34.舞踏

文字数 2,294文字

「こうして歩いているのもどこかで撮られてるかもねぇ。兄さんのミスは俺のチャンスとはいえ、兄さんと同じ手を使うんじゃ色々ダメだろうから、ぼちぼち考えるよ。それも、忙しくしてたら忘れそうだけど」

 カラカラと笑う(かい)さんは、本音をどこに置いているのか分かりづらい。
 音楽を好きなのは本当らしく、チェロやギターには熱心なようだ。チケットをもらったバンドはクラスメイトにサインを頼めないかと言われたことがある。

「俺はそうだけど、冨士(ふじ)君はひっそりと鬱憤をため込む感じだから、あんまり刺激しない方がいいかもね」
「刺激って……」
「マスコミにほいほい乗せられたり、逆に卑屈になったりさ……なんか、大丈夫そうだけど。ちょっと、イメージ変わったよね」
「そう、ですか?」
「うん。たぶん。めそめそしてたら慰めようと思ってたけど、当てが外れちゃった」

 軽く両手を上げて、その手を振る。

「ファンの子に嫌がらせさせようかとも考えたけど、その辺は兄さんに釘を刺されたし。自分は失敗したくせに、さ。もうしばらく、流れを見ておくことにするよ」
「……それ、遠回しな宣戦布告ですか?」
「え? やだな。ほっといていいのか、味方につけるべきなのかを見定めるんでしょ? 女の子いじめさせて助けるのは王道だしねー」

 王道、ではないと思う。

「あれ。となると、貴方は王道を地で行ったんだね」
「仕事ですから」
「……まあ、そうか。そう?」

 短いツバメの返答に、桧さんは軽く肩をすくめて見せた。
 あの時は契約上のボディガードではなかったけれど、現状を見ればそう言っても疑われない。というか、ツバメは本当に仕事だったと思ってるのかもしれない。

「桧様、少々お時間が」

 到着したビルの自動ドアをくぐりながら、男の人が囁いた。

「知ってる。遅れた方が、紫陽(しはる)ちゃんにはいいかと思って」

 男の人は軽く頭を下げて先に行き、エレベーターを呼んで待っていた。
 新しい安藤に会うなら、アンドゥも連れてきたかったなと、ちょっとだけ思う。安藤はあの身体にも容姿にもこだわりはないようだったけど。
 最上階まで少しのGを感じて、扉が開いた向こうで黒服の人たちに小さな緊張が走る。桧さんが軽く手を上げて、ついてきた男の人が荷物をうちの一人に預けながら耳打ちすれば、彼らも軽く頭を下げた。
 ホールの入り口が開かれると、向こうからドリンクを乗せたトレーを持って、盛装した安藤が近づいてくる。

「桧様、ようこそいらっしゃいました。お好みのドリンクはございますか?」

 桧さんがワイングラスを取り上げると、安藤はこちらを向く。
 すっと瞳孔が縮まった。

「紫陽様。お久しぶりです。お茶でよろしいですか?」
「……ありがとう」

 グラスを渡されると、安藤は誰かが上げた手を見つけて「失礼します。ごゆっくり」と離れていった。
 ピシリと燕尾服に身を包み、歩く姿は以前と変わりない。でも、その微笑みは外向きの、味気ないものだった。

「へえ。うちのIT部門もそこそこやるね。少なくとも接点が少なかった俺にはわかんないや」

 どう? と、面白がるような瞳で覗き込まれる。
 横山さんのこだわりの結晶なんだろう。とても、よくできている。

「そっくりですね」

 私もぎこちなく微笑めば、桧さんはふむふむと頷いて、ぱん、と手を打った。

「安藤さん、紫陽ちゃんと一曲どう? 俺が弾くから」

 周囲の視線を集めながら、誰かに指先で指示する桧さんを見上げて、私はうろたえる。

「い、一曲って……!」

 そもそも、普段着で紛れ込んでいるのも少々場違いなのに。桧さんがこの格好でなければついてこなかった。

「桧! あなた、今頃来て……」

 ホールの真ん中が片付けられ、椅子と楽器が用意されていく。気づいてこちらにきたカスミ伯母様と目が合って、慌てて頭を下げた。

「いいじゃない。動きを見たくない? 紫陽ちゃんをリードするくらいならちょうどいいと思うんだ。遅れたお詫びも兼ねて、僕が演奏するよ」

 キャップを外して、手櫛で髪を撫でつけると、桧さんはチェロを構えた。
 一人称が余所行きの『僕』になる切り替えはさすがというのか。
 トレーを黒服に預けて、安藤がやってくる。

「すみません。一曲、お付き合いいただけますか?」

 差し出された安藤の手と、その顔を見比べる。恐縮している、という表情ではあるのだが、安藤の申し訳なさそうな表情とは、やはり少し違う。
 安藤の手を取ると、そのまま中央まで導かれる。桧さんが選んだのはショパンの「別れのワルツ」だった。



 つたないダンスを周囲に詫びて、私はツバメと会場を後にした。
 桧さんに恥をかかされたという訳ではなく、安藤のリードはやはり硬かった。そもそも、秘書がダンスを踊れと無茶振りされる場面もそうそうないので、あれだけ踊れれば優秀だ。そういう意味では、桧さんの行った余興はあの安藤の優秀さを示したともいえる。現に、伯母様たちはとても満足そうだった。

「……どうだ?」

 タクシーに乗り込むと、ツバメが訊いた。

「やっぱり、違う」
「だろうな」
「選曲は嫌味だった」
「そうなのか?」
「どうでもいいけど」

 ここから新たに学習していけば、より安藤とは変わっていくに違いない。
 私は少し寂しくなって、でも、少しほっとしてもいた。

「じゃあ、まあ、安心して次のステップだな」

 にっと笑ったツバメは自分の端末を掲げて、ちょっと揺らした。

「ようやく「うん」と言わせたぞ。次の土曜日、予定入れんなよ?」

 ようやくひとつ片付けば、また次の波だ。表面をいくら繕っても、内面は忙しい。
 私は暗い画面の中、眉をひそめている自分の顔を見て、思わずため息をついた。
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