16.帰還
文字数 2,734文字
『私の持つデータのうち、プライベートなものをこちらのクラウド上に一時避難させてあります。それから、あの個体の持つ私個人の細かいデータも隔離してロックをかけました。残したのは基本システムと秘書プログラムで学習したものだけ。それでおそらく、サルベージされても既存の秘書アンドロイド並みの性能しか出ないはずです。何か言われたら、衝撃でデータが飛んだんだろうと言ってください』
「クラウドかよ。個人的な方は頭から飛んでたわ」
『だと思いました』
「てか、俺のパスワード……!」
『緊急事態でしたので。大丈夫ですよ。ツバメの
「……だから……何見てやがんだよ?!」
首根っこを掴まれそうになったのをするりと抜け出し、猫は楽し気にツバメの頭までよじ登って行った。
「今話してる安藤は……どういう?」
ツバメの頭を踏み台に、私の元へと飛んでくる猫を慌ててキャッチする。くりくりと輝く青い瞳はやんちゃで、安藤とは似ても似つかない。
『バックアップの、さらに一部です。容量が足りませんので、こうしてお話しするくらいしかできません。元の私に一番近いのかもしれませんが。バックアップへのアクセスキーは受講用アプリの一部に潜り込ませてあります』
「なんだと? くそ。それで、そんなに遅くまで作業してたって訳か」
『それでも急いだんですけどね。紫陽 さんに見つかるとも思ってませんでした。おかげでツバメの不信感を上乗せできたので、結果オーライと言えるでしょう』
「最初から言っとけよ!」
『ツバメも紫陽さんも、そう上手い演技ができるとは思えませんでしたので』
ツバメは苦虫を噛み潰したような顔をして、私は力なくあははと笑った。
『わざわざ一発撃って場所を知らせたのに、いつまでも助けに来ないのでひやひやしましたよ。紫陽さんでは、引き金を引いてくれそうにありませんでしたし……この子の声がしたときは、あなたも上から来るのかと』
「ドームの方は触ってなかったみたいだが、家のセキュリティはいじられてたからな。玄関は開かねーし、元に戻すのに奥に行って、引き返そうとしたら話声が聞こえたんだよ。裏口が使えると思って、様子を窺ってたんだ。お嬢さんに撃てっていうくらいだから、撃たれたいんだとちゃんと理解しただろ?」
「え、と……とりあえず、これは、伯母様に報告しなくちゃいけないのよね? ツバメは罪に問われたり……賠償させられたり……」
『しませんよ。ありのままに話せば、疑われはするでしょうが、あの体に残ってるブラックボックスが証明してくれます。断言はしていませんが、カスミ様の痛いところを突く話もしてますし、保険も降りるでしょうからお咎めなしのはずです』
「なら、いいけど……」
またひとつ、伯母様に言われるイヤミが増えるなと、少しだけ肩を落とす。
「おい……まて。まてまてまて。まさか、俺も行くのか!?」
『当たり前ではないですか。あなたが撃ったんですから。呼びつけますか? ここに?』
まるで今気付いたとでもいうように、ツバメはパクパクと口を開け閉めした。
『それに、猫 では操縦できないので、紫陽さんを送ってもらわないと。『TerraSS 』まででもいいですよ』
私を見て、猫を見て、もう一度私を見て、ツバメは目を閉じてガリガリと頭をかいた。
伯母様へ連絡を入れて、現場写真を添付しておく。
通信機の向こうでは明らかな動揺と、バタバタと人の動き出す気配がしていた。『TerraSS 』で落ち合う約束をして、ようやく肩の力が抜ける。
安藤の穴の開いた身体を見ると涙がにじんできて、喉が詰まる。だから、伯母様も疑う様子はなかった。
安藤のボディは当然、眼鏡のひとかけらまで回収して宇宙船に乗せる。
それでも後から調査は入るだろうということだった。安藤はそれまでにはクラウドのデータも回収する予定のようだ。
「そういえば、なんで初めは起動しなかったんだ?」
宇宙船のリビングのソファでくつろぐ猫の額をはじきながら、フルボディスーツのツバメが訊いた。
伯母様に会うからと髭を剃って、きっちりと髪を結わえた姿は少し若返った、かも。
