1:4 視覚障がい

文字数 4,275文字

ⅳ 視覚障がい
 その小学校高学年から佐藤清文は眼に異変を覚えるようになっている。それまでの佐藤清文は視力がよく、席もクラスで最も後ろである。けれども、6年生の時、視力が下がり、矯正視力が出ない。佐藤清文は自分の眼がたんなる近視ではないと感じていたが、周囲にそれを理解する者はいない。しかし、それも無理からぬことである。ほとんどの眼科医も佐藤清文の眼の疾患を診断することができず、点眼薬などによる対処療法に終始している。だが、症状は悪化の一途をたどる。強度近視と緑内障の合併症という稀な疾病だと相原一東大教授に診断されたのは40代後半のことである。佐藤清文は眼の病との終わりのない闘争と共存を強いられる。それは眼を開けた瞬間から始まる。今やステンレス製の人工弁が4つずつ両眼に入ったメタル・アイである。

 佐藤清文は視覚障碍者である。佐藤清文は眼の疾患を四つ持っている。緑内障と強度近視、白内障、飛蚊症である。中でも、緑内障と強度近視の合併症という稀な疾患により、両眼の中心視野が欠損している。矯正視力は左右共に0.1未満である。特別支援教育において矯正視力0.1以下では、拡大鏡など支援ツールがなければ、読書が困難とされている。しかも、佐藤清文は両眼共に周辺部しか見えていないので、実質的には測定値よりも矯正視力が低いと考えるべきだろう。加えて、白内障のため光が乱反射して見えにくく、飛蚊症により目の前にいつも2数匹以上の黒い虫が飛んでいる。そうした事情から、佐藤清文は、外出の際、サングラスをかけている。

 佐藤清文の裸眼の視力ははっきりしない。機械で測定すると、中心視野が欠損しているため、うまくいかない。度数はおそらく15だろう。実は、中心視野欠損により肝心の視野検査も信頼できる測定結果があまり出ない。佐藤清文の見ている世界に直線は存在しない。それはにじんだ色の世界で、そこを数匹の黒い虫が飛んでいる。しかも、異次元空間への裂け目があるように、目の前で動く物質が突然消えたり現われたりする。「生きられた超弦理論、これが我世界である」と佐藤清文は言っている。

 佐藤清文は自宅ではほぼ裸眼ですごしている。その行動はもちろん心眼などではなく、ほとんどが習慣と勘頼りだ。新たな行動をするとしよう。佐藤清文はそれを形式化し、その動作を繰り返して身体に叩きこむ。一度身体化すれば、忘れることはない。老化や認知症によって記憶力が衰えても、身体知は覚えている。とにかく何も考えずに実践あるのみという発想を佐藤清文は甘いと軽蔑する。「習うより慣れろ」を待っている余裕など佐藤清文にはない。暗黙知、すなわち純粋経験を奥義とばかりに神聖視する見方は知的怠惰である。暗黙知を明示知にした上で、それを自覚的に身体化するというトップダウン処理が合理的だ。佐藤清文は、そうした工夫によって、日常生活をこなしている。それでも苦手な行動は少なくない。掃除やみじん切り、下り階段などは慎重に臨んでいる。

 もっとも、こんな眼でも悪いことばかりではない。いいことだってある。老眼鏡を買う必要がない。眼が悪すぎて老眼鏡をかける意味がないからだ。

 佐藤清文は視覚障碍により印刷物を読むことが困難である。通常は家族を始め誰かに読んでもらっている。そうした介助がない時には、iPhoneの拡大鏡を用いる。しかし、左手で本のページを押えかつめくりながら右手で焦点を合わせることに手間取ったり、一定時間が経つと画面が暗くなったりするため、骨が折れる。また、ざっと流し読むことが難しいため、検索する際に苛立ちが募る。特別支援教育では1分間に200文字を読めないなら、墨字ではなく点字の学習が推奨される。佐藤清文もそれくらいの速度は確保できるが、やはり読書量が制限されてしまう。

 印刷物はハードとソフトが一体化しています。一旦印刷されたものを変更することはできません。受け手にさまざまな事情があっても、送り手の設定に従うほかないのです。そのため、印刷物へのアクセスが困難な障害が生じてしまいます。これを印刷物障害と呼ぶことにします。
 ブック・デザインには長い歴史があります。どのようにしたら読みやすいかの知識は、現場の経験や学問研究によって蓄積されています。けれども、印刷物障害を考慮して発達してきたわけではありません。文字サイズやコントラスト、文字間、行間、縦書き・横書き、紙質など読みにくくなる事情はさまざまです。
 近年、急速に電子媒体が普及しているとはいえ、依然として印刷物の社会的役割は大きいのです。近所のスーパーの安売り情報にしても、新聞の折り込みチラシで住民に伝えられています。電子媒体が印刷物に完全にとって代わることなどあり得ません。
 印刷物障害として真っ先に思い浮かぶのは視覚障害でしょう。全盲は言うに及ばず、弱視や視野欠損、色覚障害などのために、通常の印刷物では目を通すことができない、もしくは難しいのです。
(佐藤清文『印刷物障害』)

