4:8 タグ解析

文字数 4,419文字

(8) タグ解析
 タグ解析は口承文学の社会的メッセージをめぐる批評の方法論である。2010年代に入ると、佐藤清文は口承文学、特に日本の昔ばなしの分析に積極的に取り組んでいる。主題は口承文学が体現する民衆のマンダリテの考察とも言えるが、集合知識としての社会的メッセージである。それは暗黙知であり、その明示知への顕在化という点ではリテラシー・スタディーズの拡張である。

 佐藤清文は『昔ばなしと社会的メッセージ』(2018)においてその方法論について次のように説明している。

 昔ばなしをめぐる読解として、さまざまな方法論を用いた批評がすでに実践されています。具体例を挙げましょう。物語分析は展開構造や登場人物の役割などに着目して読み解きます。また、精神分析の理論を援用し、お話に現われる人物や事物、行為などを普遍的意味の象徴と捉えて解釈する方法があります。さらに、特定の地域にその昔ばなしが伝わってきたとして、民俗学の知見を参照して、それを開設する読解もあります。他にも、マルクス主義やフェミニズムといった批評理論を用いて、昔ばなしを評価するものもあります。
 昔ばなしは前知識がなくても、楽しめるものが多くあります。ただ、 いくら昔ばなしに接しても、当時の政治・経済・社会の構造や制度といった仕組みはわかりません。しかし、昔ばなしは民衆の集合知識の表象ですから、そこから発送を汲み取ることができます。
 現代史学は社会史によって体系が再構成された歴史学です。その影響を受けた現代の日本史研究は伝承や物語も史料として扱います。時代を遡ると、公的な文字史料が少なくなります。古い時代の史料ほど後世に残りにくいものです。文書・考古史料も現代に近づくにつれ、その量が増えてきます。しかも、支配者からだけでなく、被支配者の側が記した文書史料も多くなります。
 学術研究では実証性が要求されます。文書史料がない時代であっても、遺跡や遺物といった考古史料の他、人口・地理・気象などの変遷に関する科学的データを用いるなどして過去を探ります。また、言い伝えや伝説、文学も実証研究を補強する史料となります。と同時に、他の史料からはわからない、当時の人々の考え方がそこから浮き彫りになります。歴史家はさまざまな文字史料を読みこみ、考古史料・科学的データを吟味した上で、文学に当たります。その理解の精度は文学研究者よりしばしば上です。
 五味文彦東京大学名誉教授はそうした研究を提示している一人です。実証研究を踏まえ、『文学で読む日本の歴史』シリーズを始め文学や伝承から当時の人々の認知を明らかにしています。
 このような成果に則り、それを考察する批評があってしかるべきでしょう。すでに何度か昔ばなしの社会的メッセージに言及してきましたが、これがそうです。昔ばなしが伝えるのはかつての民衆の考えです。それを明らかにする作業を社会的メッセージ批評と呼ぶことにしましょう。
 社会的メッセージ批評は、昔ばなしを民衆の集合知識の表象と認知し、そのお話を通じて共時的・通時的に伝えられてきたメッセージを明らかにする方法です。その手順はインターネットのタグを例にするとわかりやすくなります。
 ブログやSNSに文書や画像、動画を投稿する際、検索しやすいように、その内容に関連する情報をタグとしてしばしば付記します。タグは一つのファイルに複数個付けられます。タグを使って、そのトピックに関するファイルを収集して閲覧することができます。
 個々の昔ばなしにもその内容に関連する情報が数多く含まれています。例えば、『浦島太郎』であれば、「漁師」や「海」、「カメ」、「恩返し」、「母子家庭」、「竜宮城」、「お姫様」、「玉手箱」、「時間旅行」といったタグが思いつきます。それぞれのタグは他の昔ばなしにもあります。タグを共有する昔ばなしにあたり、そのトピックがどのようにどれが扱われているかを把握します。扱い方には複数の傾向が認められることもあります。「竜宮城」は海の場合だけでなく、川や湖、沼の場合もあります。また、類似するトピックとの傾向の違いもあることでしょう。「カメ」と「カニ」、「エビ」、「クジラ」など水中に生息する生物ですが、昔ばなしの中で扱われ方に類似・差異があります。
 『浦島太郎』は『丹後國風土記』の「浦島子」の物語が起源とされています。漁師の島子は一匹の魚も釣れず、三日三晩海をさまよった後、天上の国に辿り着き、その世界を見聞するのです。しかし、社会的メッセージの考察は暗黙の裡に形成された民衆の集合知を明らかにすることです。起源の情報はその暗黙知の吟味に必要な際の参照にとどまります。
 ちなみに、沖縄県の宮古島に『浦島太郎』のパロディのような『不思議なつぼ』が伝わっています。主人公が浜辺で女性を助けます。彼女は竜宮のお姫様で、後日、彼はその時にできた双子の男女に連れられて城に招待されます。5日すごして地上に戻る際、お姫様から自分と思って大切にして欲しいとつぼを土産として渡されます。帰ってみると、50年が過ぎていて、自分も白髪姿なのに気づきます。ところが、つぼの中の酒を飲むと、若返るのです。若返りの酒の噂を聞き付け、男の家に大勢が押し寄せます。夜も眠れなくなった男が苛立ってつぼを罵ると、それが鳥になって飛び去ってしまいます。すると、男を始め若返った全員が元の姿に戻ったという話です。
 そうした扱い方を分析することによって、そのトピックが民衆の集合知識の中にどう位置づけられ、それを通じていかなる社会的メッセージが伝えられているかが明らかになります。その暗黙知を明示知にする試みが社会的メッセージ批評です。
 非専門家による口承文学の昔ばなしにおいて一つの作品を詳細に読解することの意義はありません。そうした質的認識ではなく、多数のお話にあたって傾向を捉える量的批評が集合知には適切です。その上で、典型的もしくは顕著な例として個別の物語を具体的に解説することになります。
 ただし、お話だけにあたっていても、社会的メッセージはつかめません。昔ばなしは語り手と聞き手が場を共有して伝えられます。この場は前近代の政治的・経済的・社会的背景に基づき、宗教的・道徳的規範の共有が前提になっています。それらの知識がなければ、昔ばなしの意味が十分に理解できません。文学のみならず、民俗学や人類学、地理学、人口学、政治学、経済学、社会史などの知識が不可欠です。
 また、昔ばなしにはさまざまな病気や生物、災害といった言及があります。今日の科学的知見によってそれらの理解を深めることも考察には必要となります。医学や生物学、物理学、化学、気象学など自然科学分野の知識も必須です。

