16.懇願

文字数 2,198文字

 泣き出した私にぎょっとして、ツバメはそわそわと辺りを見渡した。

「おい。やめろ。俺が泣かしたみたいじゃねーか! 泣きたいのはこっちだぞ? 目の前で連絡艇を見送って戻ってきたんだからな! しかも、また崋山院のヤツを敵に回すことになって……」

 無駄に早口にまくし立てると、見たくないものから目を逸らすように、今度は先に立って歩き始めた。

「いや。いいんだけどな? 別に、仲良くしたいわけじゃねーし? どっちかっつーと、気に食わねーし? だけど、こうなると戻っても気になっちまうっていうか……アイツも猫だと、こういう時には役に立たねーし……少し妙に思われても、常に連れ歩くべきなのか……」
「……ツバメ」

 鼻声で呼ぶと、ちょっとだけ視線をよこして、また袖で涙を拭われた。

「ああっ。くそっ!」
「ツバメ。もう少しいてくれる?」
「居たって、できることはそうねーんだよ」
「もう少しだけ」

 答えの代わりに、ツバメは自分の頭をがりがりと掻いた。

「父さんが部屋を用意してくれたの。まだ行ってみてないんだけど、よかったら使わない? 家具も布団もないけど……」
「……どこ?」
「空港近くの……」

 私は父さんからもらった資料を端末で呼び出してツバメに差し出した。

「五階。セキュリティ登録はこれからだから、ツバメを登録してしまえばいいから」
「親父さんのマンションか! どうせ一度は会わなけりゃならないだろうからな……俺のこと、話したか?」
「うん。一度会ったことがあるって言ってたけど」
「覚えてんのか……まあ、そうか。お嬢さんは引っ越すつもりだったのか?」
「うん。でも、いいよ。もうしばらくくらい。ツバメが帰ったら登録し直せばいいし」

 ツバメはしばらく黙って顎に指を這わせていた。

「……いや。今晩だけでいい。登録はお嬢さんがしろ。ゲストで入るから、お嬢さんはタクシーで帰れ。それで、明日親父さんに会わせろ」
「え。うん……聞いてみる。何もないといいけど……」
「大丈夫だ。俺が会いたいって言ってたと言えば、何があっても時間を作るはずだ。崋山院紫苑が噂通りの昼行燈なのか、楽しみにしてる」

 にやりと笑って、ツバメは手の中の私の端末で無人タクシーを呼んだ。数分で車がやってくる。
 途中で寝袋を一つ手に入れて、私たちはマンションへと向かったのだった。


 ☆


 翌朝食堂で顔を腫らした桐人さんに会った。湿布を貼っていてかなり痛々しい。
 本人も父さんも、全くそのことに触れないで淡々と食事をしている。この家ではそういうことはよくあるので、不思議な光景という訳ではないのだけれど、さすがに気になった。
 ツバメは殴らなかったよね?
 先に食べ終わった父さんが部屋に戻っていったので、次に立ち上がった桐人さんにそっと声をかけた。

「あの……どうしたんですか。それ」

 少し驚いてこちらを見た後、気まずそうに視線を逸らす。

「父に殴られました。しばらく紫陽ちゃん……紫陽さんにも、接近禁止ですし、仕事もリモートのみで謹慎になりました。許されると思っていないので、謝罪はしない予定でしたが……思ったより落ち込んでないようで、安心しました。意外と慣れてたりするのですか……いえ。答えなくていいのですが」

 ぱちぱちと数度瞬いてしまう。
 言われてみれば、それほど落ち込んではいない。ツバメがすぐに助けてくれたからだろうか。お婆ちゃんに「幻想を持つな」と教えられたからだろうか。
 今は、落ち込んでる暇などないと言った方が正しいのかもしれないけど。

「お婆様には「内心はどうあれ、弱みをわざわざ見せてやることはない」と教わりましたけど。仰る通り、許す気はないので、精々反省してください。でも、近々ここを出ていくので、そこまで気を使わなくていいですよ。私たち、元々そんなに接点ないですもんね」

 今度は桐人さんが数度瞬いた。
 それから静かに息を吐き出すと、苦笑を浮かべる。

「君も、さすがにお婆様の孫だね。崋山院は女性の方が強いからなぁ。もしかしたら、紫陽ちゃんが継ぐことになったりするのかもね」

 私は驚いて、すぐに否定する。

「いいえ! 私は継ぎません。そんな気があるのなら、桐人さんのお話を受けてます!」
「そういうところは、紫苑叔父さんの娘だなぁ……知ってる? 昔、お爺様に一番似ているのは紫苑叔父さんだって言われてたんだって。顔なのか性格なのか才能なのかは、わからないけどね」
「……それが、なんなんですか?」
「別に。思い出しただけ。(かい)冨士(ふじ)君に嫌がらせされたら言って。ある程度は止めてあげる」
「……じゃあ、遠慮なく」

 軽く頷いて、片手を上げると、桐人さんは出て行った。
 きっと、失敗した桐人さんの方がダメージが大きいのだ。殴られたのも私を襲ったからじゃなくて、第三者に知られる形で露見したからなんだろう。そんな世界には、やっぱり私は馴染めない。
 同情もしないし、許しもしないけど、それでもその道からは逃げられないのだろうから。伯母様の息子というだけで大変なのは理解できる、と思う。
 はたと出掛けることを思い出して、私は慌てて残りをかき込んだ。

 帰りが遅くなったことを心配していた父さんは、ツバメの話をすると、二つ返事で頷いた。
 今朝もスーツ姿なのは、会った後で仕事に行くからなのかもしれない。私は急いで支度をすると、アンドゥもキャリーバッグに入れて家の前で待っている車に乗り込んだ。
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