42.命名
文字数 2,443文字
前も使ったバックアップデータをツバメに渡す。男性がひとり横たわっているのもあって、部屋の中はあっという間に足の踏み場もなくなっていった。
「お嬢さんは新しい名前でも考えておけよ。さて――」
と、ツバメがキーボードを叩き始めると、男性の瞼が半分落ちる。寝ぼけているかのような、不思議な表情になった。
アンドゥはと、様子を窺うと、特に変わった様子もなく顔を洗っている。
『アンドゥに変化はありませんよ。基本設定が終わったら、後を私が引き継ぎます。要る、要らないや、合う合わないを調整するのがツバメの役目ですね』
「最新式に合わせて、すこーし直さなきゃ動かないモンが出てくるはずだからな。支障がない程度に動くようだったら、細かい調整はおいおいだな」
「容量は足りそうかい?」
ツバメが画面の前で指を弾くと、パラパラといくつかウィンドウが開いていく。
「フルで容れるならキツイが、そもそも今も以前も外から引っ張ってるだろ。同じ方式で外に置けるものは外に置くさ。そのうち増やすよ。秘書機能は残した方がいいのか?」
「そうしてもらえると、助かるんだがね」
「お嬢さんにはしばらく必要ないだろうから、それも外に出しておくか。問題は、セーフティロック……」
ツバメの指先が慌ただしく動いて、画面に警告マークが現れる。
とんとん、と床を指で叩きながら、彼は父さんをゆっくりと振り返った。
「どうする? 『安藤』には無かったものだ。もしもの場面で判断が遅れる可能性がある」
「オーバーフローからのフリーズではなく?」
「『安藤』には明確な基準がある。フリーズするような愚は侵さない。自分を殺してでも、な」
「しかし、ロックの解除 は法に触れる恐れがある」
「バレればな。『安藤』は上手くやれないと?」
『私は明確に法を犯したことが無い、とは言えません。が、今までバレてはいませんね』
三人の笑い声がひと時だけ重なった。
「私は止めた」
形だけそう言いながら、父さんはツバメのパソコンに手を伸ばす。
いくつかの画面を通り過ぎて、パスワード入力の画面でもその手の動きは止まらない。
無事に(?)先の画面に進むと、どうぞと言うようにその手のひらを上に向けた。
「……どこで手に入れるんだよ」
「そりゃ、人徳かな?」
「けっ」
口元に笑みを浮かべて、ツバメはパソコンに向き直った。そこに表示されているプログラム(だろう)に手を加えていく。
私にはよくわからない作業から目を離して、そっと父さんを窺ってみた。
ツバメなら、ツバメと安藤なら、パスワードを割り出すのも調べるのもできるのだろう。でも、それは明確に犯罪だ。パスワードを知っている人間が入れるのとはわけが違う。
父さんは私の視線に気づくと、優しく微笑んだ。
「これで壊れたら、保証がきかなくなる。その時の責任は君がとってくれよ」
「壊すかよ。なめんな」
父さんのおどけた声に返ってくる応えは自信満々だ。
横山さんが言っていたように、『安藤』はツバメにとっても特別なのかもしれない。真剣な横顔をカッコいいなと、少しだけ思ってしまった。
暗くなって、安藤が自分のデータを移動させている間に三人で食事に出た。ツバメは首や肩を回してコリをほぐしている。ずっと床での作業だったから、大変だったに違いない。
「あー。これで帰れる!」
大げさに天を仰ぎながら、ツバメは晴れ晴れと言った。
「よかったね」と言うつもりだったのに、どうしてか喉は塞がってしまう。代わりに、私も空を見上げてみた。明るい街の明かりにも負けずに、いくつかの星が見える。
「……アンドゥはどうするの?」
「ん? もちろん連れて帰るぞ。
憮然と言い切られて、少し不思議になった。そんなに可愛がる感じではないのに。
顔に出たのか、ぷいと顔を逸らしながらツバメは続ける。
「一度手に入れたら、手放したくないんだよ。何でも、な。
