36.揚羽
文字数 2,388文字
会社の前の敷地が、小さいながらもスッキリとした庭になっていて、大きな一枚板の看板には『高城造園』と書かれていた。
飛び石を踏みながら、建物の奥はどうなっているのだろうと気を逸らしていると、ツバメの気配が消えている。
「お嬢さん」
呼ばれて振り返れば、彼は会社の玄関ではなく、隣に続く小道へと歩みを逸らしていた。
先を見やれば、木造二階建ての三角屋根の建物が見える。
「……どこに行くの?」
ツバメは黙ってその建物を指差した。
敷地を仕切る垣根の途中のアーチをくぐると、芝にテーブルと椅子が配置されていた。木製のドアは開いていて、“Welcome”の看板がかかっているけれども、譜面台に乗ったプレートは“close”になっていた。
構わず入っていくツバメに続く。
中はカウンターとテーブル席が三つ。入り口付近と奥に雑貨のスペースのある、カフェのようだった。
でも、誰もいない。
「おら! 来たぞ。観念して出てきやがれ!」
声を張り上げるツバメに思わず吹き出してしまう。怪訝そうな顔をするツバメ。
「……カチコミじゃないんだから……」
「カチコミとか、よく知ってんな……」
ツバメなら経験がありそうなところが、侮れない。
「アンドゥ出してもいいかな。誰もいないし。お庭で遊ばせておいても……」
ごそりとカウンターの奥の部屋で誰かの気配がして、思わずツバメの袖を掴む。
私も緊張していないわけじゃない。
「おら。猫に荒らされたくなかったら、さっさと出て来いって」
「あ、荒らさないよ!」
「出しちまえよ」
抱えているキャリーケースをずいと私に向ける。おとなしく座って待っているアンドゥを抱いて下ろすと、アンドゥはすぐに奥へと駆け出した。カウンターに飛び乗り、奥の部屋へと飛び込んでいく。
「……え。あっ……きゃあっ……!」
呆気にとられた私の耳に、女性の小さな悲鳴と、がたんと何かにぶつかるような音が聞こえてくる。
「無理やり引きずり出されたくないだろ。暑 いんだから、さっさと水の一杯もよこせってんだ」
「……うぅ……鷹斗君、ズルイ。なんで、今日に限ってそんな格好なのよ。私、作業着なのに……」
「好きで着てんじゃねーよ。俺も仕事着だよ」
「…………!! とうとうその道に行っちゃったの?!」
「はぁ?」
笑いそうになって口元に手を当てたら、ツバメに小さく睨まれた。
「何しに来たと思ってんだよっ」
額に青筋を立てながら、ずかずかと奥まで入って行くツバメ。
しばらく断続的な小さな悲鳴とガタガタしていた音がやむと、彼は人を一人抱えて戻ってきた。
肩に担がれるようにしているその人は、すっかり背を丸めて顔を両手で覆ってしまっている。
「鷹斗君のばかぁ……」
「往生際が悪ぃんだよ!」
私に顎で近くのテーブルを指すと、椅子を引いてそこに彼女を下ろす。自分はその隣に陣取ってしまったので、私はツバメの前の席の椅子を引いた。
テーブルに突っ伏してしまっている女性に少々同情的な気分になる。
「あの……無理に押しかけて、ごめんなさい。やっぱり無理なら、また日を改めて……」
がばりと身を起こした女性は、勢いさながら、今度はテーブルに手をついて少し身を乗り出すようにした。
「ちがーう! 違うの!紫陽 ……ちゃん、は何も悪くなくて! 私の……わたし、が……」
しっかりと合わさった視線は、やがて揺れて、その瞳に涙が浮かぶ。
「ご……ごめんね……ごめん、なさい」
再び顔が覆われて、小さく肩が震える。ツバメはそっぽを向いたまま、そのひじを引いて着席を促し、彼女が座ると、その背にそっと手を添えた。
何も言えなくて、どうしていいのかも分からない。しばらく沈黙の中に沈んでいると、アンドゥがやってきてテーブルに飛び乗った。
