3.赤ずきんの物語-お婆さんの家で
文字数 1,640文字
そして、いよいよ赤ずきんはお婆さんの家にたどり着きました。
右手にはパンと葡萄酒の入った籠を。左手には、赤ずきんがようやく抱えられるほどの大きな大きな花束を持って。
『よいしょ、よいしょ』
赤ずきんは頑張ります。
籠を引っ張って右肩に寄せると、丸く固めた手の甲で家のドアを叩きます。
とんとん、とんとん。
力が入らないせいで、ノックの音はあまり大きくありません。それでも気がついてくれたのか、中から返事が聞こえました。
『どうぞ、鍵は開いているよ』
お婆さんの声でしょう。
赤ずきんは嬉しくなって、笑顔で扉を開けました。
部屋の隅には天蓋付きのベッド。
真ん中の布団が、小さくお婆さんの形に盛り上がっています。
靴底の鳴る軽い音を立てながら、赤ずきんはベッドに近づくと、隣にあるテーブルに籠と花束を置きました。
『お婆さん、こんにちは。お使いで来たの。パンと葡萄酒を届けにきたわ』
赤ずきんは布団にそう語りかけました。もぞもぞと身体を小さく動かすと、
『まあまあ、ありがとう赤ずきん』
そう答えて、お婆さんは身体を起こしました。
丸い眼鏡をかけたその顔を、赤ずきんに晒します。それを見た赤ずきんは、驚きに目を丸くしました。
『あっ、えっ...お、お婆さん...?』
予想外の事に、視線が宙を泳ぎます。けれど赤ずきんは、何とか言葉を続けようとしました。
『お婆さん、ええと...どうして...どうして目は、そんなに...』
つっかえながら言うそれは、何度も何度も練習したもの。
けれどちっとも上手くいきません。
震えるその唇に、お婆さんはそっと人差し指を当てます。言葉を止めるために。
「赤ずきんや。私がお使いで頼んだのは葡萄酒じゃない、ミルクだったんだ。申し訳ないけれど、一度取りに帰ってもらえるかい? ......お話を続けるために」
そう言うお婆さんの顔は。
目は優しく。
耳は尖っておらず。
口も小さく。
赤ずきんのよく知る、お婆さんのものでした。
「でも、おば......お婆さん。私、それでいいの?」
赤ずきんは戸惑います。それもその筈です。こんな事になるなんて、誰からも聞いていませんでした。
お婆さんの家に着いたのに。
お婆さんがちゃんと待っているなんて。
赤ずきんは、考えていなかったのです。
その肩を優しく、お婆さんは皺の多い手で撫でました。そうして安心させながら、立ち上がるよう促します。
仕方なく赤ずきんは立ち上がりました。テーブルの上の籠は持ち上げ、花束は少し迷いましたが、置いていく事にしました。
不安げな面持ちのまま、何度もお婆さんの事を振り返りながら、赤ずきんは扉の方に向かいます。
お婆さんはベッドの上で。
眉の端を下げた笑顔のままで、赤ずきんを見送ります。
扉を開けて、去る前に。
最後に赤ずきんは振り返ると、お婆さんに聞きました。
「お婆さん......。私、何か間違えた?」
震えた、細い声でした。
お婆さんはかぶりを振って、それを否定します。
「いいや、お前は何も間違えちゃいないよ。ただそう...。少しだけ、行き違いがあっただけ。早く戻りなさい。陽が落ちるまではまだまだ時間がある。大丈夫、間に合うから」
ほっとしたようにため息を吐いて、赤ずきんは去っていきました。パタン、と軽い音を立てて扉が閉まりました。
やれやれと言うように、お婆さんは肩をすくめ。そのまま顔を、部屋の反対側の隅に向けました。
ベッドから一番遠い場所。
春で使われていない、暖炉の中に。
「さあ、赤ずきんは行ったよ。もう出ておいで、そんな所で灰かぶりになっていないで」
お婆さんは言います。数秒の沈黙の後で、
「うう、う、ぐす......」
涙声と布の擦れる音を伴って。
暖炉から這い出てきたのは。
「ごめんなさい、ごめんなさい、お婆さん、赤ずきん......」
灰まみれの顔に涙の跡をはっきりつけて、慌てたせいで帽子を暖炉に置き忘れてしまった。