なるほどと頷く。
「ツバメが帰っちゃったら、彼のメンテナンスとか……困った時は、どうすればいいの?」
「婆さんみたいに星までくればいいだろ。あっちの方が作業はスムーズだ」
「え……でも……」
ツバメは首を傾げる。
「いや……面倒なら、別にあいつだけよこしてもいいけどな。親父さんのパスとあいつがいれば、宇宙船の手配も操縦も問題ないだろ?」
ぱちぱちと瞬いて、そうかと急に心臓が早くなった。もう一つの懸念も口をつく。
「二人で、行ってもいい?」
「あん?」
ツバメはちょっとだけひるんで、ちらとだけ父さんを確認した。
「まあ……メンテなら、仕方ないし、一泊くらいなら……いい、んじゃないか。なんなら、宇宙船 で寝ればいい」
父さんは黙ってにこにことしていたけど、無言の圧は感じる。
「うん……わかった。揚羽さん行くときに便乗させてもらってもいいかも。お墓参りとアンドゥにも会いたいから、時々行く」
「たまに、にしてくれ」
父さんの笑みが深くなったのを見て、間髪入れずツバメは訂正を要求した。
私には、そう違いは感じられないのだけど、そこは大事なのだろうか。
疑問には思ったものの、とりあえず頷いておいた。
「で? 新しい名前は決まったのか?」
少し強引な話題変更に、私はちょっとだけ口ごもる。思いついたら、その顔にとても似合う気がしたのだけれど、今言うのはなんだか恥ずかしい。
ご飯を食べて戻ったら起動できるだろうという話なので、その時に呼び掛けて登録することになるのだ。
「あ、あとで……」
ツバメは首を傾げたけれど、深追いはしないで前を向いた。
もう渋い顔をするツバメが見えるような気がする。偶然なんだよ、と言い訳をしたくなる。
三つ目の安藤の名前。彼は気に入ってくれるだろうか。きっと、笑ってくれると思うのだけれど。
その笑顔を想像しながら、私はそっと胸の奥でその名を呟く。
“飛燕 “
と。
☆ 第二部「地上の星に舞う蝶は」 おわり ☆
「お嬢さんは新しい名前でも考えておけよ。さて――」
と、ツバメがキーボードを叩き始めると、男性の瞼が半分落ちる。寝ぼけているかのような、不思議な表情になった。
アンドゥはと、様子を窺うと、特に変わった様子もなく顔を洗っている。
『アンドゥに変化はありませんよ。基本設定が終わったら、後を私が引き継ぎます。要る、要らないや、合う合わないを調整するのがツバメの役目ですね』
「最新式に合わせて、すこーし直さなきゃ動かないモンが出てくるはずだからな。支障がない程度に動くようだったら、細かい調整はおいおいだな」
「容量は足りそうかい?」
ツバメが画面の前で指を弾くと、パラパラといくつかウィンドウが開いていく。
「フルで容れるならキツイが、そもそも今も以前も外から引っ張ってるだろ。同じ方式で外に置けるものは外に置くさ。そのうち増やすよ。秘書機能は残した方がいいのか?」
「そうしてもらえると、助かるんだがね」
「お嬢さんにはしばらく必要ないだろうから、それも外に出しておくか。問題は、セーフティロック……」
ツバメの指先が慌ただしく動いて、画面に警告マークが現れる。
とんとん、と床を指で叩きながら、彼は父さんをゆっくりと振り返った。
「どうする? 『安藤』には無かったものだ。もしもの場面で判断が遅れる可能性がある」
「オーバーフローからのフリーズではなく?」
「『安藤』には明確な基準がある。フリーズするような愚は侵さない。自分を殺してでも、な」
「しかし、
「バレればな。『安藤』は上手くやれないと?」
『私は明確に法を犯したことが無い、とは言えません。が、今までバレてはいませんね』
三人の笑い声がひと時だけ重なった。
「私は止めた」
形だけそう言いながら、父さんはツバメのパソコンに手を伸ばす。
いくつかの画面を通り過ぎて、パスワード入力の画面でもその手の動きは止まらない。
