28.失言

文字数 2,460文字

 しっかりと横山さんを見据えて、微笑む。

「これからの仕事に支障をきたすでしょうから、不用意なことはなさらないですよね? 今までと同じように」

 彼は笑顔のまま、中指で眼鏡のブリッジを軽く押し上げた。

「確約はしないよ? いつもなら他人は入れない部屋だ」

 仕事部屋なのだろうとあたりはつけていた。唯一誰かと連絡の取れる可能性のある場所だから、入らない選択はない。私は横山さんより先に部屋に踏み込んだ。
 後ろでドアが閉まる音と同時に、ロックの音も響く。

「まあ、保護者と引き離した責任はあるからね。ある程度の節度は守るつもりだけど。だからといって常識の通用する相手だとは思わないでね」

 部屋に窓は無かった。
 ロックの解除と共に電気が点いたのか、明るさは充分だけれど。十畳ほどの部屋の真ん中にストレッチャーのような台があって、白い布がかけられていた。パソコンはパッと見えるだけで三台。モニターの電源は落ちている。
 周囲にはケーブルや何かの基盤などが種類ごとにまとめられているようだった。

「それで、あれは何だったんですか?」

 横山さんはパソコンの乗っている机の上から、小さな四角い箱をつまみ上げた。

「モノはこれ。安藤さんの予備基板だって」
「え……」
「『安藤』が壊れるようなことがあっても、一応予備はあるからってこと。バックアップの所在もご丁寧についてる。今回みたいな本体ごとの損傷を想定したわけじゃなくて、あくまで基板のトラブルに対しての予備なんだけどさ……手回しがいいよね? いや、確かに安藤さんのこと大っぴらにはしていなかったから、知っていたこちらに頼る、というのもおかしくないし、嬉しいんだけど……タイミングがさ。あまりにもあまりで」

 横山さんは白い布を被せたものに近寄ると、無造作にそれをめくった。

「……安……!!」

 吸い込んだ息が、それ以上出てこない。
 そこに横たわっているものは、眠っている安藤の顔をしていた。

「映像から復元したからね。顔はほとんど変わらないと思うよ」

 横山さんは、安藤の姿をしたものの髪をそっと梳いた。

「体はね、仕方がない。あれを再現させるのは現実的じゃない。特殊な機能なんて、新社長はいらないっていうし。基板も、もちろんすでに組み込まれてる。だけどさ、安藤さんを復元したいなら、こっちを使うべきなのかなって」

 どう思う?

 横山さんはほとんど囁くように訊いた。

「ど……どう……どうって……」

 そこに横たわるのは安藤ではないし、胸の上下もないのは電源が入っていないからだ。わかっているのに、それはドラマで見るような死体のようで。胸に穴の開いた安藤を思い出して手が震える。
 この安藤に話しかけられたら、私は錯覚しないでいられるだろうか。腕の中で、やはり動かないアンドゥの小さな体を抱きしめる。

「動かない彼を見るのは辛い? そうだよね。基板だけ変えたって、彼が戻るわけじゃない」

 ぎゅっと唇を結ぶ。
 反対に、横山さんの口元はほころんだ。

「どうせなら、ちゃんと安藤さんを取り戻さない? 安藤さんのバックアップを全て使うなら、きっとこの基板の方がいいんだ。紫陽さん、知ってるでしょ。彼の

データがどこにあるのか。お喋り相手としてだけ残すなんて、ユリさんはしないはずだもの」

 目の前に安藤の顔があると、ぐらぐら揺れてしまう。
 もう一度、その安藤に会いたくなる。甘い誘惑に負けそうに。
 呼吸を整え、奥歯を噛みしめて、左右に首を振る。

「しり、ません」

 カスミ伯母様の元で働く安藤を見たくないと思ってしまった瞬間から、それはできない相談だ。
 安藤を安藤のまま戻すことは、もうできない。

「……どうして? 不思議だなぁ。安藤さんに戻ってきてほしいでしょ? ねえ……じゃあ、その涙は何のため?」

 ゆっくりとやってきて、伸ばされた手に身を固くする。その手は思ったより優しく、私を彼の胸の中へと収めてしまった。
 ふわりと、甘い香りが香る。ジーナさんと、同じ匂い。

「辛かったね……」

 そのまま、頭を撫でる温もりに絆されてしまいそうになる。
 それを振り切って、私はアンドゥを抱えた手で彼を押しやった。

「辛くても、壊れたものは戻ってこないから」

 きょとんとした彼の顔が少し傾く。

「戻るよ? 戻してあげる。紫陽さんが、全てを渡してくれれば」
「たとえ、そのありかを私が知っていたとしても、それは私の物じゃないもの」

 横山さんは、今日会ってから初めて眉をしかめた。

「貴女のでしょ? ユリさんが渡したのなら」
「渡されてない。それを許される身分でも状況でもないのは、わかるもの」
「いいや。残されてるはずだ。

というだけで、タカトが貴女をそんなに気に掛けるはずがない。安藤さんが残っているから――」
「え?」
「え?」

の、娘って……」

 この場で出てくる言葉として違和感を覚えて、思わず反芻する。
 はっとして、横山さんは自分の口を覆った。

「……まさか、それも、知らない?」
「それって……母のことなんですか? 横山さんは……ツバメも? 母のこと、知ってるんですか?」
「いや……その……勘弁して。なんで……誰も? あーーー。やばっ」

 一度天を仰いでから、横山さんはがっくりと肩を落とした。新しい安藤に、しばし視線を落としてからやや視線を逸らし、そっと布をかけ直す。

「横山さん?」

 顔を上げた横山さんは何事もなかったように、にっこりと笑った。

「うん。忘れようか。ともかく、タカトの性格からしても――」

 無言でじとっと見つめてやれば、横山さんの口は閉じた。そのままゆっくりと後ずさりして、大きな椅子にどさりと倒れ込む。片手で頭を抱え込むと、大きなため息をついた。

「……情報足りな過ぎなんだって。オーケー。わかった。これは私のミス。致命的な、ね。おっと、そのことについて、もう何も答えないから。訊かないで。その代わり、安藤さんのことももう訊かない。それで、手打ちにしよう」
「え……」

 苦渋の決断という顔に、私の胸に新たな

がかかることになった。
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