 読書障害や眼球をうまく動かせない人にとっても、印刷物を読むことが困難です。前者は学習障害の一つとして近年社会的に認知されるようになっています。後者は脳神経の機能障がいの症状です。うつ病や自律神経失調症などでも見られることがあります。
 他に、肢体不自由による読書困難もあります。本を手に取り、開き、ページを固定したり、めくったりすることが読書の行為です。この一連の動作は、結構、細かな作業です。肢体不自由にはこれを行うことができない、もしくは困難な人がいます。彼らも印刷物であるがゆえに情報へのアクセスが難しいのです。
 こうした印刷物障害には支援ツールが必要になります。全盲の場合はハードからソフトを切り離すほかありません。スキャナにとりこんで点字プリンタで出力したり、読み上げソフトを用いたりする方法があります。ただ、マンガなどヴィジュアルが重要な作品は変換が困難です。他の視覚障害には文字のサイズやコントラストを変更できるデジタル拡大読書器があります。
 読書障害や眼球をうまく動かせない人にはリーディング・ルーラーがあります。これは光の波長をコントロールする定規です。読みたい字や行の下や横にあて、その後を隠します。こうすれば、今どこを読んでいるかがはっきりと認知されます。そこを読み終えたら、ずらして次に移ればよいのです。実は、この定規は必ずしも障がい者向けではなく、正確に文字を判読しなければならない軍隊や警察でも使われています。
 肢体不自由にはページめくりなどの機能が付いた機械式の読書スタンドがあります。残念ながら、本のセットは手動です。ただ、それ以外は機械が代行してくれます。
 もちろん、こうしたツールがあるからと言って、健常者と同様の読書ができるわけではありません。なんとなく目を通したり、流し読んだり、検索したりすることは難しいでしょう。どうしても遅読になります。
 文字を追うことに知的資源が大きく費やされますから、読みながら考えることが難しくなります。内容を理解し、吟味するためには読まない時の反芻の必要があります。これが熟読というものです。
 通常、読むことを考えるという問いは内容理解を指します。行為は暗黙の前提です。けれども、印刷物障害は読むことの暗黙知を明示知として顕在化しています。自らの身体なのに、自分ではわかっていないのです。自分を外から見て相対化する時、認識は進化する者です。
 読む行為はあまりに健常者には自明です。読む行為ができても、それをわかっていません。印刷物障害はメタ認知を与えてくれます。障害について取り組むことは健常者の認識の紳かにもつながるのです。
(同)

 アメリカのリハビリテーション法修正508条により、PCやタブレット、スマホには障碍者のアクセシビリティが常備している。その機能がついていない機種は合衆国政府に納品できない。日本にはこうした規制はないが、米国の方のおかげで佐藤清文は読み上げソフトを利用している。読み上げソフトが利用できるために、佐藤清文にとって電子媒体の方が読書には効率的である。読み上げる速度はラジオのニュース番組のそれより少し速い程度だ。盲の人は、概して、テープの早回しのようなスピードに設定している。しかし、盲と違い、佐藤清文には視覚情報が入ってくるため、聴覚に注意の資源を集中できない。

 ただし、読み上げソフトは画像を読むことができない。テキストではなく、画像として電子化されている文書を読むには、拡大するほかない。しかし、印刷物に比べて、電子化されている書籍は圧倒的に少ない。印刷物であれば、図書館から借りて読むことができるが、電子書籍の場合、そこにも制限がある。

 さらに、Kindleで読もうにも、日本語の電子書籍は使い勝手がよくない。出版社は電子書籍を印刷物に近づけようとしているように思える。編集者が印刷物を擁護する意見を述べる際、印刷物障害への配慮が欠けている。こういう認識では、電子書籍が作成されたとしても、そのアクセシビリティに応えるものではないのも当然だろう。印刷物の人類史への貢献やデザイン・レイアウトなどの芸術性の蓄積を否定することは暴論である。しかし、印刷物であるがゆえに、それが障害となる人たちもいる。iPhoneのVoiceOverは使えるものの、一般の読み上げソフトに対応していない。だが、このVoiceOverは、電子書籍を読み上げる際に範囲の「選択」ができないなど佐藤清文の障碍には使い勝手が悪いので、ほとんど利用しない。菅野完著『日本会議の研究』が最後である。率直に言って、青空文庫のHTML形式のテキストの方がはるかに使い勝手がよい。こうした理由から佐藤清文は電子書籍の購入を控えている。

 書く際には、音声やキーボード、タッチパネル入力を用いる。キーボードの場合、それは真のブラインドタッチである。校正には、誰かに手伝ってもらうか、読み上げソフトを用いるかしている。使用しているソフトは同音異義語の判読ができないタイプなので、そうしたミスが生まれる。また、漢字の読み間違えも少なくない。「都心」を「みやこごころ」、「辺野古」を「へんのいにしえ」と読み上げる。それはソフトの傾向とあらかじめ認識し、頭の中で漢字の変換作業をして妥当かどうかを確認している。このように、読むこともそうだが、書くことにも手間暇が費やされ、とにかく作業が遅い。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み