29.同類

文字数 2,427文字

「手打ちって……」
「送っていくよ。そろそろ紫苑さんも連絡つけられる頃だろうし、ミスしたら撤退は鉄則。体制を立て直したいけど……タカト次第かな……すぐ帰る? 何か食べる? 食べてる間にその()の充電しようか?」

 半分投げやりに全面降伏を申し立てて、横山さんはどうする? と首を傾げた。
 急な手のひら返しに、私の方が戸惑ってしまう。母の話は、安藤と同じくらい触れられない話題だというのだろうか。
 このまま、帰れ、と?

「母は――母のことは、今までほとんど触れられてきませんでした。ですから、どんな人だろうとは思っても、会いたいとか、恋しいとか思うことはないんです。いないのが普通の生活でしたから」

 横山さんはひどく表情を歪めて立ち上がった。

「私の生まれる前に死んだ人、という認識が一番近いかもしれません。お爺ちゃんのように。だけど――」
「答えないって、言ったよね」

 彼はごちゃごちゃしたコード類の中から一つを選び出すと、私の背を押してドアの前まで移動する。指紋認証か、虹彩認証か、ロックを解除すると、文字通り私を押し出した。

「――ツバメも、あなた達も知っていることを、お婆ちゃんや安藤や父さんは意図的にずっと黙ってたってことになるんですか」
「紫陽さん。それは崋山院の問題だ。私が言えないのは、また別に理由がある。矜持の問題だといってもいい。私には大した問題じゃないとしても、仕事上まずくなる事柄には触れられない」
「まずくなるんですか」
「社会的に殺されかねない。タカトにね」
「……ツバメに? 崋山院ではなく?」
「……紅茶、飲む?」

 苦笑した横山さんに、私は思わず頷いた。



 キッチンで茶葉やカップの準備をする横山さんを、柔らかすぎないソファに座って眺める。
 全自動のドリンクメーカーもあるようなのに、その慣れた手つきは、よくそうしているのだと分かるものだった。

「そういえば、おひとりなんですね」
「うん。気楽でしょ」

 アンドゥは壁際で充電器に繋がれている。

「結構危ない橋も渡るからね。人間が信用できないっていうのもあるし。だから、別にこちらとしては崋山院に干されても何とも思わないんだよ。ユリさんも死んじゃったしね」
「お婆ちゃんのことは信じてたんですか?」
「ユリさんの手腕は信じてたよ? 実際好きにやらせてくれたし。だから、安藤さんまであんなことになって、正直モチベーションがね」

 いったん言葉を止めた横山さんの眼鏡が、注ぐお湯の蒸気でほわほわと曇る。

「又受けさせてるタカトだって、今はハチミツの収入もそれなりにあるし、なんなら新社長に高額ふっかければ、悠々自適に暮らせるだろうし。辞めてもいいかなって。でも、当のタカトは次男の娘が継ぐ星の管理を引き続きやるっていう。なんならそのお守りまで引き受けてるみたいじゃない? どうしてだろうって、興味も湧くよね」

 トレーに一式を乗せてやってきて、横山さんは向かいのソファに座った。

「紫陽さん自身については、ちょっと調べても行ってる大学のことくらいしか出てこないし、となると、ユリさんが絡んでるのかなってくらいは想像がつく」
「それって、ジーナさんが言ってたことと同じなのかな?」
「ああ、うん、そう。ジーナが調べた」

 くすりと笑って、横山さんはティーポットから紅茶を注いでくれた。
 ほっとする香りが漂ってくる。

「いくつか拾えた写真には、安藤さんの傍にいる紫陽さんが写ったものもあったから、意外と仲良くやってるのかなって。ブラックボックスを調べたら、ほとんど確信したんだけどな」
「何をですか?」

 先にカップに口をつける横山さんは、一口飲みこんでから答えた。

「私たちは同類じゃないかなって。安藤さんに帰ってきてほしい。きっと、そうだって。姿かたちだけ戻ったって、それは彼じゃないから……逆も然りだと。ちょっと、読みが甘かったみたいだけど」

 何とも応えられず、私もカップに口をつける。静かに息を吹きかけると、小さく表面が波うった。

「まあ、つまり貴女を攫ったことで崋山院を辞めさせられても構わないけど、タカトを怒らせて彼を敵に回すのは避けたいわけ。みっともなく黙っててって言うつもりはないから、気になるならタカトに聞いてよ」
「……ツバメに……」

 ごくりと、思ったよりも大きく喉が鳴った。
 どうしてだろう。ツバメに聞くのは怖いような気がする。ツバメが怖いのではなく……

「横山さんは、結局どうするつもりですか?」

 よくわからない気持ちに、私はとりあえず蓋をした。

「んー? このまま安藤さんを元の彼に近づけたいと思ったら、崋山院のお金とか権力とか情報網は便利だからねぇ。許されるなら、残る、かな」
「それって、もしかして、ジーナさんのためでもあるんですか?」

 ジーナさんは安藤を恋人にしたいくらい好きだった、のよね? 写真からも姉弟仲はよさそうだったし……そういう一生懸命さは理解できる、気がする。
 横山さんは照れ隠しなのか、あはは、と笑ってカップを空けた。

「まあ、そういうことになるのかな。こんな私でも、そういう方向に考えてくれる紫陽さんは、優しいんだね」

 とん、とテーブルの上にカップを置くと、もう横山さんの表情はにこにこと優しげなものに戻っていた。


 ☆


 帰りの車の中、アンドゥは無事に目を覚ました。
 運転席の横山さんに毛を逆立てて、シートで爪とぎをしていたけど、横山さんはそのくらいは想定内だからと焦る様子もない。
 マンション前の車寄せでなんとかアンドゥをなだめて降りると、焦ったように飛び出してきたツバメと鉢合わせた。

「お嬢さん!?」
「あ。えっと……」
「げ。タカト、まだいたの?」

 三様の言葉が重なって、横山さんに気付いたツバメが助手席の窓を拳で叩きつけた。

「こんの……!」
「あー。わかった。わかったから。ドライブ、しよう?」
「誰が!」
「話しといた方がいいと思うよ」

 横山さんの苦笑と共に、助手席のドアがツバメを押しのけるように開いた。
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