20.狼と少女の話-さよなら、きっとまたいつか

文字数 1,667文字

 まとめた荷物を持ち、僕は森へと続く道を歩く。森を抜ければ街道だ。出てすぐの場所で、馬を借りれることは知っていた。
 道の両側に立つ木々の花は、満開だった。
 春。
 ちょうど、今が見頃な時期だ。

 僕は歩いていく。
 ふと気づけば。先にある森の名前が書かれた看板の横に、一人の少女が立っていた。
 僕の方を見ると、彼女は笑い、手を振る。僕も手を振りかえしながら、彼女に声をかけようとして――彼女の名前を知らないことに、気づいた。
「こんにちは、ええと――」
 僕が口籠もった理由を察したのだろう。彼女はふふっ、と苦笑し、
「赤ずきん、でいいわ。私もまだ狼さんって呼んでいい? ...こう呼ぶと、やっぱり辛いかしら」
 僕は顔を横に振る。辛くはない。
 狼であることは確かに苦痛だった。
 けれど、僕の肉体は狼なのも事実。
 他人が狼と僕を呼ぶのは、当たり前の事だった。
 ――でも、僕の心は狼じゃないんです。
 僕を死に追い詰めようとしていたのは、一言そう告げられない、自分自身だったと気づいてから。
 狼さんという呼び方は、苦痛ではなくなっていた。
 友人のように、戸惑ったり怒る人もいるだろう。
 けれど、諦めずに伝えていくべきだったのだ。先回りして諦めた僕こそ、呆れるほど愚かだった。
「狼さんは、これからどこに行くの?」
 彼女が問う。寂しそうな顔をして。
「僕が狼でなくても、やっていける物語を探しに行こうと思う。どれだけかかるかわからないし、存在するかどうかもわからないけど。頑張ってみたいと思うんだ。僕として生きることを。それは、今までずっと放棄してきたことだから」
 彼女は頷く。

 風に彼女の髪が揺れる。
 散った花弁が、雪のように舞った。

「君はこれからどうするの、赤ずきん」
 僕は問う。
「私は――これからも、この国で物語を紡いでいくわ。きっとこの国で一番の演者になってみせる」
 そうか、と僕は頷く。
 良かった。彼女ならなれる。
 誰よりも幸せになれる。

 それは、本当に嬉しい事だ。

 歌のように、嬉しそうな鳴き声を上げながら。
 二羽の鳥が、仲睦まじく飛んでいる。

 彼女は言葉を続ける。
「そしていつか、貴方を探してこの国に招くわ。どこにいても、いつかきっと。そしてこの国でも幸せに暮らせるようにする。狼さんが――この国でも、狼をやらなくても大丈夫なようにする」
 僕ははにかむ。
 素敵な夢だと思った。

 この国で成長して、彼女は大人になるだろう。素敵な出会いもたくさんあるだろう。
 他の国に行った僕のことも、忘れてしまうだろう。――そう思う。
 彼女がこの国で幸せに暮らしてくれたらいいと思う。
 そしてもし――たまに、『昔はあんな事があった』と僕の事を思い出してくれたら、嬉しい。
 僕が彼女の中で、忌まわしい記憶ではなく、幸せな思い出として風化していけるなら。愛する人の中で、美しい物語として在れるなら。
 それ以上の幸せは、ない。

 暖かな風が吹く。
 土の、草の、花の――春の香りがした。

「とても嬉しいよ、赤ずきん。いつかそんな日が来たら、いいな」
 僕は背筋を正す。
 赤ずきんは、不思議そうな顔で僕を見る。

 僕は、狼として。
 最後に彼女に謝った。

「赤ずきん、僕は君のお婆さんを傷つけてしまった。言葉で許される事ではないけれど、本当にごめんなさい」

 僕は頭を下げる。
 暫くの後に顔を上げると、
「おばあちゃんも無事だったもの。大丈夫、私は貴方を許すわ」
 そう言って、彼女ははにかむ。

 空はどこまでも高く、青くて。
 きっと今夜は、月が綺麗だろう。

 僕は再び歩み始める。
 彼女の隣を過ぎながら、
「さようなら、いつかまた」
 そう告げた。

 彼女も手を振り、
「さようなら、狼さん。きっとまた、いつか」

 そう答えてくれた。

 彼女の言葉を忘れないでいよう、と僕は思った。

 赤ずきんにいつまでも見送られながら、僕はこの国を去った。

 狼であった僕と、僕は別れた。

 約束を胸に。

 幸せを願いながら。

 僕は歩いていく。

 僕の人生を探しに、どこまでも。

 先はわからなくても。

 僕の前に道はあるのだから。
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