10.少女の話-いつかを望む

文字数 2,751文字

 祖母は昔はシンデレラの継母を、歳をとってからは赤ずきんのお婆さん役を演じることが多く、名家の人間ではないけれどそれなりにこの国で名の知れた人だった。
 だから母と話している時、二人の間に物語についての意見の相違があることが、子供心に不思議でならなかった。
 祖母は物語を失敗しても、その人を責めるなと言い。
 母は物語の失敗は責められて当然で、だからこそお前は絶対にするなと言った。
 二人とも物語に対する情熱は同じなのに、どうして違うことを言うんだろう。
 父は昔からあまり家にいなかったが、同席していてもそんな二人を見て静かに笑うだけだった。
 幼い頃は混乱したけれど、私は次第に母の教えを信じるようになった。厳しく、でも物語の楽しさを覚えさせてくれた母。
 自己肯定のやり方を教えてくれた母。
 人として前に進む方法を教授してくれたのだから、その教えに従うのは当然だと思った。

 だから、あの日を思い出すと。
 心が軋むように鳴った。
 それは私の価値観が揺れる音だった。

 三匹の子豚の失敗の日、どう見ても一番周りに謝っていたのは、何も失敗していない狼さんだったから。
『成功したものが失敗させたものを責めるのは当然。むしろ再発防止の為に厳しく責任を問い正すべき』
 それが正しい筈なのに。狼さんは、そうしなかった。
 長男に殴られて血塗れな三男は、放っておけば殴り殺されていてもおかしくなかった。そう思うほどに長男の怒りは極まっていた。
 それを止めたのは狼さんだ。場合によっては巻き添えで殴られてもおかしくない状況で、彼は失敗の元凶に手を差し伸べた。
 子供だった私は、他人が殴られる様子が恐ろしくてただ祖母の後ろに隠れるだけだったけれど。今でも彼の言葉をいくつか覚えてる。

「そんなに彼を責めないでください。聞いていると僕まで辛くなってしまいます。お願いします、僕のためにももう乱暴はやめて欲しいんです」
「この場の後始末は僕がやりますよ。担当の物語徴集人にもきちんと連絡しておきますから。任せてください」
「君だけが悪いと思う必要はないよ。僕も失敗するんじゃないかって緊張で胸が張り裂けそうだった。むしろ君の失敗に助けられたくらいだよ。頬は大丈夫? 薬箱を持ってくるから少し座って休んでいてね」

 彼だけは責めなかったし、彼だけは怒ったりしなかった。ただただ泣きそうな笑い顔で周りのフォローに回っていた。

 思い出して初めは腹が立った。
 なんで三男を責めないのか、なんで一緒になって怒らないのか。だってそうだ。
 ちゃんと成功した人が、失敗した人より謝らなきゃいけないなんて間違ってる。
 損だ、不当だ、認められない。
 今の私があの場所にいたら、狼さんの言葉を遮って怒るのに。
 思い返すたびにイライラするから、敢えて頭に浮かばないように努力していた。そうすればそうするほど狼さんの言葉は私の頭に強く残った。

 次は助けようと思った。
 狼さんがあんな目に合わないよう、会った時にそばに居たら、謝らなくて済むように強くなろうと思った。
 今まで以上に物語の勉強を頑張った。母が私の成長を手放しで褒めるくらいに。
 毎日毎日必死になって勉強した。思い出の中に居る狼さんはまだ助けられないけれど、きっと未来では出来るようになると思った。
 例えこの先ずっと、狼さんと物語を演じる機会がないとしても。
 私の心の中にいるあの時の狼さんは、今の私が助けてみせると、そう決めていた。毎日毎日、狼さんの事を思った。
 毎日、いつか助ける相手の事を想った。

 そして、私が物語本番を迎えるひと月前。
 家に祖母が訪ねて来た。
 久しぶりの再会に喜ぶ私に、祖母は言う。たまたま演じる物語が被った事。ひと月後の本番では、お婆さん役として自分も参加する事を。
 緊張していた私にとって、それはとても嬉しい知らせだった。身近に家族がいてくれる状態で当日を迎えられるのはやはり安心できる。
 そんな素敵な偶然があるのかと不思議に思う。城から帰っていた母の方に視線を向けると、母はいつもより硬い面持ちで私から顔を背けた。
 心の中で小さく笑う。本当に母は不器用な人だ。

 父と母が仕事で城へ出かけた後に、私は久々に長く祖母と話した。
 赤ずきん役は練習してきた物語の中でも得意な部類だから、失敗するような不安はないこと。ただ緊張感は持っていること。それが私の演技にプラスに働いたらいいなと思っていること。
 もしあの時に戻れたら、狼さんを助けれるくらいに立派な演者になると決めていること。
 私は自分でも驚くくらいの熱量で祖母に語った。じっと私の顔を見つめ、時にはうんうんと頷きながら、祖母は真剣に私の話を聞いてくれた。
「なるほど、お前はずっとあの時の事を考えて頑張ってきたんだね」
 私が話し終えると、祖母は納得したようにそう言った。
 私は懺悔を終えた後のような気持ちで安心していた。何故私はここまで努力して物語に取り組んでいるのか、その理由を他人に話したのは初めてだったからだ。無論祖母はそんな事は口にしないだろうが、否定されたり笑われたりするのが少し怖かった。
 祖母は笑顔のまま暫く何か考えていたが、やがて口を開く。
「一つ聞くけれど、どうしてお前は狼さんを助けようと思うようになったんだい?」
 責めるような口調ではなく、単純な質問としての問いだった。が、意味が分からず私は首を傾げる。理由ならさっき伝えたはずだ。
「いいや、そうじゃない。守りたいと思う理由じゃなく、『何故思い出したくないという感情を持っていた相手を守りたいと思うようにお前が変わったのか』。お前の気持ちが変わった、そのきっかけは何だったのか聞きたいなと思って」

 はっと私は顔を上げて祖母の顔を見た。
 祖母はにこにこと静かに微笑んだままだ。

 それは、でも。
 ある日そう思い始めたからで。

 忘れよう、思い出さないでおこうと願う狼さんが、私の心の中で泣いているのが苦しかったからで。

 そんなのは違う、そんなのは間違ってると思ってたからで。

 でも、なんで、
 私は彼を思い出してしまうのだろう。

 再び下を向き、私は考え込む。そんな私の肩にそっと手を乗せると、祖母は優しく撫でながら言ってくれた。
「そう、今は言葉にできないんだね。大丈夫。いつかその訳を思い出す時が来る。そうした時、お前が本当は『物語を失敗した人をどう思うのか』が見つかるといいね」
 とんとんと軽く肩を叩かれる。
 もう見つけた筈の思いが、見つかるといいーー?

 私にはわからない。
 けれど、言葉にできないという事は。

 確かに私は決めかねているのかも知れなかった。
 私の中で母が正しいのか、祖母が正しいのか。
 私は失敗して周りに迷惑をかける存在を、どう取り扱うべきなのかを。
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