第11話(第2章第5節)
文字数 8,430文字
行ってみると、小松川、集成、三池を始め、主だった羽織を着た役人たちが揃っている。
(おとがめはなかったんじゃないのか。)
朱夏は正座をしながら隣の透を見た。透も事態が飲み込めないようで、きょろきょろと周りを見ている。
しかし懲罰とくれば勇んで顔を見せそうな富男の姿は、作業場の監督をしているのか、ここにはなかった。
「信用できるのか?」
「そもそも働きぶりはどうなのじゃ。」
「問題をおこしてばかりというが。」
居並ぶ役人たちがひそひそと声を交わしている。
「まな板の上の鯉だな。」
透がささやいた。
小松川は口ひげをいじりながら二人をじっと見ている。
「問題を起こすというのは、ある種、人夫の枠に収まらないということでもあります。」
役人たちの声に呼応するかのように、三池が口を開いた。
(かばってくれているのか?)
朱夏は黙って成り行きを見守った。
「春一はこう見えて、読み書きが出来るんですよ。それにいざというときの機転が利く。透は炎天下の採鉱場での仕事を耐えた根性もあるし、手先は器用だ。」
三池の口上は続いている。
(何か様子がおかしいな。罰を食らうんじゃないのか。)
戸惑う朱夏に向かって、「よかろう。」と小松川が唸った。そして、
「おまえたち、これから先も逃げ出したりせずに鉄山で働くと誓えるか。」と、試すように二人を見た。
「もちろん。約束の年季は、しっかりと果たします。」
透が先んじた。朱夏も「わたしも同じです。」と後を追った。
小松川は頷くと、「では、良いようにせよ。」といって立ち上がると、室を出て行った。
役人たちも無表情に二人を見て、まだ値踏みをしているようだったが、一人また一人と室を後にした。集成だけは、にやにやと目を細めている。
(何が、どうなったんだ。)
朱夏の混乱は解けなかった。透も隣で首を傾げていた。
「春つぁん、それに透、そもそもおれたちが作ったズク鉄はどこに行くんだと思っている。」
役人たちが出て行った後、室に残された朱夏と透に、三池が笑いながら声を掛けた。
「釜石に運ばれて、そこから船に乗って各地にもたらされるんじゃないの。鍬や鉈なんかの道具にも使えるし、鍋や鉄瓶のもとにもなるだろう。」
朱夏は答えた。
「確かにそういう使い方も多いですね。」
集成は座布団の上で足を崩して、まだにやにやと二人を見ている。
「そう、だがおまえがいま言ったのは、主に百姓だけが使う道具のことだ。百姓だけでなく、侍も商人も、みなが等しく使うものといえば何か。」
「それは・・・、銭か。」
盗賊宿で三池が富男に鉄銭の束を支払っている光景を思い出した。
「ご名答。では銭は誰が作っているのかを考えたことがあるかな。」
「ご公儀だと思っていたが。」
透が答えた。
「そう、基本的にはそうなんだよ。」
三池は語り始めた。
「だが最近はその基本がどんどんと崩れている。」
江戸幕府は通貨として銅銭を鋳造していたが、商人や農民にまで通貨が浸透し始めると、鋳造量が需要に全く追いつかなくなり、八代将軍の治世の頃にはすでに補助的に鉄銭を発行するようになっていた。天明の大飢饉のあと、前例がないほどの重税が百姓たちに課され、一気に農村へと貨幣経済が浸透した。
「作っても作っても銭が足りない。春つぁん、おまえならどうする。」
「自分だけじゃなく、他の者と協力して作ればいい。」
「その通り。鉄は奥州地方でよく採れる。奥羽の藩主様たちの中なら、誰に頼む。」
「そりゃ・・・仙台様かな。」
朱夏の答えに三池はほほえんだ。
仙台領の石巻に銭座が作られ、そこで銅銭や鉄銭の補助的な鋳造が始まった。たたら製鉄などで作られた南部領の鉄も、多くが石巻銭座に供給されるようになった。
だが石巻の鉄銭は、「ズク銭」と呼ばれ、錆びやすく粗雑な品質で敬遠されるようになった。それでも需要がある限り、この質の悪い貨幣を使わざるを得ない。
「そうするうちに、このくらいの銭なら、てめぇでも作れるんじゃないか、という話になってきたんだな。特に北のほうの、軽米あたりの百姓たちなんかは、昔から鉄を色々な形に鍛えてきた、熟練の鋳物師たちが多かったからな。お手の物さ。」
南部藩領の百姓たちは、自分たちで鉄銭を鋳造し、それを使うようになった。
無論、ご法度である。
だがそれでも飢えた百姓たちは銭を得るために、自分たちで銭を作ることをやめなかった。取り締まりの役人たちの目を盗みながら、村はずれに隠すように建てた小屋の中で鉄を鍛え続けた。
こうした私鋳銭が、藩内だけでなく奥州全土にまで広がり始め、南部藩はますます取り締まりを強化するようになった。私鋳銭を作った者、使った者のどちらも、牢屋に閉じ込め、ひどい場合には斬首することもあった。
