12.狼の話-銃口と怒号

文字数 1,629文字

 現れた猟師は、僕に猟銃を向ける。無論それは実際に使用可能なものではなく、猟師を演じるものに貸し出されるただのレプリカだ。
 ただ、銃を向けられるという事実だけで、僕の心には生理的な恐怖が生まれたのも確かだった。
「待って猟師さん、今少し困ったことが起きてるの。お願い、力を貸して」
 淡々と赤ずきんは猟師に告げる。彼女の方が歳下なのは確かなのに、僕なんかよりずっと堂々としていた。
 僕は俯く。目の端に残っていた涙の雫が、ぽつりと地面に落ちた。情けない。
「力を貸せ...とは? 俺はてっきり、頭に血が上った演者が物語をぶち壊しにしようと暴れてるのかと思ったが...」
 猟師は銃を下ろすと、肩をすくめる。嘲笑を浮かべたその顔に、赤ずきんはあくまでも冷静な口調で告げた。
「簡潔に言うわ。お婆さんが、狼さんに飲み込まれた時に怪我をしたかもしれないの。お願い、その鋏を貸して」
 だが、猟師の表情は変わらない。そしてそのまま首を振り、拒否の意思を示した。
「無理だな。赤ずきんが飲み込まれる前に狼の腹を裂けば、その時点で物語は破綻する。赤ずきんが鋏を使うのも筋が違う。それよりも狼が急いで赤ずきんを飲めよ。そうすればすぐにでも俺が腹を裂いて、婆さん役を助けられるんだからよ」
 余りの言い草に、かっと赤ずきんの顔が怒りに染まった。
「状況を考えたらわかるでしょう...? 今の彼はお婆さんを噛んでしまったかも知れないって恐怖で心が竦んでしまっている。その上で彼にまた人を飲めって言うの? 無茶だわ」
 僕の前に立ち、赤ずきんは僕を庇う。その言葉に僕は安心したし、同時にとても惨めな気持ちに陥る。身勝手にも。
 きょとんとした目で猟師は彼女を見ていたが、やがてお腹を抱えて笑い始めた。心底おかしそうにゲラゲラと。困惑し、僕と赤ずきんはお互いに顔を見合わせる。
 ひとしきり笑い終えると、猟師は前傾していた上体起こし、そのままの流れで右手の猟銃を振り上げ――
「いい加減にしろ! 遊びでやってんじゃねえんだぞ!」
 大声で怒鳴りながら、銃底を地面に叩きつけた。ビクッと僕の身体は縮み上がる。
 赤ずきんも目つきそのものは変えていなかったが、驚いたせいか反射的に僕の服の袖を軽く握っていた。
 先程までの口調から一転して、猟師は激昂した強い言葉をまくし立てる。
「さっきから聞いてりゃなんなんだ、子供だと思って聞いてりゃ、つけ上がりやがって! ここは学校じゃない、俺は先生じゃない。今やってるのは国のため、俺達の生活のためにやる仕事なんだよ! 『やりたくないからやらない』なんて勝手な都合は通りゃあしねえんだ!」
 言いながら彼は再び猟銃を持ち上げ、その銃口で僕を指した。
「だいたい何でお前が人を呑めないとかほざきやがる! その顔、俺は知ってるぞ。てめぇあの『大狼王』の息子だろうが! 婆さんが軽く怪我したかも、なんて事で泣き言言ってんじゃねえよ! 女の後ろに隠れてグズグズグズグズと情けねえなあ! 家を継いで、この国一番の狼になるんじゃあねえのか! お前は!」
「......っ!」
 僕の顔がカッと熱くなる。
 だって、その言葉は。
 僕が産まれてからずっと――

 父が、
 母が、
 友人が、
 恋人が、
 講師が、
 自分自身が、

「狼なら狼らしくしろ!」

 ずっと僕の心に、突き刺してきた想い。そのものだったから。

「うるさい」
 前進する。左手で突きつけられた銃口を払い除ける。赤ずきんの手が、僕から離れる。
 猟師に近づくと服の襟を掴む。強く引き上げると、彼の顔が苦しげに歪んだ。いくら体格が良くても、それはあくまでも人間にしてはの話だ。僕の力には敵わない。
 だって僕は、狼だから。彼の言う通り。
「うるさい、うるさいうるさいうるさい!! 何がわかるんだ、あんたに何がわかるんだよ! 僕の何が!!!」
 二十年と少し。溜め込んできた僕の澱。
 憎しみ、怒り、嘆き、悲しみ。
 限界を超えて溢れ出たそれは、もう止めようがなかった。
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