赤ずきんが森で出会った、あの狼さんでした。
右手にはパンと葡萄酒の入った籠を。左手には、赤ずきんがようやく抱えられるほどの大きな大きな花束を持って。
『よいしょ、よいしょ』
赤ずきんは頑張ります。
籠を引っ張って右肩に寄せると、丸く固めた手の甲で家のドアを叩きます。
とんとん、とんとん。
力が入らないせいで、ノックの音はあまり大きくありません。それでも気がついてくれたのか、中から返事が聞こえました。
『どうぞ、鍵は開いているよ』
お婆さんの声でしょう。
赤ずきんは嬉しくなって、笑顔で扉を開けました。
部屋の隅には天蓋付きのベッド。
真ん中の布団が、小さくお婆さんの形に盛り上がっています。
靴底の鳴る軽い音を立てながら、赤ずきんはベッドに近づくと、隣にあるテーブルに籠と花束を置きました。
『お婆さん、こんにちは。お使いで来たの。パンと葡萄酒を届けにきたわ』
赤ずきんは布団にそう語りかけました。もぞもぞと身体を小さく動かすと、
『まあまあ、ありがとう赤ずきん』
そう答えて、お婆さんは身体を起こしました。
丸い眼鏡をかけたその顔を、赤ずきんに晒します。それを見た赤ずきんは、驚きに目を丸くしました。
『あっ、えっ...お、お婆さん...?』
予想外の事に、視線が宙を泳ぎます。けれど赤ずきんは、何とか言葉を続けようとしました。
『お婆さん、ええと...どうして...どうして目は、そんなに...』
つっかえながら言うそれは、何度も何度も練習したもの。
けれどちっとも上手くいきません。
震えるその唇に、お婆さんはそっと人差し指を当てます。言葉を止めるために。
「赤ずきんや。私がお使いで頼んだのは葡萄酒じゃない、ミルクだったんだ。申し訳ないけれど、一度取りに帰ってもらえるかい? ......お話を続けるために」
そう言うお婆さんの顔は。
目は優しく。
耳は尖っておらず。
口も小さく。
赤ずきんのよく知る、お婆さんのものでした。
「でも、おば......お婆さん。私、それでいいの?」
赤ずきんは戸惑います。それもその筈です。こんな事になるなんて、誰からも聞いていませんでした。
お婆さんの家に着いたのに。
お婆さんがちゃんと待っているなんて。
赤ずきんは、考えていなかったのです。
その肩を優しく、お婆さんは皺の多い手で撫でました。そうして安心させながら、立ち上がるよう促します。
仕方なく赤ずきんは立ち上がりました。テーブルの上の籠は持ち上げ、花束は少し迷いましたが、置いていく事にしました。
不安げな面持ちのまま、何度もお婆さんの事を振り返りながら、赤ずきんは扉の方に向かいます。
お婆さんはベッドの上で。
眉の端を下げた笑顔のままで、赤ずきんを見送ります。
扉を開けて、去る前に。
最後に赤ずきんは振り返ると、お婆さんに聞きました。
「お婆さん......。私、何か間違えた?」
震えた、細い声でした。
お婆さんはかぶりを振って、それを否定します。
「いいや、お前は何も間違えちゃいないよ。ただそう...。少しだけ、行き違いがあっただけ。早く戻りなさい。陽が落ちるまではまだまだ時間がある。大丈夫、間に合うから」
ほっとしたようにため息を吐いて、赤ずきんは去っていきました。パタン、と軽い音を立てて扉が閉まりました。
やれやれと言うように、お婆さんは肩をすくめ。そのまま顔を、部屋の反対側の隅に向けました。
ベッドから一番遠い場所。
春で使われていない、暖炉の中に。
「さあ、赤ずきんは行ったよ。もう出ておいで、そんな所で灰かぶりになっていないで」
お婆さんは言います。数秒の沈黙の後で、
「うう、う、ぐす......」
涙声と布の擦れる音を伴って。
暖炉から這い出てきたのは。
「ごめんなさい、ごめんなさい、お婆さん、赤ずきん......」
灰まみれの顔に涙の跡をはっきりつけて、慌てたせいで帽子を暖炉に置き忘れてしまった。
赤ずきんが森で出会った、あの狼さんでした。