『私がシャットダウンした時にスイッチが入るようになってたんです』
「シャットダウンしなかったら?」
『隙を見て、入れましたよ』
猫はツバメに構う様子もなく、尻尾を揺らしながら横になったままだ。
「それで、あんたは?」
『調査を見届けて、データを回収したら紫陽さんについていきますよ。このままでも助言くらいはできますから。しばらくは』
「俺へのプレゼントじゃないのかよ」
渋い顔をしたツバメに、猫はちらと片目を開けた。
『そんなに喜んでもらえていたとは知りませんでした。このままツバメも
「なっ……だ、だ、だ、誰が、お嬢さんにっ……!」
『「私」が「ツバメ」に「紫陽さんを介して」会わせてもらえるんです』
にやりと笑った安藤の顔が見えた気がした。
息をのんで一瞬絶句したツバメは、すぐにわなわなと震えだした。
「な、んっ……おまえ! わざと……! 違う! 違うからな!! 俺は、降りる気はない!」
反応に困っている私に何故か睨みをきかせて、ツバメはコックピットへと入って行ってしまった。
眠っているような猫からはくすくす笑う声がする。
「……安藤、何が違うの?」
『何か葛藤があるのではありませんか? 私にはよく解りません。それから、この体には「安藤」と呼び掛けてはいけませんよ』
「ああ、うん。わかってるけど、話してると、つい」
『似たような響きの名前を考えた方がいいですかね……ごまかせるような……undo、とか』
「undo ? すごい。ぴったりね。これからもよろしく。アンドゥ」
その頭を優しく撫でると、ゴロゴロと喉が鳴った。
お婆ちゃんは庭の中でも少し高くなった場所に埋めてあげた。
循環させている水の湧く場所で、そのまま幅十センチほどの小川になっていく。庭を見渡せるその場所に、ツバメはユリの花を植えてくれると言った。
周りに言われるままに経営学部を受けたけど、今になって土に触れる仕事に興味が出てきている。ツバメは教えてくれるだろうか。単純だと馬鹿にされるだろうか。どこかにいい学校があるだろうか。
きっと私は宙 にある遠い祖母の墓標を時々見上げて、時々訪れることになるだろう。
おしゃべりな、猫を連れて。
☆宙 の花標 ・第一部 終幕 ☆
※undo・・・〈行為・状況を〉元に戻す,元どおりにする,復旧する,〈失敗・損害などを〉回復する;抹消する,取り消す,〈人の〉心のたがをはずす,どぎまぎさせる,〈人を〉誘惑する など。
「クラウドかよ。個人的な方は頭から飛んでたわ」
『だと思いました』
「てか、俺のパスワード……!」
『緊急事態でしたので。大丈夫ですよ。ツバメの
好み
を吹聴するようなことはいたしませんから。ええ。誓って』「……だから……何見てやがんだよ?!」
首根っこを掴まれそうになったのをするりと抜け出し、猫は楽し気にツバメの頭までよじ登って行った。
「今話してる安藤は……どういう?」
ツバメの頭を踏み台に、私の元へと飛んでくる猫を慌ててキャッチする。くりくりと輝く青い瞳はやんちゃで、安藤とは似ても似つかない。
『バックアップの、さらに一部です。容量が足りませんので、こうしてお話しするくらいしかできません。元の私に一番近いのかもしれませんが。バックアップへのアクセスキーは受講用アプリの一部に潜り込ませてあります』
「なんだと? くそ。それで、そんなに遅くまで作業してたって訳か」
『それでも急いだんですけどね。
「最初から言っとけよ!」
『ツバメも紫陽さんも、そう上手い演技ができるとは思えませんでしたので』
ツバメは苦虫を噛み潰したような顔をして、私は力なくあははと笑った。
『わざわざ一発撃って場所を知らせたのに、いつまでも助けに来ないのでひやひやしましたよ。紫陽さんでは、引き金を引いてくれそうにありませんでしたし……この子の声がしたときは、あなたも上から来るのかと』
「ドームの方は触ってなかったみたいだが、家のセキュリティはいじられてたからな。玄関は開かねーし、元に戻すのに奥に行って、引き返そうとしたら話声が聞こえたんだよ。裏口が使えると思って、様子を窺ってたんだ。お嬢さんに撃てっていうくらいだから、撃たれたいんだとちゃんと理解しただろ?」
