08.食堂
文字数 2,285文字
みんなが揃って食事をとることは多くなかったけど、父さんと二人というのもあまりないことだった。
少しだけ緊張してしまう。
スープを音を立てることなく綺麗に流し込んでから、父さんは口を開いた。
「相続についてのいくつかの条件は、安藤君から写しで確認させてもらった。その中でも星の管理人の名前がぼかされていたのは気になるところだ。『彼』とはどこの誰だい?」
「津波黒鷹斗さん。お婆ちゃんや安藤とも古い知り合いみたい」
「津波黒……」
父さんはサラダを咀嚼しながら、少しだけ難しい顔をして何かを思い出そうとしているようだった。
小さく頭を振ると、先を促す。
「古いってことは、結構なお歳だったりするのかな」
「それが……見た目は、安藤と同じくらい。初めて会ったときはまだ十六だったみたいだから……三十四、五かな?」
つと、父さんは眉をひそめた。
「まだ、若いじゃないか」
「お婆ちゃんが通り魔に襲われた時に、たまたま居合わせたって……」
ハッとした父さんが下ろしたフォークが、食器に当たって甲高い音を立てる。
「もしかして、母さんたちはあだ名で呼んでいたかい?」
「え? そう。『ツバメ』って」
「そうか! そうだ。『ツバメ』。彼が……そうか……」
「父さんも、知ってるの?」
聞こえていないのか、何か考えていたのか、父さんの答えまでには間があった。
「一度、会ったことがあるよ。そう、まだ少年の彼にね。顔に痛々しい傷があって……」
「そう、なんだ」
「……わかった。それで、紫陽は決めたのかい?」
「え? えっと……」
「別に、すぐに決めなくてもいいのだから、急かしているわけじゃないんだ。でも、もう決めたような顔をしているから」
「え?」
顔?
思わず頬に手を当てる。
父さんは小さく笑った。
「一応……受け取りたいとは、思ってる。頑張って、みたいって」
「そうか。わかった。後でじっくりと安藤君の残した資料を読み込んでおくよ」
「父さんは、反対しない?」
「ん? 姉さんに何か言われたのかい? 大丈夫だよ。正式に紫陽に渡すまでには心配ないようにするから。そのくらいは任せておきなさい」
「ツバメが管理人じゃないと、継げないから」
「解ってるよ。大丈夫。……紫陽は、彼が怖くないのかい?」
「怖い」と表現するということは、父さんも本当にツバメを知っているのだ。
「……大、丈夫。だと、思う」
「うん。なら、問題ないね」
いつの間にか食事を再開している父さんに、不思議な気分になる。
一緒にいる時間が長くないからか、父さんの考えていることはよくわからないことが多い。「一見穏やかに見えるけど、一番シビアなのは紫苑よ」ってお婆ちゃんは言ったことがあった。
崋山院を継ぐのは自分にメリットが少ないからと、兄姉には従順そうに振舞って、裏で自分の好きなことをしているの。気に食わないことは、にっこり笑って切り捨てられる。だから、姉にやり込められる弟っていう見かけを信じちゃだめよ。いざとなれば、とても頼りになるから、と。
今まではあまり信じられなかったけど、大丈夫と言い切る父さんは少し頼もしい、かもしれない。
それきり黙って食事を続ける父さんを時々窺って、皿が綺麗になるタイミングを見計らった。
「後ね、伯母様がきっとこっちに移ってくるでしょ?」
「ああ……そうだね」
きっちり言葉にしようか迷っていたら、父さんはそれだけで察したようで先に答えをくれた。
「出ていきたいなら、空港近くにマンションがあるから、そこを使いなさい。父さんもよく利用するから……と言っても、寝るだけに使ってるんだが。確か、まだいくつか部屋は空いてるから……後で調べて送っておくよ」
「あ、ありがと……」
話が早すぎて、拍子抜けしちゃう。
「姉さんもすぐには来られないだろうから、ゆっくり整えればいいさ」
「うん」
「…………」
父さんは口を開けてから、ちょっとだけ迷って、私から目を逸らした。
「あー……来客者はゲスト登録しなければ入れない仕様だから……」
「うん?」
「彼氏を呼ぶときは、気をつけなさい」
「え!? き、気を付けるって?!」
「どこの誰か、簡単に調べがつくから、父さんに知られたくなければ部屋には入れないことだよ」
「わ、わかった!」
先に言ってくれるのは、親切なのかな?!
彼氏も、親しい友達も多くない私には、あんまり関係ない忠告なのに、なんだか必要以上に動揺してしまった。
お婆ちゃんに言われたなら、きっと笑って頷けたんだろうに。
結局、お互い変にぎくしゃくとしたまま、食堂を出ることになった。
部屋でアンドゥとモバイル端末をコンセントに繋いで、ついでにアンドゥと端末も繋げてみようと思ったのだけれど、生憎と手持ちのケーブルでは繋がらなかった。
イヤホンを繋げたのと同じように無線でも繋げられるというので、安藤に聞きながらなんとかセットする。高速通信はできないとのことだが、無茶なことをしなければ問題ないらしい。……無茶って何だろう?