『泣いて謝られても、紫陽さんには伝わりませんよ。彼女はまだ何も知らないのですから』
「――!! アンドゥ!?」
鈴からの声に私が一番驚いて、次に泣いていた彼女が目も口も開きっぱなしで猫 を見つめた。
「あ……安藤、君?」
『はい。今は、アンドゥ、です』
彼女はツバメに視線を流し、ツバメは頭を片手で抱えて、ため息をついた。
ちょっと顔を洗ってくる、と席を外した女性は、アイスコーヒーを淹れて戻ってきた。
全員が席について――アンドゥはテーブルの上だが――仕切り直しとなる。
『改めて、彼女が紫陽さんの実のお母様の久我揚羽 様です』
「久我、あげは、さん?」
『現在は、旧姓を名乗っている……ということでよろしいのですよね?』
女性……揚羽さんはこっくりと頷いた。
名前を聞いただけで、心臓が早くなった。『久我』は崋山院のライバルと称される財閥の名だ。昔に何があったのか知らないけれど、その名前というだけでいがみ合いが起きる、と言えば両社の仲が知れると思う。
なんだか半分は理由が見えた気がして、さらに下の名前に胸が騒いだ。アンドゥに問い詰めたくなる。思わずツバメをじっと見てしまって、眉を寄せられた。
「なんでお前が仕切るんだよ」
『お話が進まないようなので』
「問題ねーのかよ」
『まあ、たぶん。揚羽様はどちらからも離れてますので』
「……そうかよ」
納得いかない、と顔に書いたまま、とりあえずツバメは引き下がった。
「安藤君は鷹斗君に撃たれて壊れちゃったって……直してカスミさんが使うっていう話じゃなかったの?」
『その通りです。基本システムはあちらに。先日、お披露目されてましたから、そのうち映像の隅にも映ると思いますよ。私はユリ様に個人的にこっそり残されました。こっそりです。いいですね?』
つんと顎を上げるアンドゥに、揚羽さんは目を輝かせて頷いた。
「お義母様らしい!」
『では、私の話はそのように。次は――どちらの話にしますか?』
ツバメと、揚羽さんは視線で探り合う。
『順番的にはツバメですか』
ちっ、と舌打ちが響いて、ツバメは横を向いた。
飛び石を踏みながら、建物の奥はどうなっているのだろうと気を逸らしていると、ツバメの気配が消えている。
「お嬢さん」
呼ばれて振り返れば、彼は会社の玄関ではなく、隣に続く小道へと歩みを逸らしていた。
先を見やれば、木造二階建ての三角屋根の建物が見える。
「……どこに行くの?」
ツバメは黙ってその建物を指差した。
敷地を仕切る垣根の途中のアーチをくぐると、芝にテーブルと椅子が配置されていた。木製のドアは開いていて、“Welcome”の看板がかかっているけれども、譜面台に乗ったプレートは“close”になっていた。
構わず入っていくツバメに続く。
中はカウンターとテーブル席が三つ。入り口付近と奥に雑貨のスペースのある、カフェのようだった。
でも、誰もいない。
「おら! 来たぞ。観念して出てきやがれ!」
声を張り上げるツバメに思わず吹き出してしまう。怪訝そうな顔をするツバメ。
「……カチコミじゃないんだから……」
「カチコミとか、よく知ってんな……」
ツバメなら経験がありそうなところが、侮れない。
「アンドゥ出してもいいかな。誰もいないし。お庭で遊ばせておいても……」
ごそりとカウンターの奥の部屋で誰かの気配がして、思わずツバメの袖を掴む。
私も緊張していないわけじゃない。
「おら。猫に荒らされたくなかったら、さっさと出て来いって」
「あ、荒らさないよ!」
「出しちまえよ」
抱えているキャリーケースをずいと私に向ける。おとなしく座って待っているアンドゥを抱いて下ろすと、アンドゥはすぐに奥へと駆け出した。カウンターに飛び乗り、奥の部屋へと飛び込んでいく。
「……え。あっ……きゃあっ……!」