「え、と……とりあえず、これは、伯母様に報告しなくちゃいけないのよね? ツバメは罪に問われたり……賠償させられたり……」
『しませんよ。ありのままに話せば、疑われはするでしょうが、あの体に残ってるブラックボックスが証明してくれます。断言はしていませんが、カスミ様の痛いところを突く話もしてますし、保険も降りるでしょうからお咎めなしのはずです』
「なら、いいけど……」
またひとつ、伯母様に言われるイヤミが増えるなと、少しだけ肩を落とす。
「おい……まて。まてまてまて。まさか、俺も行くのか!?」
『当たり前ではないですか。あなたが撃ったんですから。呼びつけますか? ここに?』
まるで今気付いたとでもいうように、ツバメはパクパクと口を開け閉めした。
『それに、
私を見て、猫を見て、もう一度私を見て、ツバメは目を閉じてガリガリと頭をかいた。
伯母様へ連絡を入れて、現場写真を添付しておく。
通信機の向こうでは明らかな動揺と、バタバタと人の動き出す気配がしていた。『
安藤の穴の開いた身体を見ると涙がにじんできて、喉が詰まる。だから、伯母様も疑う様子はなかった。
安藤のボディは当然、眼鏡のひとかけらまで回収して宇宙船に乗せる。
それでも後から調査は入るだろうということだった。安藤はそれまでにはクラウドのデータも回収する予定のようだ。
「そういえば、なんで初めは起動しなかったんだ?」
宇宙船のリビングのソファでくつろぐ猫の額をはじきながら、フルボディスーツのツバメが訊いた。
伯母様に会うからと髭を剃って、きっちりと髪を結わえた姿は少し若返った、かも。
『私がシャットダウンした時にスイッチが入るようになってたんです』
「シャットダウンしなかったら?」
『隙を見て、入れましたよ』
猫はツバメに構う様子もなく、尻尾を揺らしながら横になったままだ。
「それで、あんたは?」
『調査を見届けて、データを回収したら紫陽さんについていきますよ。このままでも助言くらいはできますから。しばらくは』
「俺へのプレゼントじゃないのかよ」
渋い顔をしたツバメに、猫はちらと片目を開けた。
『そんなに喜んでもらえていたとは知りませんでした。このままツバメも
降りてくる
なら、いつでも紫陽さんに会わせてもらえますよ?』「なっ……だ、だ、だ、誰が、お嬢さんにっ……!」
『「私」が「ツバメ」に「紫陽さんを介して」会わせてもらえるんです』
にやりと笑った安藤の顔が見えた気がした。
息をのんで一瞬絶句したツバメは、すぐにわなわなと震えだした。
「な、んっ……おまえ! わざと……! 違う! 違うからな!! 俺は、降りる気はない!」
反応に困っている私に何故か睨みをきかせて、ツバメはコックピットへと入って行ってしまった。
眠っているような猫からはくすくす笑う声がする。
「……安藤、何が違うの?」
『何か葛藤があるのではありませんか? 私にはよく解りません。それから、この体には「安藤」と呼び掛けてはいけませんよ』
「ああ、うん。わかってるけど、話してると、つい」
『似たような響きの名前を考えた方がいいですかね……ごまかせるような……undo、とか』
「
その頭を優しく撫でると、ゴロゴロと喉が鳴った。
お婆ちゃんは庭の中でも少し高くなった場所に埋めてあげた。
循環させている水の湧く場所で、そのまま幅十センチほどの小川になっていく。庭を見渡せるその場所に、ツバメはユリの花を植えてくれると言った。
周りに言われるままに経営学部を受けたけど、今になって土に触れる仕事に興味が出てきている。ツバメは教えてくれるだろうか。単純だと馬鹿にされるだろうか。どこかにいい学校があるだろうか。
きっと私は
おしゃべりな、猫を連れて。
☆
※undo・・・〈行為・状況を〉元に戻す,元どおりにする,復旧する,〈失敗・損害などを〉回復する;抹消する,取り消す,〈人の〉心のたがをはずす,どぎまぎさせる,〈人を〉誘惑する など。