1:6 不運な人

文字数 4,874文字

ⅵ 不運な人
 「理性の破壊(Die Zerstörung der Vernunft)」(ジョルジ・ルカーチ)の間、多くの人に迷惑をかけ、世話になったことに謝罪と感謝を伝えたいと佐藤清文は言っている。佐藤清文は、あれ以来、う打つと体重増加という罰に苦しめられている。20歳の時に48kgだった体重は今では60kgを超えている。ちなみに、身長は170cmを切っている。2004年11月21日、退職教職員組合からの要請を受けて教育基本法改悪反対のデモ行進をすることになった母親から、「また太ったんじゃない?お前は少し運動不足だから、運動した方がいいね」と言われて、一緒に銀座をデモの中で歩いている。新橋で寿司をつまんで、生ビールを飲んで景気をつけ、佐藤清文は黒い皮のコートに赤いシャツ、濃紺のジーンズ、カーキ色の靴、黒いサングラスをかけて、ガムを噛み鳴らし、ポケットに手を突っこみながら、銀座の皆さんに愛想をふりまいている。あれはいいウォーキングだったと言わねばなるまい。それに味をしめてデモに参加するようになったと佐藤清文から聞かされている。何しろ、ついこの間も、法事の前日に、息を止めなければパンツのウェストが入らないことが判明し、あそこの食事を逃してはならないと、あわてて仕立て屋に飛びこみ事なきを得たと聞いている。献杯の日本酒から、予想通り、美味しかったという佐藤清文の説明をうんざりするほど受けたことは言うまでもない。

 2020年春先からパンデミックによる行動制限のため、佐藤清文はウォーキングを自粛している。その代わり、時間のある時に、自宅マンションの屋内をウォーキングしている。2DKを回ったり、行ったり来たりして1日10000歩を目標にしている。佐藤清文はそれを「行道」と呼んでいる。鴨長明を始め隠者は、草庵の中で仏像の周りをぐるぐる回る修行に励んでいる。これを「行道」と言い、佐藤清文もそれに倣っている。ただ、狭い部屋を回っていると眩暈がしてくると自らの未熟さを佐藤清文は恥じている。

All the world ’s a stage,
And all the men and women merely players. 2
They have their exits and their entrances;
And one man in his time plays many parts,
His acts being seven ages. At first the infant,
Mewling and puking in the nurse’s arms.
And then the whining school-boy, with his satchel
And shining morning face, creeping like snail
Unwillingly to school. And then the lover,
Sighing like furnace, with a woful ballad
Made to his mistress’ eyebrow. Then a soldier,
Full of strange oaths and bearded like the pard;
Jealous in honour, sudden and quick in quarrel,
Seeking the bubble reputation
Even in the cannon’s mouth. And then the justice,
In fair round belly with good capon lined,
With eyes severe and beard of formal cut,
Full of wise saws and modern instances;
And so he plays his part. The sixth age shifts
Into the lean and slipper’d pantaloon,
With spectacles on nose and pouch on side;
His youthful hose, well saved, a world too wide
For his shrunk shank; and his big manly voice,
Turning again toward childish treble, pipes
And whistles in his sound. Last scene of all,
That ends this strange eventful history,
Is second childishness and mere oblivion,
Sans teeth, sans eyes, sans taste, sans everything.
(William Shakespeare “As You Like It” Act ii. Sc. 7)

 就職活動で落ちた企業は、その後も増え続け、延べ100社をゆうに超える。野村芳太郎監督の『大学は出たけれど』を地でいっている。どこに出しても恥ずかしくない堂々たる人生の落伍者であり、日本近代文学の保守本流の生活不能者である。平野謙が見たら涙を流して頬擦りしたくなることだろう。「もはや小説書きは『逃亡奴隷』ではない。文学の地の塩だったその栄誉は、今日文藝評論家の手に移りつつある、というのが近来の私の感想だ」(平野謙『文藝評論家とは』)。