呆気にとられた私の耳に、女性の小さな悲鳴と、がたんと何かにぶつかるような音が聞こえてくる。
「無理やり引きずり出されたくないだろ。
「……うぅ……鷹斗君、ズルイ。なんで、今日に限ってそんな格好なのよ。私、作業着なのに……」
「好きで着てんじゃねーよ。俺も仕事着だよ」
「…………!! とうとうその道に行っちゃったの?!」
「はぁ?」
笑いそうになって口元に手を当てたら、ツバメに小さく睨まれた。
「何しに来たと思ってんだよっ」
額に青筋を立てながら、ずかずかと奥まで入って行くツバメ。
しばらく断続的な小さな悲鳴とガタガタしていた音がやむと、彼は人を一人抱えて戻ってきた。
肩に担がれるようにしているその人は、すっかり背を丸めて顔を両手で覆ってしまっている。
「鷹斗君のばかぁ……」
「往生際が悪ぃんだよ!」
私に顎で近くのテーブルを指すと、椅子を引いてそこに彼女を下ろす。自分はその隣に陣取ってしまったので、私はツバメの前の席の椅子を引いた。
テーブルに突っ伏してしまっている女性に少々同情的な気分になる。
「あの……無理に押しかけて、ごめんなさい。やっぱり無理なら、また日を改めて……」
がばりと身を起こした女性は、勢いさながら、今度はテーブルに手をついて少し身を乗り出すようにした。
「ちがーう! 違うの!
しっかりと合わさった視線は、やがて揺れて、その瞳に涙が浮かぶ。
「ご……ごめんね……ごめん、なさい」
再び顔が覆われて、小さく肩が震える。ツバメはそっぽを向いたまま、そのひじを引いて着席を促し、彼女が座ると、その背にそっと手を添えた。
何も言えなくて、どうしていいのかも分からない。しばらく沈黙の中に沈んでいると、アンドゥがやってきてテーブルに飛び乗った。
『泣いて謝られても、紫陽さんには伝わりませんよ。彼女はまだ何も知らないのですから』
「――!! アンドゥ!?」
鈴からの声に私が一番驚いて、次に泣いていた彼女が目も口も開きっぱなしで
「あ……安藤、君?」
『はい。今は、アンドゥ、です』
彼女はツバメに視線を流し、ツバメは頭を片手で抱えて、ため息をついた。
ちょっと顔を洗ってくる、と席を外した女性は、アイスコーヒーを淹れて戻ってきた。
全員が席について――アンドゥはテーブルの上だが――仕切り直しとなる。
『改めて、彼女が紫陽さんの実のお母様の久我
「久我、あげは、さん?」
『現在は、旧姓を名乗っている……ということでよろしいのですよね?』
女性……揚羽さんはこっくりと頷いた。
名前を聞いただけで、心臓が早くなった。『久我』は崋山院のライバルと称される財閥の名だ。昔に何があったのか知らないけれど、その名前というだけでいがみ合いが起きる、と言えば両社の仲が知れると思う。
なんだか半分は理由が見えた気がして、さらに下の名前に胸が騒いだ。アンドゥに問い詰めたくなる。思わずツバメをじっと見てしまって、眉を寄せられた。
「なんでお前が仕切るんだよ」
『お話が進まないようなので』
「問題ねーのかよ」
『まあ、たぶん。揚羽様はどちらからも離れてますので』
「……そうかよ」
納得いかない、と顔に書いたまま、とりあえずツバメは引き下がった。
「安藤君は鷹斗君に撃たれて壊れちゃったって……直してカスミさんが使うっていう話じゃなかったの?」
『その通りです。基本システムはあちらに。先日、お披露目されてましたから、そのうち映像の隅にも映ると思いますよ。私はユリ様に個人的にこっそり残されました。こっそりです。いいですね?』
つんと顎を上げるアンドゥに、揚羽さんは目を輝かせて頷いた。
「お義母様らしい!」
『では、私の話はそのように。次は――どちらの話にしますか?』
ツバメと、揚羽さんは視線で探り合う。
『順番的にはツバメですか』
ちっ、と舌打ちが響いて、ツバメは横を向いた。