4:10 不在批評

文字数 706文字

(10) 不在批評

 批評は、一般的に言って、すでにあるものを扱う。しかし、いまだないものを論じることも批評には可能である。これを「不在批評」と呼ぶことにしよう。それは将来登場すると予想されるものを語ることだけではない。なぜこれまでこのようなものが出現しなかったのかを明らかにする試みも含まれる。つまり、不在批評は文学の可能性を探究するものだ。
 けれども、不在を論じる際に気をつけなければならないことがある。いまだないものだけに願望を込めたり、直観を披露したりしかねない。それは母語話者がその言語の意味や用法について思い込みや思いつきで説明することと似ている。不在を論じるには、隣接するすでにあるものを吟味してそれと比較することが不可欠である。隣接するものをしっかりと論じているからこそ店それが他に移植できる。

 これは『後遺症と文学』(2021)の一節である。感染症をめぐる小説は数多いのに、その後遺症を取り上げたものは極めて少ない。なぜこのような状況なのかを論じたのがこの作品である。他にも、『パンデミックを書く』(2021)において、架空のパンデミックを描く小説は少なくないものの、スペインかぜを扱ったものはわずかである理由を探求している。文学作品の扱う対象には偏りがある。この傾向は文学のリテラシーに関連している。その対象を取り扱うことが小説の文法上難しい。ただ、中にはリテラシーを考慮して工夫し、小説化しているものもある。それが不在の理由を明らかにする批評が不在批評である。

 佐藤清文は批評の可能性に挑戦し続ける。不在批評はそうした試みの一つである。おそらくこれからも新たな方法論を提案していくことだろう。
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