19.狼の話-大狼王と

文字数 1,309文字

「申し訳ありません、父さん。お聞きだとは思いますが、僕は大狼王を継ぐことはできません」
 そう言って、僕は頭を下げた。
 足が震える。
 ――どんな罵声を浴びせられても、無理はない。ただ、恐怖だけがあった。
 ずっと騙してきた。亡くなった母の希望も叶えられない。父は跡継ぎ問題も抱えることになる。見つかったとしてもこの国での権力は落ちるだろう。
 殴られるだろうか。殴られても当然だ。歯を食いしばって耐えよう。
 頭を下げたまま、僕はじっと待つ。
 父は大声を上げず、ただ静かに言った。
「狼を演じることができない――心が狼でない者を、跡継ぎにする気は私も無い。既に国内で養子を探す算段を立て始めている。残念だか、お前が無理ならば仕方ない......。それで、これからどうするつもりだ?」
 普段と変わらない口調に、ますます僕の心は恐怖で縮み上がる。逃げ出したがる足を、両手を握りしめてなんとか踏みとどまらせる。
 乾いた舌がもつれそうになるのを、堪えて僕は答えた。
「他の国に行こうと考えています。この国にはなくても、他の国ならあるかもしれないと思うんです。狼でも人を傷つけなくていい物語が――当てはないけれど、探してみたいんです」
 しゅるり、と服の揺れる音がする。重い足音を立てて、父が僕の方に近づいてくる。
 僕はまだ頭を上げない。
 許されていないのに、そんな失礼なことはできない。
 父が僕の目の前で立ち止まる。情けなくも、僕の目の端に涙が滲んだ。思わず目を閉じる。
 父の腕が持ち上げられ、そして僕の頭の上に優しく置かれた。ゆっくりと撫でられる。
「そうか...。わかった。寂しくなるが、お前の希望なら仕方ない。けれど、戻りたくなったらいつでも帰っておいで」
 止めていた息が、漏れた。
 父は何も怒ってなどいなかった。
 騙していたことも――僕が狼ではいられないことも。
 膝から崩れるようにその場に座り込む。恐怖ではなく、安堵感からぼろぼろと涙が溢れた。みっともないと思いながらも、止められない。
 父も膝をつく。僕が堪えきれず抱きつくと、僕の背を赤子にするように優しく叩いてくれた。
「ずっと...ずっと騙してた......ごめんなさい、ごめんなさい父さん.....立派な狼じゃなくて、ごめんなさい...」
 うまく言葉にできない僕を、ただ父は撫でて慰める。僕がまだ子供だった頃と同じように。
「謝るのは私の方だ。お前の気持ちに気づかず、今までずっと狼として育ててしまって、本当にすまない....。大切なお前を、そんなに追い詰めていたと気づけなかったのは私の落ち度だ。情けない父で、申し訳なかった」
 わんわんと泣きじゃくる。
 違うのに、悪かったのは――父は、そして周りは理解なんかしてくれないと、打ち明けることをしなかった僕なのに。
 何度も何度も謝りながら、父は僕を抱きしめてくれた。
「お前は狼として産まれたかもしれない。けれどその前に、大切な私の子供だ。どこに行っても、それだけは忘れるな。そして――たまには手紙をおくれ。待っているよ」
 僕の泣き声が響く、父の書斎。
 暖かな風が、窓の外から流れてくる。
 子供達の笑い声が遠くから、小さく聞こえた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み