2:2 Beautiful Boy

文字数 4,975文字

ⅱ Beautiful Boy
 多くの作品に見られる非感情的で静的な文体と違い、佐藤清文はおしゃべりが大好きである。全般的に早口であるが、声色や表情を変えたり、手足や上体を大きく動かしたりして喋る。その上、アレルギー性副鼻腔炎のために鼻にかかっているものの、声の通りがいい。あまりにしゃべるので、口から産まれてきたと揶揄されることもあるけれども、実は、佐藤清文は逆子である。もっとも、1歳になる前に話すだけでなく、歌ってさえいる。最初に完璧に覚えたのはジャッキー吉川とブルー・コメッツの『ブルー・シャトー』である。ただし、1番だけで、2番はいまだに歌えないと言っている。

森と泉に かこまれて 静かに眠る
ブルー、ブルー、ブルー・シャトー
あなたがぼくを 待っている 暗くて淋しい
ブルー、ブルー、ブルー・シャトー
きっとあなたは 赤いバラの バラの香りが
苦しくて 涙をそっと 流すでしょう
夜霧のガウンに つつまれて 静かに眠る
ブルー、ブルー、ブルー・シャトー
ブルー、ブルー、ブルー、ブルー ブルー・シャトー

 「ブルー」と言えば、佐藤清文の最も古い記憶はブルーの空気である。それはブルーの物体ではなく、ブルーの色をした雰囲気である。しばらく待つと、そのブルーが緑に変わっていく。佐藤清文はそれが何なのかまったくわからなかったけれども、高校生の時、その光景を母親に話すと、ぎょっとした表情で彼女は絶句してしまう。斜頚の治療のため、生後すぐマッサージにある診療所に通うことになったが、ブルーは直射日光避けのフィルムが張られた窓の色で、緑は待合室の長椅子の色だと明かす。

 1966年2月12日に生まれた佐藤清文は祖母から「山の神様の子」と呼ばれています。岩手県紫波郡彦部村(現紫波町)の祖母の実家に行った時にも、その家族から同じように言われています。彼にはその意味が分かりません。ところが、1977年4月9日放映の『まんが日本昔ばなし』の「磐司と桐の花」を見た際に、その謎が解けます。
 それは岩手県に伝わるお話で、磐司というマタギが主人公です。主な舞台は北上山地の早池峰山です。その一部を紹介しましょう。春が近づくある日、磐司が山に入ろうとすると、産気づいた女性が苦しみながら水が欲しいと懇願します。マタギの掟では、身を清めてから山に入り、妊娠中の女性は穢れているから避けなければなりません。けれども、彼はその縁起を無視して彼女に近寄り、その後、水を汲みに谷川に行きます。戻ってくると、女性が12人の赤ん坊を出産しています。彼女は彼の水をおいしそうに飲みます。
 実は、女性は早池峰の山の神です。女神は助けてくれたお礼に山の幸を磐司に与えると言います。教えられた通り、山に入って、彼が自分の名前を二度叫ぶと、獲物が思うがままに捕れ、マタギとして成長していきます。その際、12人の赤ん坊にちなんで、毎月12日を山の神の祭日として山に入らないようにしているのです。
 この昔ばなしを踏まえて、祖母は2月12日生まれの彼を「山の神様の子」と呼んでいたわけです。猟師に限らず、獣がいる山に入る際、妊娠中や出産直後の女性と接触することを避ける習わしは全国各地に見られます。高知県の『峠の山犬』にも言及があります。穢れではなく、血の匂いを獣にかぎつけられないためです。磐司はその掟を無視して苦しんでいる妊婦を助けます。昔ばなしは猟師を必ずしも肯定的に扱っていません。生活のためとは言え、殺生を行うからです。ところが、磐司は殺生の仕事の決まり事を破って、苦しんでいる女性を助けようとし、その際、新たな命が生まれています。殺生よりも生命を優先したからこそ、女神は彼に山の幸を与えるのです。
(佐藤清文『昔ばなしと社会的メッセージ』)

 「ブルー」ついでに、佐藤清文は天気が崩れる一二時間前くらいから、ブルーになり始める。家族は佐藤清文の反応によって天気を予想し、ブルーになると、雨に濡れてもいいようにと、ラフな格好をして出掛けていく。佐藤清文の弟は、同居時代、その習慣を「ラフ・イズ・ブルー」と呼んでいる。

Doux, doux, l'amour est doux
Douce est ma vie
Ma vie dans tes bras
Doux, doux, l'amour est doux
Douce est ma vie
Ma vie près de toi

Bleu, bleu, l'amour est bleu
Berce mon cœur
Mon cœur amoureux
Bleu, bleu, l'amour est bleu
Bleu comme le ciel
Qui joue dans tes yeux

Comme l'eau
Comme l'eau qui court
Moi, mon cœur
Court après ton amour

Gris, gris, l'amour est gris
Pleure mon cœur
Lorsque tu t'en vas
Gris, gris, le ciel est gris
Tombe la pluie
Quand tu n'es plus là

Le vent, le vent gémit
Pleure le vent
Lorsque tu t'en vas
Le vent, le vent maudit
Pleure mon cœur
Quand tu n'es plus là

Comme l'eau
Comme l'eau qui court
Moi, mon cœur
Court après ton amour

Bleu, bleu, l'amour est bleu
Le ciel est bleu
Lorsque tu reviens
Bleu, bleu, l'amour est bleu
L'amour est bleu
Quand tu prends ma main

Fou, fou, l'amour est fou
Fou comme toi
Et fou comme moi
Bleu, bleu, l'amour est bleu
L'amour est bleu
Quand je suis à toi

L'amour est bleu
Quand je suis à toi
(Vicky “L'Amour Est Bleu”)

