22.思慕

文字数 2,294文字

『すみません。うっかり納得しかけました。そして、訂正すべき言葉を探しきれません。ですが……ユリ様がそれを見据えていたのなら、私を紫陽(しはる)さんに預けて、ツバメを管理人のままあの星を継がせたりはしなかったと思うのです。ですので、そうではないと思います、としか言えません』
「どうせ選べないのだから、初めてくらいは好きな人と。って言うんじゃないの?」
『紫陽さんの口調だと、そういう夢見る雰囲気も感じられませんので』
「それが素敵な体験なら、後の虚しさが大きくなるだけじゃない。幸い、私は恋も知らないもの。そのままの方がいいんじゃない?」

 安藤はまたしばらく黙ってしまった。

『ユリ様は……きっとそういうことも含めて、紫陽さんに独り立ちを促したかったのかもしれませんね。諦めばかりではなく……ツバメにも事情を話しておきます』
「え。つ、ツバメにも? どうして……」
『ツバメは、彼の言っていたように特殊な環境で育ってきました。ですので、自己欲求には素直です。庭や蜂の世話を始めて、だいぶ改善されていますが、それでも若い女性と二人きりで密室にいるような状況では、自分を抑えきる自信が無いのだと思います。紫陽さんとは、丁度対極な感じですね。脅して怯えてくれるような人間なら、それで済んだのでしょうが、紫陽さんではツバメが

きっかけを見つけられない。理由が解れば、落としどころを考えるくらいはするでしょう』

 そうかもしれないけど! でも、なんだかそれも恥ずかしい。
 恋も知らないお子様だなんて、知られたいことではないんだもの!
 もう、不注意なことはしないからと、あれこれ反対意見を述べてみたのだけれど、安藤が省みてくれることはなかった。



 気分的にちょっとふてくされていた、その夜。もうベッドに入ろうかという頃、アンドゥが今度はケーブルを咥えてきた。

「寝てる間に何かするの?」
『それならパソコンの方に繋いでもらいますよ。ツバメからアプリを落とせと連絡が来たので』
「何のアプリ?」

 言っている間に画面に新しいアイコンが増える。
 紫陽花のマークで、それだけではなんだかわからない。

『紫陽さんが欲しがってたものですよ。ツバメは市販のアプリはほとんど使わないので……これも自作のようです』
「え? 自作?」

 タップすると、チャット型コミュニケーションアプリのような画面が開いた。
 ドキドキしながら「こんばんは」と打ち込んでみる。名前などは出ないが、アイコンはやはり紫陽花のイラストだった。
 しばらくしてから既読がついて、燕のイラストのアイコンから「おう」と返ってきた。続けて「これでいいか」とも。

 ――うん。ありがとう。スタンプとかは……
 ――()え 画像は貼れるから自分で何とかしろ
 ――うん。試してもいい?

 返事はなかったけど、既読はついているのでいいんだろう。カメラマークをタップすれば、カメラが起動した。アンドゥを撮って、そのまま貼り付ける。フォルダのマークからは保存してある画像を選びに行けた。普通のアプリと変わらない使い勝手だ。
 なんとなく、お婆ちゃんの写真を選ぶ。

 ――なんで婆さんなんだよ

 文字だけだと笑っているのか、やっぱり不機嫌そうなのか判らない。

 ――なんとなく。しばらく会ってなかったんでしょ?
 ――別に会いたくねーよ もういいだろ
 ――通話! 通話もある

 私はそのまま受話器マークをタップした。
 無機質なコール音がしばらく続く。
 しつこく鳴らしていると、案の定不機嫌そうな声が聞こえてきた。

『しつけぇ!』
「ちゃんと繋がるかわかんないんだもん」
『繋がるに決まってんだろ!』
「うん。繋がった。ツバメ」
『……あん?』
「おやすみなさい」
『…………お、ぉぅ』

 急に小さくなった声に、聞こえないようにひそかに笑って、通話を切った。

『名前は出ないですが、専用ですので問題ないでしょう』
「専用、なの?」
『ツバメは用心深いというか、そう染みついてしまったのか、自分の情報を残すのを嫌がりますから。二年とはいえ、同じ部屋を借り続けるのも久しぶりです。そんな感じなので、ログは多分数日で消えますよ。残しておきたければ、スクショでもしておくんですね』
「え!? そうなの?」

 私は慌てて初めてのやりとりをスクショしておいた。
 友達やクラスメイトとやり取りしたことが無いわけではないのに、不思議と気分が高揚して、ほわんといい気分になっていた。ふてくされていた気分など、どこかに消えてしまっている。

「アンドゥにも入れる?」

 追加のアプリが入る容量はあるはず、と提案してみるけれど、安藤はあっさり断った。

『私はどちらとも直接繋がりますので』
「ふぅん?」

 安藤の要望で、その後はパソコンと繋いでおく。パソコンを手に入れたツバメと何やらやりとりするらしい。見た目はパソコンの隣で丸くなって寝ているようなアンドゥを撫でて、おやすみと囁いた。

 次の日はベッドを受け取りに数時間だけ新居に居て、あとは見納めかもと本家の庭を散策していた。
 お婆ちゃんの飛び出してきた窓。その辺りはイギリス庭園風の庭だった。私を隠すようだった一見無造作に植えられた植物たちも、今では高いものでも私の腰くらいまでしかない。
 庭に来る蝶や小さな虫たちに興味を示すアンドゥが、垣根の隙間に入り込んで時々見えなくなっても、呼べばちゃんと戻ってきてくれた。
 だから、私はアンドゥとの新たな生活に不安など無く、前向きに荷物をまとめ始めたのだ。
 週が明け、何度か荷物を運びこんで、桐人さんにも挨拶したその日。
 父に連れられてパーティに行ったアンドゥは、帰ってこなかった。
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