ではなく獣だ。
昔は王子だった、獣だ。
決して幸せではないけれど、僕は王子になれたのだ。
ほとんど老人しか住んでいないこの国では、僕のような移住者は有難いと言われた。
僕は畑を手伝い、名産品の織物の作り方も覚えた。時たま他国から帰ってくる若者達は、僕が移住してくれて安心したと喜んでくれた。
老いた両親を守ってくれと、獣の僕を信頼して頼んでくれた。それはとても嬉しいことだった。――この国に居て、喜ぶ人がいる。
狼ではない、僕の居場所がある。
僕が演じている王子は、村の老人に薔薇を渡す代わりに娘を連れてくるように命じた。
けれど、この国には若い娘を演じられる人間はいない。
僕の物語は、もう進まない。
無意味なようにも思えたが、それでも神の心は時たま品を与えてくれるようだった。
この国では物語が行われるのが、一年でたった数回。僕の進まない物語でも、神の心にとっては食料として貴重なのかもしれない。
物語として貢献できない分、僕は国の仕事を人一倍頑張った。
あの国に住んでいた頃の僕と比べれば、とても貧しい生活だ。
けれど、僕は幸せだった。だって――ここでは、狼を演じなくていいのだから。
自分を偽らなくていいのだから。
人を傷つけなくていいのだから。
時たま父からは手紙が来る。
最近は養子を取ったと書いてあった。
選ばれたのは、昔僕が失望させてしまった、あの友人。
僕に謝ろうと国に帰ってきたところ、父が養子を探している事を知って仰天したらしい。
あの時は申し訳ない、帰ってきたらゆっくり話そう。兄弟として話すのは恥ずかしいけれど。
手紙には彼の字でそう添えられていた。
それと、父は新しい料理人の見習いを雇ったらしい。三匹の子豚の三男役だった、彼だ。
全く知らなかったが、彼の腕前はなかなかのようだった。父が自慢する程に。
もう少し暖かくなったら、久しぶりにあの国に帰ろうかと思う。
今から楽しみだ。
城の玄関が開く音がした。
「あれっ、今年は早いな...」
僕の住むこの城に来るのは、物語徴集人しかいない。と言っても報告は形だけで、お茶と雑談を楽しむのが主になっているけど。
「今年の報酬はどんなもんかなあ...去年よりは少なくないといいけど、望み薄か...はぁ」
溜め息をつきながら、僕は足音の主を待つ。
けれど、違和感がある。
この国の物語徴集人は一人だけ。
彼は最近足を悪くしたばかりだけれど、何故こんなに軽やかな足取りで......?
「......妙だな?」
僕は首を傾げる。同時に足音の主が部屋の前にたどり着き、勢いよく扉が開いた。
目を疑う。
頭の中が真っ白に染まる。
そこに立っていたのは、一人の美しい女性だった。手には薔薇を持ち、赤いフードを被っている。
絶対に来ないはずの。
獣に愛を与える美女が、そこにいた。
『約束の通り参りました、恐ろしい獣。どうか、これで父をお許しください』
僕はその場に膝をつく。
「ああ.....どうして...」
見ているものが信じられなかった。涙が溢れる。まるで、五年前のように。
彼女は赤いフードをとると、僕に駆け寄る。僕を抱きしめながら、
「だって、約束したでしょ? きっとまたいつか、って」
そう、彼女は言った。
僕は震える手で、彼女を抱きしめ返す。
「ずるいなあ......君は――君はお姫様役の筈なのに、僕よりずっと......王子様みたいな事を......」
涙で顔を歪めながら、僕は必死に彼女に伝える。ふふっ、と笑われてしまった。
懐かしい、彼女らしい笑い方だった。
「さあ、始めましょう。私と貴方の物語を、ここから」
まだこの城は寒いけれど、彼女の赤いフードからは――
あの時の約束の花と、
春の匂いがした。
こうして
王子様になった狼さんと
お姫様になった赤ずきんは
いつまでも仲良く
幸せにくらしましたとさ
めでたし めでたし
階段を、転びそうになりながら。
「......ああ、もう!」
邪魔になったガラスの靴を、脱いで手に持ちます。
はやる気持ち。
胸がどきどきします。心臓があばれます。
顔があつくなって、なんだかおかしくて楽しくて、笑いそうになってしまいます。
「待って、待ってくれ、姫!」
振り返ると、王子様が姫を追いかけてきていました。その後ろには、継母とお姉様達。
とても心配そうな顔で、お姫さまの方に走ってきます。
お姫様は王子様が追いつくのを待ちました。急いだせいでしょう、王子様はぜえぜえと苦しそうに息を整えます。
その王子様の手に、お姫様は脱いだガラスの靴を渡しました。王子様は受け取ると、ぽろぽろ涙を流しました。
継母はお姫様を見ると、とても寂しそうに聞きます。
「本当に行ってしまうの? この国にいれば、ずっと幸せでいられるのに」
