01.宙港
文字数 2,844文字
※慌ただしく戻ってきた紫陽。安藤のことばかりではなく、彼女を取り巻く環境は刻一刻と変わっていく。そんな中には、今まで語られてこなかった母のことも――
第二部という形で、過去の話など紐解いていきます。
SFというよりはヒューマンドラマよりになっていますが、よろしければお付き合いください。
☆ ☆ ☆
第二部 地上の星に舞う蝶は
軽く仮眠をとっているうちに、無事に『TerraSS 』へと帰り着いていた。
行きよりも早かった気がしたのだけれど、気のせいじゃなかったらしい。
ほんの数日で体内時計がすっかり狂ってしまった私は、宇宙船を降りてから自分のモバイル端末を取り出した。
「五時……」
日本時間で早朝。行きの倍の速度で帰ってきたことになる。
船内では特にスピードを感じることはないのだけれど、身体が少しぐったりと重く感じるのは、昨日の今日だからなのだろうか。
『紫陽さん、大丈夫ですか?』
足元に寄ってきたアンドゥが、青い目でじっと見上げていた。
『移動だけでも結構疲れますからね。部屋を取って、休んでますか? 私はツバメに付き合わなければいけないのですが』
「そうなの? 今から? 伯母様との約束は、午後からよね?」
アンドゥを抱き上げながら聞くと、鈴からため息が聞こえてきた。
『さすがに、あの格好でカスミ様に引き合わせるのは、まずいのではないかと……』
船をポートに預ける手続きを終えたツバメの方に視線を投げて、アンドゥはぐるぐると喉を鳴らした。
あちこち穴の開いたジーンズのポケットに両手を突っ込んで、黒のTシャツは色褪せてよれよれ。足元はサンダル履きというツバメ。
簡易宇宙服に身を包んでいた時はパリッとしていたけど、少し猫背なせいもあって、確かに冴えない。
「え。着替えくらい、持ってきてるんじゃ……」
『持ってるように見えますか?』
見えない。トランクどころか、リュックもポーチの類も見当たらない。
唖然とする私の前まで急ぐでもなく歩いて来て、ツバメは眉をひそめた。
「なんだよ」
「荷物、は」
「ねぇよ」
その手で私のスーツケースを掴むと、さっきと同じ調子で歩き出す。
『ツバメ。まず、私を入れるキャリーを買ってください』
「
『その恰好ではカスミ様に会わせられません』
「じゃー、キャンセルするわ」
『大人げないことを言わないでください。全部紫陽さんに押し付けるのですか?』
聞えよがしな溜息を吐くと、ツバメはのろのろと方向転換をした。
布製の黒いキャリーバッグを横に置いて、ツバメはワイヤレスイヤホンをいじっていた。
これも今さっき購入したものだ。片方だけ装着すると、髪が耳にかかるように緩く結わえ直して立ち上がる。
「ウルセーな。ちゃんと繋いだんだからいいだろ。俺はこのままでも構わねー」
ツバメは独り言のように言って、キャリーバッグを斜め掛けにした。
「……あん?」
こちらを見ると、仕方なさそうに黙って手を差し出す。
「え? 何?」
指先でつままれたイヤホンを、ツバメは軽く振った。
受け取って、促されるままつけてみる。
『……えますか? 紫陽さん』
キャリーに収まってからはほとんど声を出さなかった安藤の声が聞こえた。
キャリーは静かなままだ。
「……安藤?」
『はい。ですが、念のため、名前は出さないように』
「あ、うん。わかった……」
『お休みになるのなら、部屋を取りますが、どうしますか?』
「二人は、どこに行くの?」
『知り合いの店がありますので、そちらに』
「気が進まねーんだけどな」
『今なら、こちらにはいないはずなのですが』
「だといいな」
肩をすくめるツバメの様子に興味が湧く。普段自分では行かないお店を見ているのは、少し楽しかった。
「ついていっても大丈夫?」
『実は、そうしてもらえると助かります。私に変な興味を持たれたくないので』
「俺が担いで行ったら、確実に怪しまれるもんな」
『では、イヤホンはそのままで。歩きながら話しましょう』
私の荷物も引き始めたツバメの後を慌てて追いかける。
「あ、こっちはもういいよ」
スーツケースの方に手を出した私をひと睨みして、ツバメはぷいと顔を逸らす。
「こいつだけ運ぶなんてごめんだ」
「……えぇ?」
どういう理由なの?
