3:4 批評の今日

文字数 3,653文字

ⅳ 批評の今日
 東西冷戦崩壊後、今まで言及してきた批評がさらに分派し、あるいはマイナーな批評が顕在化して一般にも知られるようになる。カルチュラル・スタディーズやクイアーなどがそれに含まれる。大きな批評の流れは特になく、無数の小さな流れがあるだけである。

 実存主義が思想の覇権を握っていた頃、「主体」がキーワードで、思想家は「アンガージュマン」に取り組んでいる。それを批判して登場した構造主義は「主体」が同一性の暴力を秘めているとして「差異」を提唱する。フェルディナン・ド・ソシュールの「恣意性」に触発された彼らは「社会参加」ではなく、「差異」の実践として「異議申し立て」を試みる。

 その後の展開は大きく二つの流れがある。一つはポスト構造主義で、これは構造主義のラディカリズムである。構造主義の異議申し立てを徹底化した彼らが見出した世界が「ポストモダン」である。もう一つは主体の復権である。彼らは構造主義の批判を踏まえ、公共性の再検討に臨む。

 この二つの流れに共通するキーワードが「他者」である。「他者は」自己と非対称的な関係にある。それは自己との同一化を拒む。そこで求められるのが倫理である。長らく無視されてきた宗教的な理論や概念を思想家たちは盛んに引用し始める。

 この三つのキーワードは日本のスター批評家のテーマに合致する。「主体」は吉本隆明、「差異」は山口昌男、「他者」は柄谷港人である。大批評家の登場はこうした思想潮流と無縁ではない

 しかし、90年代に入ると、状況が変わる.「他者」をキーワードにして思想が展開されていくにつれ、それが単数ではないことに気がつく。他者にも他者がいる。それは複数であり、空間は言うに及ばず、過去にも未来にもいる。他者の連鎖は無限に続く。そうなると、他者を一般化して論じることが困難である。各々の他者に個別対応する必要がある。これにより思想が錯綜する。当然、大思想家は登場しにくい。専門性の高い研究者が協同して個々の諸問題を通じて思想を語らざるを得ない。

 諸子百家やソフィストが示しているように、思考の乱立状態は創造的かつ刺激的であるはずだが、現状は必ずしもそうではない。物事の根本はシンプルであるけれども、90年代にドサクサ紛れに登場した批評家はそれが明らかになっては困るから、複雑化しているにすぎない。2001年以降、以前から勢力拡大を狙っていたファンダメンタリズムや暴力主義、新保守主義といった極端な発想が台頭し、批評家はそれに対抗しつつも、無力感を覚えている。批評が力を持つようになった結果、批評もドラッグとして機能する危険性をはらむようになる。ドラッグは、何もしていないのに、何かをしているような感覚を味合わせてくれる。批評が知識人のドラッグに陥っていたのが顕在化している。しかも、信じられないことに、新たな動向が生まれようとも、いまだに、文芸批評では、「答え」ではなく、「問い」を発することが重要だというアンリ・ポアンカレ流の19世紀的な姿勢が蔓延している。20世紀において、思考に必要なのはアルゴリズムであって、「問い」ではない。権威主義に陥らずに、それを克服するには雑草のようにはびこるほかない。「雑草は未開の広大な空地の間にしか存在しない。雑草が空隙を埋める。雑草は他のものの間に──隙間に生える。花は美しく、キャベツは有用で、けしの実は錯乱させる。だが、雑草ははびこる、それが教訓だ」(ヘンリー・ミラー『ハムレット』)。批評はさらに小さくなっていかざるを得ない。だが、そこにこそ新たな現象としての批評が生まれてくる素地がある。現代は非線形の時代だからである。

 現代文学は非常に多様で、中には極めて難解な作品も少なくない。それが社会的・文学的にいかなる意味を持っているのかを現代批評は理論を用いて語る。また、過去を扱う際には、社会史革命を踏まえて、現代批評は自説を示す。さらに、現代文学はそうした批評の主張を手掛かりに新たな作品を物語る。

 しかし、現代批評は解釈的・歴史的アプローチを進める中で、アイデンティティの確認を強いられる。多様であることは統一感がなく、成果の蓄積も乏しいことでもある。主観性から離れ、作者の死を前提に発展してきた現代批評はしばしば自身が何者であるかについて苛まれる。

