08.疑惑

文字数 2,564文字

 変な時間に起きたからか、次の日の朝は寝坊してしまった。誰も起こしてくれないんだもん!
 目が覚めて時間を確認して心臓が止まるかと思った。
 まあ、すぐ自分がどこにいるのか思い出して、焦る必要はないのだとわかったのだけど……恥ずかしいは恥ずかしいよね?

 家の中に人の気配はなく、安藤の部屋も訪ねてみたけれど応答なし。
 着替えて降りてみれば、テーブルの上にサンドイッチとインスタントコーヒーのスティックが乗っていた。カップを持ち上げるとメモが。

『養蜂場に手伝いに出ています。何かあったら電話を   安藤』

 昨夜あんなに遅かったのに、もう外にいるなんて。
 父なら考えられない。元々の体力が違うんだろうか。
 あちこちを飛び回り、たまに家にいるときは眠ってばかりの父を思い浮かべる。リモートで充分なのに、彼は自分の足を運びたがった。結婚前は母も一緒に連れ歩いていたと少しだけ聞いて、旅行気分だったのだろうかと考える。
 そう思うと、違いは年齢なのかもと可笑しくなった。
 食べ終わったものを片付けていると、玄関の方で物音がした。

「お帰りなさい……安藤!?」

 迎えに出てみると、安藤がたたきに座り込んで頭を抱えていた。ツバメも肩で息をしている。

「調子悪そうなんだけど。心当たり、ある?」
「え……昨夜遅くまで仕事してたみたいだったけど……お葬式前も忙しかっただろうし、寝不足が続いてるんじゃないかな」
「ねーぶそくぅ?」

 ゴキブリでも見るように安藤を一瞥してから、ツバメはいやに冷たい声で続けた。

「そんなに遅くまでご一緒で?」
「あ、ち、違うよ? 夜中に目が覚めて、水をもらいに下りたら、奥の部屋で安藤が……」
「しはる、さん」

 遮るように安藤の手が私の腕を弱々しく掴む。
 ツバメはギロリと安藤を睨みつけた。

「なんだと? 奥の部屋? お前、何を勝手に……!」

 ゴム長靴を吹っ飛ばすように脱いで、ツバメは私を押しのけてキッチンの奥へと入っていった。
 借りたんではなくて、勝手に使ったのだろうか。そんなことを、安藤が?
 微妙な違和感を持ちつつも、苦しそうな安藤の傍に膝をつく。

「頭痛、ですか? お薬持ってきましょうか?」
「しはる、さん……――に、気を、つけて」
「え?」
「ツバメを……たよ……」

 ガクンと糸の切れたマリオネットのように(くずお)れて、安藤は意識を失ってしまった。

「あ……安藤!? 安藤!!」

 こういう時は、えっと……動かしちゃダメなんだよね? 横向きにして、頭を高く……だっけ?
 おろおろと手を出しては引っ込めて、自分のダメっぷりに嫌気がさす。

「……くそっ……! きれいさっぱり痕跡消しやがって……! オラ、何してたか吐きやが……」

 涙目で振り返った私を見て少しひるむと、ガシガシと頭をかきながらツバメは大きくため息をついた。ずかずかと安藤に近寄り、靴を脱がせて乱暴に抱え上げる。

「そ、そんな、思いっきりしたら……」
「……コイツは、見た目より、重くて、頑丈なんだよ……っ!」

 持ち上がらない足はずるずると引きずったまま、リビングのソファへと放り投げる。
 そんな風にされてもぴくりとも動かない安藤が心配だった。

「ひどいっ。意識がないのに、そんな扱い……!」
「あん? 問題ねぇよ。それより、こいつがゆうべ何をしてたって?」
「モニターの前で、仕事を片付けてたって。私がそこで講義を受けられるようにもしたから、って……その後はもう休みますって言って……」

 ちっ、と舌打ちが響いた。
 安藤を心配して伸ばした手を掴まれて、キッチンの方へと引っ張られる。

「来い」

 昨夜覗いた部屋に連れ込まれる。有無を言わさぬ力に怖さがこみ上げてきたけど、ツバメは部屋に入るとすぐに手を放して端末に向かったので、安藤のしたかもしれないことに申し訳なさが勝った。
 今日は電気がついていて明るい。窓は無いようだった。
 机の上はモニターが三台乗っていて、視線を上げると小さなモニターもいくつか壁にかかっていた。キーボードの他にもボタンやレバーや剥き出しの配線があちこちにあって、ごちゃごちゃとしている。
 ツバメは何か入力して画面を睨みつけた。

「大学講義用のウェブアプリはいい。入れると聞いていたからな。それはちゃんと記録にも残ってる。ただし、日付の変わる前だ。その後奴は何をしていた?」

 私は首を横に振った。

「私が覗いた時は黙ってモニターを見てた。眼鏡をかけていたから、珍しいなって」
「眼鏡? あぁ、くそ。やっぱり残ってねぇ。一つ一つチェックするしか……」

 ずらずらと上へと流れていく文字列を見ながら、ツバメは舌打ちをする。

「残ってないなら、何もしてないんじゃないの?」
「夜中に人んちで許可もなく、このドームを制御してるメインコンピューターに触っておいて、あいつが何もしてないわけがない。おまけに触ったという痕跡がない。怪しいだろ」
「何で触れるようにしてるのよ」
「あいつは管理者の一人なんだよ! おそらく崋山院のほとんどのデータに触れられるんだ!」

 ツバメは一瞬、悔しそうに下を向いた。
 疑われるようなことすんな。おそらく、そう言った。ほとんど声になっていなかったけれど。

「昨日、あいつがなんて言ったか覚えてるか?」
「え?」
「行先は決まったと言ったんだ」
「え? でも、この件が終わるまではって……」
「そうだな。早く

かもな」
「……まさか。そうだとして、どうして倒れるまで無理をする必要があるの?」

 ツバメはじっと私を見つめた。

「……矛盾?」
「え?」
「婆さんなら……いや、そこまでシミュレートするなら……」

 私を睨みつけるような眼は、私を見ていない。
 分からないことだらけで、どうしていいのか判らない。
 私がさっさと相続を決めればいいの? でも、そうすると二十歳になるその時まで安藤の仕事は残る。放棄すれば、星はツバメのものになって、この星も自分のものにしたい伯母様のために心置きなく働ける。そういうこと?

 二人してだんまりとそれぞれの思考にふけっていた時、かすかな声がした。
 耳を澄まして、安藤が目を覚ましたのかとリビングを覗き込む。

 ――にゃおん。

 けれど、それは猫の鳴き声のようで……

「――……っあ!」

 一緒にリビングを覗き込んだツバメが、その声を聞いて突然飛び出した。
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