耳の中で聞こえるくすくす笑いに、大きな舌打ちが重なった。
周囲の店が電気屋や薬屋などから、若者御用達のファッション雑貨の店になり、もう少し歩くと比較的落ち着いたファッション店舗が並ぶ区画に着く。さらに先には有名なブランド店の看板も見えた。
ツバメが立ち止まったのは『ambivalens』と書かれただけの、シンプルな看板の下がるお店の前だった。
『私はできるだけ黙りますが、もしも質問されたら、私は紫陽さんの所有物ということで。見立ては、紫陽さんでも構わなそうですかね?』
「どうでもいいって」
面倒くさそうに言って、ツバメはアンドゥの入ったキャリーバックを私に押し付けた。
一歩踏み出したツバメに、アンティークなドアは予想に反して横にスライドする。後に続くと、小型のディスプレイに迎えられた。私とツバメの体温が緑色で表示されて、簡単なバイタルチェックが行われる。
『いらっしゃいませ。本日はリモート対応のみとなっております。お困りの際はお近くの端末でご連絡ください』
と店内にアナウンスが響いて、あちこちにある端末が点滅した。ざっと見ても他のお客さんも店員さんもいない。
ラックにかかった見本用の洋服の中には、ビジネス用スーツは見当たらなかった。ジャケットやパンツも、置いてあるのはどちらかというとカジュアルなラインナップだ。
ツバメは慣れた様子で近くの端末に近づき、空中で画面を撫でるような仕草をする。すぐに端末の上に数字が浮かび上がった。緑色の数字に触れると、画面が変わる。
「お嬢さん。好きなの選んでくれ」
「……私?」
画面をのぞき込むと、シングル、ダブル、スリーピースにモーニングと、結構な種類が並んでいた。
「モーニングを選んだら、着ていってくれる?」
「な、わきゃねーだろ。何しに行くんだよ」
伯母様の意表は突けそうだけど。笑って、無難な紺のスーツを指差すと、ツバメは頷いてそれを選択した。
画面に『1番にお入りください』と表示され、その数字のついた部屋のプレートが光っている。
デジタル試着室には採寸装置がついているところがほとんどだ。姿見のようなサイズの画面の中で試着してもしなくても、手軽に丁度良いサイズを提示してくれるので重宝する。私も夏用のシャツを試してみようかな。無人のお店はそういうところが気軽でいい。
ツバメが試着室に入って、端末がトップ画面に戻るのを見届けたところで、店内のスピーカーからガサリと雑音が聞こえた。手動でスイッチを切り替えたような。
なんだろう?
『――タカ……! ちょっと! タカじゃない! なんで『TerraSS 』にいるのよ!!』
顔を上げたのと、店内に女性の声が響き渡ったのは、同時だった。
第二部という形で、過去の話など紐解いていきます。
SFというよりはヒューマンドラマよりになっていますが、よろしければお付き合いください。
☆ ☆ ☆
第二部 地上の星に舞う蝶は
軽く仮眠をとっているうちに、無事に『
行きよりも早かった気がしたのだけれど、気のせいじゃなかったらしい。
ほんの数日で体内時計がすっかり狂ってしまった私は、宇宙船を降りてから自分のモバイル端末を取り出した。
「五時……」
日本時間で早朝。行きの倍の速度で帰ってきたことになる。
船内では特にスピードを感じることはないのだけれど、身体が少しぐったりと重く感じるのは、昨日の今日だからなのだろうか。
『紫陽さん、大丈夫ですか?』
足元に寄ってきたアンドゥが、青い目でじっと見上げていた。
『移動だけでも結構疲れますからね。部屋を取って、休んでますか? 私はツバメに付き合わなければいけないのですが』
「そうなの? 今から? 伯母様との約束は、午後からよね?」
アンドゥを抱き上げながら聞くと、鈴からため息が聞こえてきた。
『さすがに、あの格好でカスミ様に引き合わせるのは、まずいのではないかと……』
船をポートに預ける手続きを終えたツバメの方に視線を投げて、アンドゥはぐるぐると喉を鳴らした。
あちこち穴の開いたジーンズのポケットに両手を突っ込んで、黒のTシャツは色褪せてよれよれ。足元はサンダル履きというツバメ。
簡易宇宙服に身を包んでいた時はパリッとしていたけど、少し猫背なせいもあって、確かに冴えない。
「え。着替えくらい、持ってきてるんじゃ……」
『持ってるように見えますか?』
見えない。トランクどころか、リュックもポーチの類も見当たらない。
唖然とする私の前まで急ぐでもなく歩いて来て、ツバメは眉をひそめた。
「なんだよ」
「荷物、は」
「ねぇよ」
その手で私のスーツケースを掴むと、さっきと同じ調子で歩き出す。
『ツバメ。まず、私を入れるキャリーを買ってください』
