4:6 フラクタル次元圧縮

文字数 1,892文字

(6) フラクタル次元圧縮
 情報を伝達するために費やす文書量には作家の個人差がある。冗長の場合もあれば、簡潔の場合もある。80年代の批評家を例にすれば、前者は蓮実重彦、後者が柄谷行人である。それは作家の個性であり、優劣の基準ではない。

 佐藤清文の文体は簡潔型に属する。それは情報を大量に送信するためである。佐藤清文は、その際、情報を圧縮する文体を用いる。語や文、文章の構成によって情報を伝える際に必要な容量を圧縮する。それは、パース、すなわち奥行きをずらしてダイナミズムを生み出すアナモルフォーズである。

 「アナモルフォーズ(Anamorphose)」は歪み絵、すなわちある原型を法則的に歪曲して標示する技法である。凹面鏡に映った姿はその一例である。「まずある正常な形態を一定の方向へ誇張して歪ませる。それから歪みをもとに戻すための一定の視点を見つけると、歪みはもとに戻って正常の形態が浮び出てくる。この歪みを戻す一定の視点を見つけることがアナモルフォーズを楽しむ鍵になるのである。それが見つからなければ、問題の絵はいつまでも何が何だかわからない、もやもやとした線と面の塊にしか見えないのである」(種村季弘『だまし絵』)。アナモルフォーズという用語が使われ始めたのは、デカルトが代表する17世紀である。と同時に、それは17紀から18世紀、古典主義時代にかけて最盛期を迎える。アナモルフォーズは、当初、2次元的だったが、時代が経つにつれ、3元的にも応用され、多種多様なヴァリエーションが生まれる。
(佐藤清文『cogitoid─ルネ¥デカルト』)

 この「アナモルフォーズ」の定義をWikipediaの同項のそれと比較すると、佐藤清文の圧縮文体の一端が明らかになる。なお、項目の確認は2019年3月8日である。

 アナモルフォーシスとは、ゆがんだ画像を円筒などに投影したり角度を変えてみたりすることで正常な形が見えるようになるデザイン技法のひとつである。

 「アナモルフォーズ」と「アナモルフォーシス」は同じである。佐藤清文はそれを「歪み絵」と定義、その意味を「ある原型を法則的に歪曲して標示する技法」と説明している。抽象化した定義に基づき、具体例として「凹面鏡に映った姿」を挙げる。他方、Wikipediaはその概念の例にいくつか言及して定義としている。個別礼を提示してそれを定義として暗示するのでは、その原理が抽象的に明示されていないので、情報伝達の際に文章量を必要とする。
 また、佐藤清文は漢字を用いて文字数を減らしている。漢字を利用すると、文の意味を視覚的に認知しやすい。特に、この概念は視覚をめぐるものであり、それによる理解が必要だろう。一方、Wikipediaでは、率直に言って、その情報が文章に体現されていない。
 ただし、アナモルフォーズを利用した圧縮は非可逆で、隙間が多い。そのため、「フラクタル次元圧縮」と呼ぶことができよう。

 酒井教授が京都を調べた際、最も表面温度が高かったのは自衛隊の駐屯地である。そこには巨大・広大な人工物に溢れている。ヒートアイランドに対する自衛隊や米軍の基地の影響は今後より調査されるべきだ。
 ただ、酒井教授の調査は意外な場所も表面温度が高い実態を明らかにしている。それはゴルフ場である。ゴルフ場は大半が芝生に覆われている。しかも、芝の一本一本は表面積が非常に小さい。表面温度が低いと予想される条件なはずだ。
 原因は風通しである。樹木は、幹や枝は言うまでもなく、葉にも隙間がある。風通しがよいので、空気による熱交換がおこなわれている。他方、芝生は密集していて風通しが悪い。空冷されないので、表面温度が高くなる。
 酒井教授は、この性質をフラクタル次元を用いて科学的に解き明かしている。それはフラクタル幾何学においてより細密なスケールへと拡大するに伴いフラクタルがどれだけ空間を満たしているように見えるかの統計量である。フラクタルは図形の部分が全体の自己相似になっていることだ。いささか乱暴な譬えを使うと、雑誌の表紙にその雑誌の表紙を持ったモデルという設定は部分が全体の自己相似になる。
(佐藤清文『ヒートアイランドと芝生の校庭』)

 その隙間によって各文が断片化しないために、佐藤清文は指示代名詞を補っている。指示代名詞はコンテクストに依存する。それを用いると、文脈をつくることができるとも言い換えられる。指示代名詞を添えることでその隙間が読者に知覚されにくくなる。アナモルフォーズを利用した上で指示代名詞によって処理された文体がフラクタル次元圧縮である。
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