 口承文学は、その性質上、細部にこだわることができない。考察には定量的分析が適している。「作者の死」を前提にした批評はふさわしくない。精神分析や心理分析による解釈のように、特定理論の枠組みで捉えることはしばしば我田引水に終わる。論拠を規制理論に置く解釈的アプローチよりも、口承文学の理解には歴史的アプローチが向いている。ただし、文字文学が静的であるとすれば、口承文学は動的である。個々の昔ばなしの変化の軌跡はブラウン運動であり、考察には、統計力学のように、マクロな傾向として捉えることが適している。

 佐藤清文は、同作の中で、病を取り上げてその社会的メッセージを次のように明らかにしている。

 昔ばなしにおける病は、その扱い方によって、急激に病状が悪化する感染症とそれ以外に分けられます。前者では患者は助かりませんが、後者は改善します。
 インフルエンザや肺炎、百日咳といった感染症の患者に奇跡は起きません。それを扱う昔ばなしでは、残された人がその死をいかに受け入れていくかが描かれます。その際に、心の支えになるのが仏教です。
 好例が栃木県の『お花地蔵』です。両親を亡くしたお花という少女がお春ばあさんと二人で暮らしています。男の子とチャンバラをするほど活発な女の子でしたが、冬に百日咳により急死します。おばあさんは嘆き悲しみ、食事もろくにとらず、一日中、仏壇の前を離れません。しかし、ある日、お花が無事に両親の元に行けるようにと彼女の地蔵を彫り始めるのです。小さな石の地蔵は春に完成、「お花地蔵」と呼ばれるようになります。お花の好きだった炒り米をこの地蔵にお供えすると、子どもの百日咳がよくなると言われているのです。
 一方、喘息を始めとする慢性疾患や変形性膝関節症など老化に伴う身体疾患、転換症状は主に宗教を含む超自然的な力により治ります。前者二つの疾病は症状の悪化が緩やかですので、治ったと思わせることができます。実際に治癒していなくても、本人がそう感じていればよいのです。また、プラセボ効果もあります。信じることによって疾病が改善することはあり得ます。岐阜県の『ずいたん地蔵』が一例です。
 転換症状は、生理的機能に問題がないのに、心理的要因によって身体機能が変調を来たすことです。失立失歩の他、目が見得なくなったり、耳が聞こえなくなったりするなどさまざまな症状があります。昔ばなしで祟りによって元気だった娘が突然寝たきりになることはこれでしょう。この転換症状は治癒します。視力を回復したり、歩けるようになったりする奇跡は心理療法による転換症状の治癒と推測できます。岩手県の『ききみみ頭巾』や徳島県の『仙人のおしえ』、岡山県の『立岩狐』などに転換症状からの回復が認められます。
 ただし、治癒に関しては、仏教以外の超自然的力が作用する昔ばなしが少なくありません。例として挙げた三つもそうです。
 こうした病の扱い方から当時の民衆は仏教に癒しの役割を期待していたことがわかります。僧侶がカウンセラーや心理療法家の役目を果たすことはあったでしょう。しかし、病を治すのはあくまで医学であり、宗教は人を癒すものです。民衆は宗教をケアとして医学と別の役割を期待しています。昔ばなしにおける病はこういった社会的メッセージを持っているのです。

 昔ばなしに登場する存在や事物の意味を歴史学や人類学、民俗学などから解説することはできる。けれども、同じものが違う物語では別の扱いであることが少なくない。なぜ民衆は同じものでも異なる取り扱いをするのかは登場する昔ばなしを定量的に解析するほかない。それを扱っているお話を照らし合わせて、その概念の傾向を分類・分析する。その上で、先の知見を参考にすると、民衆の集合知識による社会的メッセージが顕在化してくる。

 しかも、定量的手法であるので、その分析が妥当であるかも検証しやすい。口承文学を検討する際に、特定理論に依存せず、成果を広く共有できる。タグ解析は、口承文学の批評において、期待できる方法論である。
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