「
これ
にでも入ってろよ」『その恰好ではカスミ様に会わせられません』
「じゃー、キャンセルするわ」
『大人げないことを言わないでください。全部紫陽さんに押し付けるのですか?』
聞えよがしな溜息を吐くと、ツバメはのろのろと方向転換をした。
布製の黒いキャリーバッグを横に置いて、ツバメはワイヤレスイヤホンをいじっていた。
これも今さっき購入したものだ。片方だけ装着すると、髪が耳にかかるように緩く結わえ直して立ち上がる。
「ウルセーな。ちゃんと繋いだんだからいいだろ。俺はこのままでも構わねー」
ツバメは独り言のように言って、キャリーバッグを斜め掛けにした。
「……あん?」
こちらを見ると、仕方なさそうに黙って手を差し出す。
「え? 何?」
指先でつままれたイヤホンを、ツバメは軽く振った。
受け取って、促されるままつけてみる。
『……えますか? 紫陽さん』
キャリーに収まってからはほとんど声を出さなかった安藤の声が聞こえた。
キャリーは静かなままだ。
「……安藤?」
『はい。ですが、念のため、名前は出さないように』
「あ、うん。わかった……」
『お休みになるのなら、部屋を取りますが、どうしますか?』
「二人は、どこに行くの?」
『知り合いの店がありますので、そちらに』
「気が進まねーんだけどな」
『今なら、こちらにはいないはずなのですが』
「だといいな」
肩をすくめるツバメの様子に興味が湧く。普段自分では行かないお店を見ているのは、少し楽しかった。
「ついていっても大丈夫?」
『実は、そうしてもらえると助かります。私に変な興味を持たれたくないので』
「俺が担いで行ったら、確実に怪しまれるもんな」
『では、イヤホンはそのままで。歩きながら話しましょう』
私の荷物も引き始めたツバメの後を慌てて追いかける。
「あ、こっちはもういいよ」
スーツケースの方に手を出した私をひと睨みして、ツバメはぷいと顔を逸らす。
「こいつだけ運ぶなんてごめんだ」
「……えぇ?」
どういう理由なの?
耳の中で聞こえるくすくす笑いに、大きな舌打ちが重なった。
周囲の店が電気屋や薬屋などから、若者御用達のファッション雑貨の店になり、もう少し歩くと比較的落ち着いたファッション店舗が並ぶ区画に着く。さらに先には有名なブランド店の看板も見えた。
ツバメが立ち止まったのは『ambivalens』と書かれただけの、シンプルな看板の下がるお店の前だった。
『私はできるだけ黙りますが、もしも質問されたら、私は紫陽さんの所有物ということで。見立ては、紫陽さんでも構わなそうですかね?』
「どうでもいいって」
面倒くさそうに言って、ツバメはアンドゥの入ったキャリーバックを私に押し付けた。
一歩踏み出したツバメに、アンティークなドアは予想に反して横にスライドする。後に続くと、小型のディスプレイに迎えられた。私とツバメの体温が緑色で表示されて、簡単なバイタルチェックが行われる。
『いらっしゃいませ。本日はリモート対応のみとなっております。お困りの際はお近くの端末でご連絡ください』
と店内にアナウンスが響いて、あちこちにある端末が点滅した。ざっと見ても他のお客さんも店員さんもいない。
ラックにかかった見本用の洋服の中には、ビジネス用スーツは見当たらなかった。ジャケットやパンツも、置いてあるのはどちらかというとカジュアルなラインナップだ。
ツバメは慣れた様子で近くの端末に近づき、空中で画面を撫でるような仕草をする。すぐに端末の上に数字が浮かび上がった。緑色の数字に触れると、画面が変わる。
「お嬢さん。好きなの選んでくれ」
「……私?」
画面をのぞき込むと、シングル、ダブル、スリーピースにモーニングと、結構な種類が並んでいた。
「モーニングを選んだら、着ていってくれる?」
「な、わきゃねーだろ。何しに行くんだよ」
伯母様の意表は突けそうだけど。笑って、無難な紺のスーツを指差すと、ツバメは頷いてそれを選択した。
画面に『1番にお入りください』と表示され、その数字のついた部屋のプレートが光っている。
デジタル試着室には採寸装置がついているところがほとんどだ。姿見のようなサイズの画面の中で試着してもしなくても、手軽に丁度良いサイズを提示してくれるので重宝する。私も夏用のシャツを試してみようかな。無人のお店はそういうところが気軽でいい。
ツバメが試着室に入って、端末がトップ画面に戻るのを見届けたところで、店内のスピーカーからガサリと雑音が聞こえた。手動でスイッチを切り替えたような。
なんだろう?
『――タカ……! ちょっと! タカじゃない! なんで『
顔を上げたのと、店内に女性の声が響き渡ったのは、同時だった。