 ハワード・ヒューズばりの謎めいた生活を試みたものの、経済力が追いつかず、メルヴィン・デュマル(Melvin Dummar)もいまだに現われていない。弟が購入した東京の荻窪のにあるマンションに妹と共に3年ほど居候していたものの、新郎として新婦を迎えることになったため、「兄(あん)ちゃん、悪いんだけど」とコンピュータを手切れに追い出されてしまう。情けないことに、佐藤清文は弟におごられっぱなしで、この20年間で佐藤清文が弟に御馳走したのは、PCの修理に来た際に出前をとったピザハットのデラックスMサイズのゴールデンチーズリングくらいである。飲み物にはエビス・ビールのロング缶2つを冷蔵庫から出している。

 妹は、佐藤清文の勧めにより、アラビア語を勉強しに、シリアに留学する。もちろん、内戦前のことだ。佐藤清文も休暇にヨルダンへ行き、当然、こう呟いている。”Aqaba! Aqaba...from the land!”近

 近所の賃貸マンションに引っ越したけれども、生活難は日増しに悪化し、眼病による失明の可能性も否定できないほどの視力の激減によって、絶望的とも言える状況に陥っている。当時はまだ病名の確かな診断もない。眼圧が高いので、緑内障があることは間違いないと医師たちは見立てている。なお、眼圧は最も高い時で、拡張期血圧並みの40に達する。緑内障になると、視神経がやられるので、眼鏡をかけても矯正視力は出ない。

 2009年春先に、佐藤清文は元のマンションに戻る。弟夫婦が一戸建てを購入したからである。以降、そこに妹と2人で住んでいる。東京で暮らし始めて、結局、荻窪から出ることはない。人生すごろくは振り出しに戻ったというわけだ。

 本人はハル・アシュビー監督による『チャンス(Being There)』のチョンシー・ガーディナーのつもりらしいが、マーティン・ブレスト監督の『セント・オブ・ウーマン 夢の香り(Scent of a Woman)』のフランク・スレイド中佐のような態度であり、たいした「オブローモフシチナ(Обломовщина)」ぶりだ。

 В Гороховой улице, в одном из больших домов, народонаселения которого Стало бы на целый уездный город, лежал утром в постели, на своей квартире, Илья Ильич Обломов.
 Это был человек лет тридцати двух-трех от роду, среднего роста, приятной наружности, с темно-серыми глазами, но с отсутствием всякой определенной идеи, всякой сосредоточенности в чертах лица. Мысль гуляла вольной птицей по лицу, порхала в глазах, садилась на полуотворенные губы, пряталась в складках лба, потом совсем пропадала, и тогда во всем лице теплился ровный свет беспечности. С лица беспечность переходила в позы всего тела, даже в складки шлафрока.
(Иван Александрович Гончаров "Обломов")

 そうしている佐藤清文は、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの如く、生成したいと願っている。古代ギリシア人のように、思索を楽しみ、ローマ人のように、風呂に入り、アラブ人のように、おしゃべりをし、ガーナ人のように、太っ腹で、ペルシア人のように、芸術に触れ、中国人のように、食事を味わい、インド人尾ように、自然科学を求め、アイルランド人のように、酒に溺れ、琉球人のように、健康で、アメリカ人のように、前向き、オーストラリア人のように、おおらかに、コスタリカ人のように、平和を愛し、さらにリストは続き、世界と歴史を感受したいと思っている。!سلام

 佐藤清文が批評を書き始めたのは、宇野千代を研究しているアメリカ人女性レベッカ・コープランド(Rebecca Copeland)との出会いである。彼女は、2003年、宇野千代の評伝と翻訳の“The Sound of the Wind”を刊行している。佐藤清文は彼女から日本文学を英語で学んでいる。周防正行監督の『Shall We ダンス?』(1996)さながらに、彼女の勧めが佐藤清文を書くことに向かわせている。初めて書いた文学批評は英文で、芥川龍之介との「小説の筋」論争を踏まえた谷崎潤一郎の『蓼食う虫』論である。その後、三島由紀夫の『憂国』論と続く。いずれも英文である。ただ、以後、佐藤清文は英文の文芸批評を欠いて居ない。その理由は聞くだけ野暮である。

Shall we dance?
On a bright cloud of music, shall we fly?
Shall we dance?
Shall we then say "Goodnight" and mean "Goodbye"?

Or perchance
When the last little star has left the sky
Shall we still be together
With are arms around each other
And shall you be my new romance?
On the clear understanding
That this kind of thing can happen
Shall we dance?
Shall we dance?
Shall we dance?
(大貫妙子 『Shall We Dance?』)
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