 それは「文学はどこに行くのか」と言う問いかけでもある。近代文学は近代の原理・理念と結びついているため、アイデンティティが確かである。一方、現代は近代を批判的に継承し、普遍性を名指しつつ、多様性を尊重、包摂・共生する。新たな原理・理念を見つけたわけではない。そんな時代の現代文学も、批評と同様、アイデンティティが揺らいでいる。

 わくわくさせてくれるハマシャー・シュレマー社(Hammacher Schlemmer)や通販生活の通販カタログさながらに、批評の歴史を振り返ることはなかなか難しい。西洋中心の偏った批評の歴史をたどったが、日本のそれも簡単に振り返ってみよう。

 日本における広義の文芸批評は伝統的には歌論として行われている。紀貫之や藤原定家の歌論は長い間影響を与えている。江戸後期、本居宣長は中世以来の教訓的な文学観を批判し、「もののあはれ」を文学の本質と主張している。王朝時代の様式美を絶対化した点などは、古典古代を賞賛したボワローの立場と似ているが、明治以前、漢学が学問の主流であり、国学はマイナーな学問であったため、かのフランス人と違い、宣長の影響力は限定される。そもそも、「もののあわれ」にしても、室町時代以前の公家文化、すなわち一時代前に伝来した大陸文化である。

 明治になると、西洋の思想を導入しながら、近代的な文芸批評も急速に発展する。坪内逍遥は、『小説神髄』(1885~86)で、リアリズム小説観を確立し、正岡子規は俳句や短歌の伝統的な定型詩を文学の中に位置づけ、近代的な文芸批評の対象としている。また、北村透谷を代表とする「文学界」グループは、ロマン主義的な文学観を日本に移植している。文学論争も盛んに行われ、近代文学形成に向けた原動力となっている。

 大正時代に空前の出版ブームが起こり、マルクス主義的批評が有力となる一方で、新感覚派に代表されるようなモダニズムの理論も台頭する。こうした状況下、マルクス主義的文学観を批判し、エッセー・スタイルの独自の批評、告白としての批評を考案したのが、小林秀雄である。彼の登場以降、発達した文学産業を背景に、日本の文芸批評は文学作品の解説を超え、一つの自律した文学ジャンルになる。

 その後、現代に至るまで、オーソドックスな伝記的アプローチに新しい文学理論をミックスするタイプを主流としながら、さまざまな文芸批評家が登場する。平野謙、中村光夫、花田清輝、福田恆存、吉田健一、吉本隆明、江藤淳、山口昌男、蓮実重彦、柄谷行人など立場も方法も異なる批評家だが、いずれも現代日本文学を考える際に欠かせない。

 蓮実=柄谷の次の世代は浅田彰や中沢新一、上野千鶴子らであるけれども、後継の批評家を生み出すことがなく、文芸批評家の系譜はここで途切れたままである。日本の批評の理論と実践は大学の文学・思想研究者が欧米の理論と実践から吸収したものと出版産業が要求するもの、すなわちアカデミズムとジャーナリズムの折衷であり、彼らのニュー・アカデミズムはその頂点である。ただ、ジャーナリズムの比重が高いのが従来の日本批評の特徴である。文芸批評はアマレスではなく、プロレスというわけだ。今でも文芸批評家は多く登場しているが、文学論争はできても、後継の批評家が続くことはない。むしろ、社会史革命の洗礼を受けた歴史家が古典をめぐる刺激的な文学批評を提示している。彼らにとって文学作品も史料の一つであり、実証性の世界で鍛えられた読みこみ能力に基づく解解釈には説得力がある。ただ、各領域で細分化・専門化・高度化が進み、大きな文芸批評家の時代の終焉を迎えていることは確かである。これも世界思想の現状の反映だろう。

 その問いは「世界はどこに行くのか」につながる。しかし、それに答えることは容易ではない。ただ、電子メールやSNSの浸透に伴い、現在の人々が過去のどの時代に比しても最も書くことをしているのは確かだろう。現代人は「書くヒト」、すなわち「ホモ・スクリーベンス(homo scribens)」である。そうした時代的・社会的状況を踏まえるなら、従来読むことから把握されてきた批評を書くことからそうするべきだ。
 作者は最初の読者である。実際、小林秀雄や井伏鱒二、大西巨人など発表後に自作を書き換える作家も少なくない。近大批評が作者中心だとすれば、現代批評は読者中心である。しかし、批評は作者中心でも、読者中心でも、片手落ちだ。作者と読者が協同する批評が必要である。書き換えのエピソードは読者も作者になり得ることを物語る。
(『作者の死?』)

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