無事に(?)先の画面に進むと、どうぞと言うようにその手のひらを上に向けた。
「……どこで手に入れるんだよ」
「そりゃ、人徳かな?」
「けっ」
口元に笑みを浮かべて、ツバメはパソコンに向き直った。そこに表示されているプログラム(だろう)に手を加えていく。
私にはよくわからない作業から目を離して、そっと父さんを窺ってみた。
ツバメなら、ツバメと安藤なら、パスワードを割り出すのも調べるのもできるのだろう。でも、それは明確に犯罪だ。パスワードを知っている人間が入れるのとはわけが違う。
父さんは私の視線に気づくと、優しく微笑んだ。
「これで壊れたら、保証がきかなくなる。その時の責任は君がとってくれよ」
「壊すかよ。なめんな」
父さんのおどけた声に返ってくる応えは自信満々だ。
横山さんが言っていたように、『安藤』はツバメにとっても特別なのかもしれない。真剣な横顔をカッコいいなと、少しだけ思ってしまった。
暗くなって、安藤が自分のデータを移動させている間に三人で食事に出た。ツバメは首や肩を回してコリをほぐしている。ずっと床での作業だったから、大変だったに違いない。
「あー。これで帰れる!」
大げさに天を仰ぎながら、ツバメは晴れ晴れと言った。
「よかったね」と言うつもりだったのに、どうしてか喉は塞がってしまう。代わりに、私も空を見上げてみた。明るい街の明かりにも負けずに、いくつかの星が見える。
「……アンドゥはどうするの?」
「ん? もちろん連れて帰るぞ。
俺が
もらったものだからな」憮然と言い切られて、少し不思議になった。そんなに可愛がる感じではないのに。
顔に出たのか、ぷいと顔を逸らしながらツバメは続ける。
「一度手に入れたら、手放したくないんだよ。何でも、な。
俺の物
はあまりないから……あとは、あれだ。こっちのあいつと情報を共有できる。便利だろ」なるほどと頷く。
「ツバメが帰っちゃったら、彼のメンテナンスとか……困った時は、どうすればいいの?」
「婆さんみたいに星までくればいいだろ。あっちの方が作業はスムーズだ」
「え……でも……」
ツバメは首を傾げる。
「いや……面倒なら、別にあいつだけよこしてもいいけどな。親父さんのパスとあいつがいれば、宇宙船の手配も操縦も問題ないだろ?」
ぱちぱちと瞬いて、そうかと急に心臓が早くなった。もう一つの懸念も口をつく。
「二人で、行ってもいい?」
「あん?」
ツバメはちょっとだけひるんで、ちらとだけ父さんを確認した。
「まあ……メンテなら、仕方ないし、一泊くらいなら……いい、んじゃないか。なんなら、
父さんは黙ってにこにことしていたけど、無言の圧は感じる。
「うん……わかった。揚羽さん行くときに便乗させてもらってもいいかも。お墓参りとアンドゥにも会いたいから、時々行く」
「たまに、にしてくれ」
父さんの笑みが深くなったのを見て、間髪入れずツバメは訂正を要求した。
私には、そう違いは感じられないのだけど、そこは大事なのだろうか。
疑問には思ったものの、とりあえず頷いておいた。
「で? 新しい名前は決まったのか?」
少し強引な話題変更に、私はちょっとだけ口ごもる。思いついたら、その顔にとても似合う気がしたのだけれど、今言うのはなんだか恥ずかしい。
ご飯を食べて戻ったら起動できるだろうという話なので、その時に呼び掛けて登録することになるのだ。
「あ、あとで……」
ツバメは首を傾げたけれど、深追いはしないで前を向いた。
もう渋い顔をするツバメが見えるような気がする。偶然なんだよ、と言い訳をしたくなる。
三つ目の安藤の名前。彼は気に入ってくれるだろうか。きっと、笑ってくれると思うのだけれど。
その笑顔を想像しながら、私はそっと胸の奥でその名を呟く。
“
と。
☆ 第二部「地上の星に舞う蝶は」 おわり ☆