15.少女の話-繋いだ手

文字数 1,926文字

 猟師は息を整えてようやく立ち上がると、軽く舌打ちをしながら狼さんを睨む。
「チッ、大の男が泣きながら怒鳴るなよな。説教する気も失せちまったぜ」
 大仰にそう言って溜息をついた。狼さんは泣き崩れたまま答えない。仕方なく猟師は私に話の矛先を変える。
「おい赤ずきん、この狼に何とか喝を入れてやってくれよ。一生話が進まねえぞ。魔法の粉の効果だって一時間もすれば解ける。婆さんの腕がこいつの腹から飛び出してくる、なんて笑えねえ事態の前に、早く狼としての仕事してもらおうや」
 私は視線を下げる。そう、それが当たり前の反応だ。狼がやりたくないなんて、狼が言い出しても仕方がない。
 ましてや今は物語中だ。周りはフォローはできても代わりに演じる事は出来ない。
 私だって猟師と同じように思う。狼さんを何とかなだめ、元気を出させて早く私を丸呑みにしてもらうべきだと。母の教えが身に染みている私は、全力で狼さんを説得しなければならない。
 イレギュラーは当たり前。
 それを超えて、物語を成功に導いてこそ。
 失敗は許されない。
 だから早く、狼さんに狼をさせないと。
 今でずっと、私はそう教えられてきた筈だ。
 私は立ち上がり、猟師に視線を向ける。私の顔を見て、説得の覚悟を持ったのだろうと察したのか、猟師はニタリと笑った。
 そんな彼から視線を逸らさず、私はきっぱりと言う。
「彼にこれ以上狼を続けてもらうのは、私には無理です。鋏を貸してください」
「は、はあぁ!?」
 猟師は信じられないものを見たような顔で口を開ける。私は視線を外すと、狼さんに手を差し伸べる。
 私の言葉が聞こえていたのか、狼さんは目を丸くして私を見上げていた。混乱した様子で、伸ばされた私の手を見ている。
「もう大丈夫。立てる? 狼さん」
 おずおずと彼は私の手を取った。ぎゅっと握り、私は彼の手を引いて立ち上がらせた。
 猟師はそんな私達の様子が目に入らないかのように、言葉を続ける。
「おいおいおい! 赤ずきんも日和った事言い続けてんじゃねえよ! 状況見ろって! あんたも学生とはいえ物語学んできただろ? この国の『春の住民』だろ? 失敗していいって思ってんのか? この仕事放り出す気かよ!」
 猟師の言葉は変わらず、他人への責任追求ばかりで。私は少しカチンときて、強く彼に言い返す。
「失敗が仕事の放棄だと言うのならそうね。確かに猟師さん、あなたの言ってる事は正しい。私達は物語を演じて成功すべきだし、それが生きる糧になるのも学んで知ってる」
 今の生活も。食事も。物語を神の心に捧げてきたからこそあるもので。
 私が彼を想えるのも。彼が今ここに居られるのも。
 祖母が、母が、父が、みんなが、物語を紡いできたからだと。――けれども。
「物語が生きる糧なのだとしたら。私が生きる糧のために、彼が死ななきゃならないなんて。そんなの私は認められない。誰かの心や命が犠牲にならないと得られない糧なんて、それは間違ってると思う」
 言いながら自分でも、どんな詭弁だろうと内心で笑う。
 それは理想論だ。人が、いや、生き物が生き続ける以上、糧は外から得なければならない。目に見える見えないは関係なく、私達は死を糧にして生きている。
 でも、それを彼から得るのだけは嫌だった。彼の心を殺して、私の成功の糧にするのだけは嫌だった。
 狼さんに視線を向ける。彼も私を見ていた。嬉しく思う。

 幼心に、初恋だったのだ。
 ただ彼は優しくて、かっこいいと思った。
 けれど母の教えを守らなければいけない私は、認めようとしなかった。
 気持ちを残したまま、忘れようともした。

 でも、心は変わらなかった。

 本当はずっと寂しかった。
 母と父に早く帰ってきて欲しかった。
 毎晩一人で泣きながら眠り、夢の中でも孤独に震えていた。
 だから帰ってきた母にずっと笑って欲しくて、ひたすらに努力して物語を学んだ。
 辛かった。孤独も、私が間違えると冷たくなる母も、何も言わずに微笑むだけの父も。
 物語のように、いつまでも幸せに暮らしていたかった。

 狼さんを想い、いつかきっと守るんだと願っている時だけは。その寂しさを忘れられた。彼への恋心だけは、私の心をいつも照らしてくれていた。
 もちろん彼が、私のためにそうしようとして三男役を守ったわけじゃない。私が勝手に見て、恋心を抱いただけだ。
 彼も周囲も気づいていない。
 偶然の結果でしかない。
 それでも彼は――両親が居ない寂しさで苦しむ私に目標を与えてくれ、私の心を救ってくれた恩人なのだ。
 だから私は彼を守る。
 例え母の教えに反しても。物語が失敗に終わろうとも。この先の私の人生が暗いものになろうとも。

 彼を守ると、ずっと誓ってきたのだから。
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