3:2 近代批評

文字数 2,562文字

ⅱ 近代批評
 近代文学の評価には、新たな批評が必要である。それは、今挙げた批評家が全般的にそうであるように、主観性に基づく形式でなければならない。そこでエッセイが批評の主流となる。これは「告白(Confession)」の一種であるが、物語性に欠ける。

 告白は「僧侶の文学」であり、伝統的に、「私」を語る。近代的な告白は「私とは誰か」というアイデンティティを探求する。フランス革命の理念に基づくフィヒテ哲学は、文学的に突きつめれば、告白そのものである。フライの『批評の解剖』によると、告白は傾向が内向的・知的である。扱い方は主観的であるが、自己省察を続けながら、形而上学を始め多岐に亘る話題に言及、ただなんとなくそうしたかったからではなく、告白するにたる理由がそれによって明らかにされる。この告白の物語性のない短編形式が「エッセイ(Essay)」で、近代批評はまさにこれが主流である。

 近代文学は同時代的な近代社会を創作と鑑賞の共通基盤とし、そこに生きる近代人の心理を描写する。彼らは自由で平等、自立した個人である。もちろん、批評の対象は、それだけでなく、異なった時代や社会の作品も含む。エッセイの批評は、作品読解を含めた文学的主題について主観的に扱いつつ、知識に依拠して具体的・個別的な根拠を示したり、経験や記憶を内省したり、自身の価値観と照らし合わせたりして考察を記述する。それは因果性や背後関係の分析もさることながら、価値判断による評価を重んじる。近代は価値観が多様である。その価値観は主観性に委ねられている。批評は文学的主題が価値観によってどのように捉えられるかを問わねばならない。散文でありながらも、非定型の抒情詩のような視点を持っている。シャルル・ボードレールを始め詩人が優れた文芸批評の書き手であることは決して不思議ではない。近代日本文学でも正岡子規や石川啄木などの抒情詩の書き手が示唆に富む文芸批評を著わしている。

 主観性指向の近代文学は作者の自己表現である。そのため、批評は作者の内面を作品読解の鍵とする。作者の意図を探ることで作品の真の意味を解明できるのであり、それが批評にとって重要な主題である。同時代的な作者の場合、自作に関する意図を仲間内で伝えたり、公表したりする。そうした発言は作品のメッセージと鑑賞の際に理解される。また、作者をめぐるエピソードが作品鑑賞の手助けになる。父との葛藤やかなわぬ恋、望郷の思い、長く続く闘病生活、険悪な夫婦仲、愛時の死などのエピソードが作品にこめられている。人生において直面してきた境遇や事件、出来事をめぐる作者の内面性の表象が作品である。そうした作者の発言やエピソードは批評の際に自説の根拠となり得る。エッセイの批評は、確かに、書き手の主観性が反映する。しかし、それを補強するためには客観的な根拠も必要だ。作品や時代的・社会的コンテクストをリサーチするのは当然である。加えて、発言やエピソードは事実なので、解釈の理由として他者も共有できる。

 エッセイの批評は主観性にとっての意味の表明である。自分の内部にある意見を他者が共感するには、その外部にあるものを根拠や具体例によって論証することが欠かせない。文学作品は相互関連している。批評も同様である。他の批評を参考にしたり、自分の意見と比較したりして、関連させつつアイデンティティを示す。その際に、通説を覆すこともある。

 作品の多義性は言語のそれからよく説明される。しかし、価値観が一元的な時代・社会では作品の意味はその規範に沿う一義的なものでなければならない。批評の批判的読解は価値観の多様性という近代の原則に保障されている。

 ただ、主観性の批評には限界がある。いくつか挙げてみよう。内面とその表現は必ずしも線的に結びつけることができない。表現がどのような作者の内面と結関連しているのかはそれほど明確ではない。実際、同じ対象に接しても、しばしば人は各々が異なる反応を示す。人間の心理はそんなに単純ではない。

 また、作者がある意図を持って書いたとしても、作品がそれを具現しているとは限らない。逆に、作者が意識していなかったところに作品の可能性を広げるものがある場合もあり得る。意図は創作の動機や文脈になったとしても、それを読者が共有していなければ鑑賞が成り立たないわけではない。

 さらに、前近代の文学を扱う場合、近代とは前提が異なっているため、誤解が生じることもある。文学に限らず過去の事象を考察する際、現在の思想潮流が反映されることは確かである。しかし、『万葉集』のような古代の詩歌は文芸共同体における美意識の交歓であり、織りこまれた出来事は架空でかまわない。それを自己表現として捉えると、事実になってしまう。

 19世紀半ば以降、ロマン主義からリアリズムへと文学潮流が移行していく。フランスのイポリット・テーヌに代表されるような実証主義的な立場が強くなっている。この歴史家は環境を重視する科学的な文学研究の方法を構築し、エミール・ゾラの自然主義文学観に寄与している。また、ロシアでは、ヴィサリオン・グリゴリエヴィチ・ベリンスキー、ニコライ・ガブリロヴィチ・チェルヌイシェフスキー、ドミトリー・イヴァノヴィチ・ピーサレフといった急進的な批評家たちが、文学の社会的な役割と実利的な価値を重んじる立場をとり、当時の知識人に大きな影響を与えている。

 19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパは象徴主義の時代に突入し、批評もリアリズム時代の実証的・実利主義的な立場を離れ、芸術の自律性を強調する傾向が強くなる。シャルル・ボードレールやステファヌ・マラルメなどのフランスの象徴主義詩人にとって、詩作と批評は不可分の関係にある。象徴主義の影響下から出発したポール・ヴァレリーは、批評精神と詩的創造を融合させた数多くの批評的作品を残し、20世紀初頭の文芸批評の一つの頂点をなしている。イギリスではW・H・ペーターが審美主義の立場から非常に凝った文体で批評を書き、詩的創造とほとんど対等な美の領域に批評を押し上げている。アーサー・シモンズはフランスの象徴主義をイギリスに本格的に紹介し、世紀末の文芸思潮の流れに大きく寄与している。
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