王子様も、継母も、お姉様も。
この国のみんなが、行かないでとお姫様に願います。
お姫様は少し悲しそうに、でも笑顔で答えます。
「ありがとう。でも私、じっとしていられないわ。だって、彼と約束したんだもの!」
再びお姫様は駆け出します。
こんどは王子様も継母も、お姉様達も。
お姫様を見送る事にしました。
階段を駆け降り、お姫様は待っていた馬車に乗ります。
かぼちゃでできてはいないけど。
馬はネズミではないけれど。
夢は物語とおなじだけ、胸にたくさんつまっていました。
「お願い、出して!」
御者にそう頼むお姫様の手には、一通の手紙が握られていました。
あれから、五年が過ぎた。
大陸の端にある辺境の国。あの国よりは少し寒いここで、僕は細々と暮らしている。
今の僕は、狼ではなく獣だ。
昔は王子だった、獣だ。
決して幸せではないけれど、僕は王子になれたのだ。
ほとんど老人しか住んでいないこの国では、僕のような移住者は有難いと言われた。
僕は畑を手伝い、名産品の織物の作り方も覚えた。時たま他国から帰ってくる若者達は、僕が移住してくれて安心したと喜んでくれた。
老いた両親を守ってくれと、獣の僕を信頼して頼んでくれた。それはとても嬉しいことだった。――この国に居て、喜ぶ人がいる。
狼ではない、僕の居場所がある。
僕が演じている王子は、村の老人に薔薇を渡す代わりに娘を連れてくるように命じた。
けれど、この国には若い娘を演じられる人間はいない。
僕の物語は、もう進まない。
無意味なようにも思えたが、それでも神の心は時たま品を与えてくれるようだった。
この国では物語が行われるのが、一年でたった数回。僕の進まない物語でも、神の心にとっては食料として貴重なのかもしれない。
物語として貢献できない分、僕は国の仕事を人一倍頑張った。
あの国に住んでいた頃の僕と比べれば、とても貧しい生活だ。
けれど、僕は幸せだった。だって――ここでは、狼を演じなくていいのだから。
自分を偽らなくていいのだから。
人を傷つけなくていいのだから。
時たま父からは手紙が来る。
最近は養子を取ったと書いてあった。
選ばれたのは、昔僕が失望させてしまった、あの友人。
僕に謝ろうと国に帰ってきたところ、父が養子を探している事を知って仰天したらしい。
あの時は申し訳ない、帰ってきたらゆっくり話そう。兄弟として話すのは恥ずかしいけれど。
手紙には彼の字でそう添えられていた。
それと、父は新しい料理人の見習いを雇ったらしい。三匹の子豚の三男役だった、彼だ。
全く知らなかったが、彼の腕前はなかなかのようだった。父が自慢する程に。
もう少し暖かくなったら、久しぶりにあの国に帰ろうかと思う。
今から楽しみだ。
城の玄関が開く音がした。
「あれっ、今年は早いな...」
僕の住むこの城に来るのは、物語徴集人しかいない。と言っても報告は形だけで、お茶と雑談を楽しむのが主になっているけど。
「今年の報酬はどんなもんかなあ...去年よりは少なくないといいけど、望み薄か...はぁ」
溜め息をつきながら、僕は足音の主を待つ。
けれど、違和感がある。
この国の物語徴集人は一人だけ。
彼は最近足を悪くしたばかりだけれど、何故こんなに軽やかな足取りで......?
「......妙だな?」
僕は首を傾げる。同時に足音の主が部屋の前にたどり着き、勢いよく扉が開いた。
目を疑う。
頭の中が真っ白に染まる。
そこに立っていたのは、一人の美しい女性だった。手には薔薇を持ち、赤いフードを被っている。
絶対に来ないはずの。
獣に愛を与える美女が、そこにいた。
『約束の通り参りました、恐ろしい獣。どうか、これで父をお許しください』
僕はその場に膝をつく。
「ああ.....どうして...」
見ているものが信じられなかった。涙が溢れる。まるで、五年前のように。
彼女は赤いフードをとると、僕に駆け寄る。僕を抱きしめながら、
「だって、約束したでしょ? きっとまたいつか、って」
そう、彼女は言った。
僕は震える手で、彼女を抱きしめ返す。
「ずるいなあ......君は――君はお姫様役の筈なのに、僕よりずっと......王子様みたいな事を......」
涙で顔を歪めながら、僕は必死に彼女に伝える。ふふっ、と笑われてしまった。
懐かしい、彼女らしい笑い方だった。
「さあ、始めましょう。私と貴方の物語を、ここから」
まだこの城は寒いけれど、彼女の赤いフードからは――
あの時の約束の花と、
春の匂いがした。
こうして
王子様になった狼さんと
お姫様になった赤ずきんは
いつまでも仲良く
幸せにくらしましたとさ
めでたし めでたし