4:4 サウンドトラック・オペレーション

文字数 4,042文字

(4) サウンドトラック・オペレーション
 日米の映画には音楽の挿入の傾向に違いがある。日本では、かなり有名な作品であっても、主題曲を思い出せないことが多い。一方、アメリカ映画は、名作でなくとも、主題曲が思い浮かぶ作品が少なくない。『七人の侍』とそのリメーク『荒野の七人』を比較すれば、明らかだろう。前者の音楽は言われてみなければわからないが、後者はさまざまな場面で引用されてすっかりお馴染みである。

 日本映画は主題曲を作中であまり流さない。特に、近年は内容とほぼ無関係の曲が何らかの事情で主題曲に選ばれており、当然その使用が控えられる。音楽は、概して、BGMの扱いで、シーンの移動をきっかけに挿入されることが少なくない。一方、アメリカ映画は主題曲をさまざまなヴァリエーションで作中の場面に流す。担当者は専門教育を受けている者が少なくないため、オペラのように、音楽による情景や心理の表現に長けている。だから、ジブリは日米の違いを意識して音楽の挿入を変えてそれぞれで公開している。

 佐藤清文はこの音楽の挿入を批評において実践する。それがサウンドトラック・オペレーションである。挿入の意図はアメリカ映画に近い。文章という事情により、引用は主に歌詞である。引用は本文に対する連想を誘引する比喩や註釈、聴覚的イメージの喚起である。これにより作品は広がりを持つ。

 サントラオペは、残念ながら、著作権上の問題があり、使用に関して抑制的である。最もこの方法を用いているのが『Good Morning Revolution』である。これは「自由ラジオ放送」を支持したフェリックス・ガタリに私淑するDJが影響を受けたロビン・ウィリアムズ追悼番組を4時間に亘ってするとい設定だ。放送日は2014年10月30日で、この日はオーソン・ウェルズによるH・G・ウェルズの『宇宙戦争』のラジオ番組から76年目に当たる。ラジオにとっての伝説の日に、ガタリの思想に触れながら、ラジオ論をさまざまな口調で喋り捲る。その際、内容に関係する曲や音声記録を流している。

 同作品のほんの一部を紹介しよう。

 只今より重大なる放送があります。全国聴取者の皆様御起立願います。天皇陛下におかれましては、全国民に対し、畏くも御自ら大詔を宣らせ給う事になりました。これよりつつしみて玉音をお送り申します。

朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ 忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遣範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ 他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵カス如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス
然ルニ交戰巳ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公 各々最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス
加之敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ
是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝國ト共ニ終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク
且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ
惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス
爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル
然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ為ニ大平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ
若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排儕互ニ時局ヲ亂リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム
宣シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

 謹みて天皇陛下の玉音放送を終わります。これは日本において最も歴史的なラジオ放送であります。
 でも、たんに自然発生的なだけじゃだめだよ~。自己組織性がなきゃいけません。アウトノミアってのはこの自己組織性に基づくカオスの体現。自由ラジオの場は均質じゃない主観的な送信者=受信者によって自発的につくり出される多元的でものでね、それを唯一の中心に集約することはできない。資本=情報の論理は、あらゆるものを多様化=細分化するけど、均質性を前提にするでしょ。動かしてみなきゃ、どうなるかわからない量産のラジオを買う?そういうこと。ニュートン的理想の実現化。均質的な多様化は線形的なものでしかない。
 次の曲はラジオに捧げよう。クイーン(Queen)、『ラジオ・ガ・ガ(Radio Ga Ga)』。

I'd sit alone and watch your light
My only friend through teenage nights
And everything I had to know
I heard it on my radio
Radio.

You gave them all those old time stars
Through wars of worlds -- invaded by Mars
You made 'em laugh -- you made 'em cry
You made us feel like we could fly.

So don't become some background noise
A backdrop for the girls and boys
Who just don't know or just don't care
And just complain when you're not there
You had your time, you had the power
You've yet to have your finest hour
Radio.

All we hear is Radio ga ga
Radio goo goo
Radio ga ga
All we hear is Radio ga ga
Radio blah blah
Radio what's new?
Radio, someone still loves you!

We watch the shows -- we watch the stars
On videos for hours and hours
We hardly need to use our ears
How music changes through the years.

Let's hope you never leave old friend
Like all good things on you we depend
So stick around cos we might miss you
When we grow tired of all this visual
You had your time, you had the power
You've yet to have your finest hour
Radio -- Radio.

All we hear is Radio ga ga
Radio goo goo
Radio ga ga
All we hear is Radio ga ga
Radio goo goo
Radio ga ga
All we hear is Radio ga ga
Radio blah blah
Radio what's new?
Radio, someone still loves you!

 ラジオと音楽は関係が深い。ワルター・ベンヤミンの複製技術時代ってのは聞いたことがあってしょ?写真とかレコードとか映画とか複製が簡単につくれる時代が来たってこと。そんで、唯一の芸術作品が発するオーラが消えたってこと。聴いたことあるっしょ?音楽も、それまで音楽聴きたかったら、コンサート会場とかカフェとか、とにかくこっちが行かなきゃいかんっかったわけ。ま、巡礼だわな。でも、レコードがあれな、音楽が来てくれるわけよ。オーケストラがやって来た!オーケストラがやって来た!山本直純!ま、それは電気録音のLPが生まれてからだけどね。
 だけんど、まだ高い。レコードだけじゃなく、蓄音機も要るから。おまけに、買ったもんしか聴けん。そこでラジオよ。局がレコードの曲を流せばいろんなのが聴ける。ラジオを買うコストはレコード買いあさるより安いわな。局は商売だ。個人よりもレコードをたくさん買える。レコーの意義はラジオがあって初めて生きるわけよ。いいかい、料理しながらでも、シッコしながらでも音楽が聴けるんだぜ。そりゃあオーラないわな。こういう時代になりゃ、クラシックよりもポピュラー音楽がウケるのもわかるね。クラシックばコンサートん生演奏前提じゃけどのお、ポピュラー違うけん。レコード録音に力ば入れちょうフィル・シュペクターも出てくるちゅうわけたい。

 引用内で「フィル・スペクター」を「フィル・シュペクター」と言っているが、これは北九州訛りお使っているからである。その発音ではサ行がシャ行になる。

 サントラオペには、障碍者である佐藤清文による本という視覚中心の媒体での批評に対する異議申し立ての意図もあるだろう。暗黙の前提を批判的に吟味することも批評である。
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