32.確認

文字数 2,607文字

 カトラリーケースからフォークをひっつかんで、無心のままパスタを口に運び始める。
 真っ白になった頭の中をそのままにしておきたかった。

「お嬢さん」

 だから、あの夜のように優しい声のツバメには目を向けられない。

「怖くても、怒ってても、何の感慨もないのだとしても、せっかくの機会だ。会っておけよ。二度目に会うかどうかはそん時決めりゃあいい。なんだかわからないうちに、二度と会えなくなってからじゃ遅いんだ」

 手が止まる。
 育ててくれたのは実の親どころか犯罪者で……実のご両親がどうなったのかも定かじゃないツバメの言葉は、その声の軽さに反して重すぎる。
 何不自由なく生きてきた自分が、ひどく浅ましく思えて……

「なーんて、カッコよく言ったところで、あっちの都合も聞かなきゃわかんねーんだが……ま、なんとかなると、思う」
「……会いたくないって、言うなら……無理しないで。私、そこまでして……」

 ハハ、と笑い声が聞こえて顔を上げる。でも、もうその時ツバメはにやにやと人を小馬鹿にした顔で。ツバメの笑顔を見逃すなんて、自分の問題も棚上げにしたがる人間には、やっぱり神様は優しくない。

「ないない。大丈夫」

 多くを語ってはくれないけれど、今はその軽い口調が私の不安を一枚はぎ取ってくれる。

「頑固だから、そういう面倒さはあるけどな」

 ふっと小さく息をついて、ツバメは自分の料理をかき込み始めた。



 マンションに戻ると、ツバメはアンドゥとそのバックアップデータを持って行ってしまった。
 「直ったら連れてくる」と言ってくれたけど、安藤が消えてしまっていたらと思うと、不安で仕方がなかった。
 暗くなってきたころ、インターホンが鳴った。急いで飛び出す。
 勢いに驚いたツバメが苦笑したけれど、その手に抱かれたアンドゥは、しっかりと私を見ながら目を細めてにゃあと鳴いた。

「あいつの分、丸々データが無くなってた」

 渋るツバメを無理やり中に上げて、説明を頼み込む私に、彼はまずそう言った。

「それって――」
『戻してもらいましたから、大丈夫ですよ』

 鈴から聞こえてきた声に、ほっと力が抜ける。

「あいつに調べられそうだったから、自分で消したんだと」
『前日に、念のためとバックアップを作っておいて良かったです。ツバメなら気づくと思いまして』
「たいした手間じゃねぇ」

 よかった、と、顔をほころばせて「おいで」と手を広げれば、アンドゥは駆けてきてくれる。
 どす、とみぞおちに飛び込まれて、一瞬息が止まった。

『あ……申し訳、ございません……』
「だ、大丈夫……」

 心配そうに見上げる青い瞳に、苦笑して見せる。撫でてあげれば、頭を擦り付けてきた。

『運動制御に介入していた分も消えてしまったので、しばらくご迷惑をかけるかもしれません』
「大丈夫。その方がバレないよ。アンドゥはアンドゥで可愛いから」

 アンドゥはちょっと複雑そうな顔をして、尻尾をゆらりと揺らしたのだった。

「じゃあな。昼の話は一応しておいたから、心配なら確認してくれ」
「あ、うん。わかった。ありがとう!」

 さっさと立ち上がって帰っていく背中に声をかけると、ツバメは背を向けたまま、片手を上げて応えた。
 ドアの閉まるのを確かめて、私は少し気を引き締める。

「母さんの話、私が成人してから……って、本当?」
『おおよそ、そうです。紫陽(しはる)さんが周囲に惑わされずに独り立ちした後なら、問題も多くないだろうと……』
「何がそんなに問題なの? 全く、居なかった人みたいに扱われるほど……何が」
『色々な要素が絡み合っていて、一言では語れないのです。崋山院の問題、お母様の問題、ツバメの問題……お母様自体は、朗らかで優しくて忍耐強い、良いお人ですよ』
「でも……出て行ってからは、一度も戻ってきてないのでしょう? 私と会っても……」
『崋山院に近寄っていないのは確かです。しかし、紫陽さんの成長過程はつぶさにご存じですよ? 学校行事も、季節の行事も、日々の小さな出来事も、お時間があれば遠くから、無いときは私が、ご報告差し上げてましたので』
「……え」

 心臓が跳ねだす。

『私やユリ様や紫苑様からの誕生日やクリスマスのプレゼントの中に、お母様からのものが紛れ込んでいました。花や蝶のモチーフの物は、だいたいがそうです』
「え!? そんな……どうして……ひとことも……!」
『知っていれば、会いたくなるでしょう? 子供のことです。周囲にも不用意に漏らしてしまうかもしれません』

 それは、そうだ。思い出せるプレゼントの数だけでも、結構なものになる。
 でも、だから、何故会ってはいけないのか。いけなかったのに、ツバメは会えというのか……

「わからないよ……」
『突然勝手に決めたツバメには、厳重に抗議しておきました。紫苑様とも話されていないのに……』
「父さん……もちろん、父さんは母さんの居場所を知ってたのよね? 父さんとツバメは、接点はなかったの?」

 そこは少々不思議だった。父さんは一度少年の頃に会ったことがあると言ったっきりだ。

『紫苑様はあの通りあちこち飛び回ってる方ですので……はちあいそうな時はツバメの方が避けていたようですし、何よりツバメは星に引きこもりましたから』
「やっぱり、父さんもいた方がいいよね……?」

 安藤はしばし黙りこんだ。アンドゥの青い目がじっと私を見上げている。

『……そこは、微妙ですね。いてもいなくても、多分そう変わらないと言いましょうか……』
「え? どういうこと?」
『ご両親は仲がとてもよろしいので……たまの機会に周囲の話を聞く気になるか甚だ疑問なので……しかし、そう言ってしまうと、ツバメの提案が最善だということになってしまうのが、解せません』

 目を閉じたアンドゥの顔が、悟りを開いた釈迦像のようにも見えた。

「仲がいい? 今も?」
『……おそらく』

 ますます分からない! どうなってるの?!
 私の表情を読んだのか、アンドゥは申し訳なさそうにうなだれた。

『こちらも、予定外のことが意外に多くてですね……ユリ様のように柔軟に対応できればいいのですが……』

 私はお婆ちゃんのいたずらっ子のような笑みを思い浮かべる。

「……ああ。お婆ちゃんなら、この様子を笑って眺めているんでしょうね。『時は止まってくれないのよ。流されるのか、舵を取るのか。選ぶのは、あなた』」

 口真似をしてみたら、コロコロと笑うお婆ちゃんの声が聞こえたような気がした。
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