同時に『ネコロン』本体に家のWi-Fiを登録しておいた。これで、安藤のできることがかなり増えるということだった。
『と、言いましても、「安藤」のパスを使う訳にはいきませんから……ひと手間かかるのですけどね』
ふぅん、としようとした返事はあくびに遮られてしまう。
ツバメに本当に連絡できるのかやってみたかったのだけど、もう頭が回らない。
何とか寝支度だけは整えて、地球の重力に引かれるまま、私はベッドへと沈みこんでいったのだった。
少しだけ緊張してしまう。
スープを音を立てることなく綺麗に流し込んでから、父さんは口を開いた。
「相続についてのいくつかの条件は、安藤君から写しで確認させてもらった。その中でも星の管理人の名前がぼかされていたのは気になるところだ。『彼』とはどこの誰だい?」
「津波黒鷹斗さん。お婆ちゃんや安藤とも古い知り合いみたい」
「津波黒……」
父さんはサラダを咀嚼しながら、少しだけ難しい顔をして何かを思い出そうとしているようだった。
小さく頭を振ると、先を促す。
「古いってことは、結構なお歳だったりするのかな」
「それが……見た目は、安藤と同じくらい。初めて会ったときはまだ十六だったみたいだから……三十四、五かな?」
つと、父さんは眉をひそめた。
「まだ、若いじゃないか」
「お婆ちゃんが通り魔に襲われた時に、たまたま居合わせたって……」
ハッとした父さんが下ろしたフォークが、食器に当たって甲高い音を立てる。
「もしかして、母さんたちはあだ名で呼んでいたかい?」
「え? そう。『ツバメ』って」
「そうか! そうだ。『ツバメ』。彼が……そうか……」
「父さんも、知ってるの?」
聞こえていないのか、何か考えていたのか、父さんの答えまでには間があった。
「一度、会ったことがあるよ。そう、まだ少年の彼にね。顔に痛々しい傷があって……」
「そう、なんだ」
「……わかった。それで、紫陽は決めたのかい?」
「え? えっと……」
やんちゃ
だった(らしい)ツバメを知っているのなら、もしかして反対されるかもと、思わず口ごもる。「別に、すぐに決めなくてもいいのだから、急かしているわけじゃないんだ。でも、もう決めたような顔をしているから」
「え?」
顔?
思わず頬に手を当てる。
父さんは小さく笑った。
「一応……受け取りたいとは、思ってる。頑張って、みたいって」
「そうか。わかった。後でじっくりと安藤君の残した資料を読み込んでおくよ」
「父さんは、反対しない?」
「ん? 姉さんに何か言われたのかい? 大丈夫だよ。正式に紫陽に渡すまでには心配ないようにするから。そのくらいは任せておきなさい」
「ツバメが管理人じゃないと、継げないから」
「解ってるよ。大丈夫。……紫陽は、彼が怖くないのかい?」
「怖い」と表現するということは、父さんも本当にツバメを知っているのだ。
「……大、丈夫。だと、思う」
「うん。なら、問題ないね」
いつの間にか食事を再開している父さんに、不思議な気分になる。
一緒にいる時間が長くないからか、父さんの考えていることはよくわからないことが多い。「一見穏やかに見えるけど、一番シビアなのは紫苑よ」ってお婆ちゃんは言ったことがあった。
崋山院を継ぐのは自分にメリットが少ないからと、兄姉には従順そうに振舞って、裏で自分の好きなことをしているの。気に食わないことは、にっこり笑って切り捨てられる。だから、姉にやり込められる弟っていう見かけを信じちゃだめよ。いざとなれば、とても頼りになるから、と。
今まではあまり信じられなかったけど、大丈夫と言い切る父さんは少し頼もしい、かもしれない。
それきり黙って食事を続ける父さんを時々窺って、皿が綺麗になるタイミングを見計らった。
「後ね、伯母様がきっとこっちに移ってくるでしょ?」
「ああ……そうだね」
きっちり言葉にしようか迷っていたら、父さんはそれだけで察したようで先に答えをくれた。
「出ていきたいなら、空港近くにマンションがあるから、そこを使いなさい。父さんもよく利用するから……と言っても、寝るだけに使ってるんだが。確か、まだいくつか部屋は空いてるから……後で調べて送っておくよ」
「あ、ありがと……」
話が早すぎて、拍子抜けしちゃう。
「姉さんもすぐには来られないだろうから、ゆっくり整えればいいさ」
「うん」
「…………」
父さんは口を開けてから、ちょっとだけ迷って、私から目を逸らした。
「あー……来客者はゲスト登録しなければ入れない仕様だから……」
「うん?」
「彼氏を呼ぶときは、気をつけなさい」
「え!? き、気を付けるって?!」
「どこの誰か、簡単に調べがつくから、父さんに知られたくなければ部屋には入れないことだよ」
「わ、わかった!」
先に言ってくれるのは、親切なのかな?!
彼氏も、親しい友達も多くない私には、あんまり関係ない忠告なのに、なんだか必要以上に動揺してしまった。
お婆ちゃんに言われたなら、きっと笑って頷けたんだろうに。
結局、お互い変にぎくしゃくとしたまま、食堂を出ることになった。
部屋でアンドゥとモバイル端末をコンセントに繋いで、ついでにアンドゥと端末も繋げてみようと思ったのだけれど、生憎と手持ちのケーブルでは繋がらなかった。
イヤホンを繋げたのと同じように無線でも繋げられるというので、安藤に聞きながらなんとかセットする。高速通信はできないとのことだが、無茶なことをしなければ問題ないらしい。……無茶って何だろう?
同時に『ネコロン』本体に家のWi-Fiを登録しておいた。これで、安藤のできることがかなり増えるということだった。
『と、言いましても、「安藤」のパスを使う訳にはいきませんから……ひと手間かかるのですけどね』
ふぅん、としようとした返事はあくびに遮られてしまう。
ツバメに本当に連絡できるのかやってみたかったのだけど、もう頭が回らない。
何とか寝支度だけは整えて、地球の重力に引かれるまま、私はベッドへと沈みこんでいったのだった。