 歌以上に、佐藤清文の幼い頃の容姿の美しさはほぼ伝説となっている。当時の佐藤清文の写真を見たあるガール・フレンドが「こんなにキレイな子が私の子供に生まれたら困ってしまう」と告げたほどだ。1、2歳の頃の話である。佐藤清文の母の母、つまり祖母は近所でも無愛想で有名な女性を笑顔にさせてやろうとおぶった佐藤清文を彼女に見えるようにして前を横切っている。祖母はその女性と目を合わせたが、彼女の表情は変わらない。しかし、への字にしていた口を開いて、こうつぶやいている。「かわいいですね」

 何しろ、佐藤清文を抱いて母がいると、あっという間に、女性たちが集まって、人垣ができ、「かわいい!ちょっとダッコさせてくれませんか?」とみんなが言い始めるのが常である。

 次のようなエピソードが伝わっている。ある日、駅のホームで、母が佐藤清文を背負って電車を待っていると、いつものように、女性が集まってきたそうである。ある年配の女性が佐藤清文を腕に抱けるという栄誉に恵まれ、そうしてから、賞賛の言葉を並べる。その後、次に若い女性が同じ権利を手にしている。彼女は佐藤清文を抱き、近くを歩き回り、母に渡しながら、ほめ言葉を口にして去っていく。すると、それを聞いた先の女性が怒り始め、こう周囲の人たちに抗議している。「何てひとだろ!こんなキレイな子にあの程度のことしか言わないなんて!」

 そうした体験のためかどうかは定かでないが、佐藤清文は殊の外おっぱいが好きである。佐藤清文の巨乳好きは筋金入りである。幼い頃、乳離れをしないことに不安を覚えた佐藤清文の母が乳首の周囲に唐辛子を塗って、強引にそうさせようとしている。パブロフの犬の実験を応用したというわけだ。何も知らないかわいい坊やが、いつも通り、おっぱいをくわえた瞬間、口の中が焼けるような感じに襲われ、水道に直行している。佐藤清文の母は自らの賢さに満足していたが、そこは後に佐藤清文になる幼児である。次からは、水の入ったコップを持参して、お乳にしゃぶりつきにやってきている。さすがと言わねばなるまい。その上、以来、佐藤清文は辛い物好きになっている。タイ料理や韓国料理がお気に入りである。

 きっと、佐藤清文の顔はルネ・マグリットも『凌辱』のような顔をしているに違いない。ファンの女性から「どういうおっぱいが好きなの?」と尋ねられ、佐藤清文は「おっぱいのイデアが見えるおっぱいだ。具体的に言うと、それは、ドリー・パートンだ」と胸を張って答えている。

 1996年7月、スコットランドのロスリン研究所は、史上初めて、クローン技術による羊を誕生させる。その羊は6歳の羊の乳腺細胞を使う方法がとられたため、『九時から五時まで』で知られる巨乳のアメリカのシンガーである「ドリー・パートン(Dolly Parton)」に因んで「ドリー(Dolly)」と命名されている。そのおっぱいのイデアを直観させる見事なツイン・ピークスは彼女の歌声と作詞作曲の能力に匹敵するほど素晴らしい。この迷える子羊に父はいない。母がいるだけである。「九時から五時まで」の研究者が継父を務めている。ドリーは父の存在の決定不能性と母の過剰を表象している。
(佐藤清文『Unhappy Girl─ウラジーミル・ナボコフの「ロリータ」』)

 21歳で佐藤清文を生んだ母親がそんな息子を着せ替え人形にしたことは言うまでもない。エリック・ホッファーは「真に成熟するとは5歳のときの自分に戻ることだと考えている」と書いているが、佐藤清文にとっては、3歳のときの自分に戻ることが真の成熟である。

 とは言うものの、佐藤清文はその口八丁手八丁で今に至っている。CNNが選んだ世界で最もカワイイ動物フェネックであれば問題はないが、それを補う必要がある。この特技によって、老若を問わず、女性たちに助けられ続け、両親からは資金援助を引き出している。佐藤清文の母親は「お前は人債よ。わかるか?人災じゃなく、人債。それも赤字人債」。なるほど、うまいことを言う。さすがに、佐藤清文の母親である。「親に物をねだるのも、社交の一変形なのである。親にとっては、おねだりされるときにその理屈が正しいとか、熱意があるとかいうのは大した意味がないのだ。それらを前面に押し出すことも戦術としては間違いではないのだが、それ一本で押していけばいいというのはかわいげガないし、あまりに単純すぎる」(森毅『男味と女味─集中と分散について』)。

 絶望的にカネと仕事に見放されている状況に対して、「なんでこうなったんだい?」とよく問われるが、「運が悪かった」と佐藤清文はいつも答えている。

 確かに、運の悪さは周知のことである。2022年2月中旬、家庭内感染により新型コロナウイルス感染章を発症する。2回目のワクチン接種から3ヶ月半で感染、症状は発熱や喉の痛み、頭痛などである。幸い、10日間の自宅療養で済んだものの、2ヶ月近く咳の後遺症に苦しめられている。感染を知人に話しても、「運の悪いところがあるから」と驚かれもしない。周囲は佐藤清文を『方丈記』の鴨長明よろしく運が悪いと見ているというわけだ。

 しかし、考える限り、問題なのは運だけではない。運・見通し・健康の悪さの三拍子がそろった結果、ベトナム戦争さながらの貧乏の泥沼にはまってしまい、多くの友人たちから愛想をつかされている。まあ、こうもうだつがあがらないのでは、「どう、うがいでもしないか?」と飲み屋に誘われても、交通費さえままならないのだから、やむを得ない。貧困が社会的排除につながることを身をもって示し、S&Gの『ボクサー』を口ずさむ。”I’m just a poor boy though my story's seldom told…”

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