「考えてみれば分かるが、質の良い銭と、くず鉄の銭を二つ持っていて、どちらも同じ値段で取引が出来るなら、誰だってくず鉄の方を手放して、質の良い方は手元に残すだろう。そうやって、藩の中にはくず鉄の銭が大量に行き交うようになっちまった。」
「西洋では『悪貨が良貨を駆逐する』と言うそうですよ。南部で起きたことがそれと同じかどうかは、私は分かりませんがね。ごく近しいものとは質の悪い銭、遠くの者とは質の良い銭、と役割分担ができていたようですから。」
蘭学を学んだ集成が、めずらしく学者めいた顔をして口を挟んだ。
朱夏は胸元からオシラサマを取り出した。
「この絹織物だけど・・・」
「なんだそら。」と三池は一瞬怪訝な目をしたが、「おれがやった錦じゃないか。」と思い出したようだった。
「あのときあんた、鉄銭で支払いをしていたよね。」
「そうそう。あれが私鋳銭よ。あれでもわりと質の良い銭でな、富男の仕入れ元の上州当たりのズク銭と交換すれば、二倍くらいの目方にはなったんじゃないかな。その銭は上州の領土内ならそのまま二倍の価値で使えるんだから、南部の鉄銭を持っていれば大もうけができるわけだ。」
「やっぱり、そうだったんだ。」
「おれはわざわざそんな危ないものを持って白河の関を越えようと思ったことはないが、あいつはあれでへんな度胸があるんだよな。」
三池は口をすぼめて頷いている。
「それで、この橋野の鉄山のズク鉄が、どう関係してくるんだよ。」
話が逸れていることに焦れたように透が言った。
「まあ焦るなよ。こっからが本題だ。」
三池は羽織の前を合わせ直すと、
「十年前に小松川殿が洋式高炉を建てて製鉄に成功したときから、作った鉄をどう使うかということは大問題だったんだよ。」
「そういえば、嶺得和尚に聞いたことがあるよ。」
朱夏は思い出して言った。
「確か操業を始めてすぐ、卸し先として見込んでいた水戸様の製鉄所が、ご政情があって止まったとか言ってた気がする。」
三池と集成は、鼻を膨らませた。
「もともとズク鉄の需要ってのは不安定この上ないものでな、水戸様への納入が叶わなくなったあとは、海防の強化と言って大砲をこしらえたりしながら急場を凌いだりもしていたが、やっぱり常に大量に、そして何より決まった量を安定して卸せる先がほしかったんだよ。」
「それが、鉄銭というわけです。」
集成が引き取って言った。
「そのあと仙台に頭を下げて、三年だけ石巻の銭座に橋野のズク鉄を卸させてもらったわけだが、やはり鉄銭は安定していて良い。引き取ってくれる当てが出来て、高炉も機嫌良く燃やせるようになった。だがすぐに年限が来た。」
「そうか、だから。」
透が合点のいった顔をしている。
「ほう、さすが、話が早いな。」と三池は感心している。
「一石二鳥なんだよ、春一。」
透がこちらを見て言った。朱夏はまだよく分からなかったが、
「だから、南部藩が、藩として銭を作れば、何もかも解決する。ズク鉄の安定した卸し先もできるし、藩が大量に鉄銭を作れれば、質の悪い私鋳銭が、藩内に出回ることもなくなる。そういうことだな?」
透が早口に切り込んだ。
「そういうことだ。」
「そういうことです。」
三池と集成が同時に答えた。
「三年前にようやく南部領でも銭座を設置して良いというご公儀の許可を貰ってな。大迫に銭座を作って、そこで鋳銭を始めた。そのうちに、鉄山から大迫までズク鉄を運ぶのが面倒になってな。分座だと言い訳をしながら、砂子沢や佐比内なんかの鉄山に直接銭座を置くようにしちまった。」
「橋野に銭座が出来たのは、去年のことです。」集成が言い添える。
「炭焼きの人夫たちにとって、そんなことはどうでもいいだろうがな。」
三池は笑いながら、胸を拳でぽんぽんと叩いた。
「高炉と合わせて、銭座こそがこの鉄山の心の臓、というわけだ。」
「じゃあ、銭座のことを知っているのは鉄山のなかでもごく一部なんだね。」
朱夏は尋ねた。
(それをこんな懇切丁寧に教えてくれるってのは。)
「そうだ。銭を作っているとなれば、私鋳銭の連中と同じで、勝手に持ち出して逃げちまう奴らが出てくるかも知れないからな。」
「信頼の置ける者だけを、鋳銭に携わらせる、その選別を横山殿がしてくれている訳です。」
三池が三陸まで口入れに来たとき、「品の悪い者は求めていない」「働き盛りの百姓が欲しい」と言っていたのを思い出した。
朱夏は小松川や役人たちが、渋々なのかも知れないが自分を認め、居場所を与えてくれたことに素直に喜びを感じた。
「とみ・・・荒船さまも、銭座のことはご存じなの?」
富男は、品の良い者と言えるのだろうか。
「やけに富男にこだわるな。まあ人夫からしたら面倒な棒頭だろうが・・・。もちろん知っているさ。あいつには色々協力してもらわないといけないからな。」
「それで、白炭を作ったりしていたのか・・・」
透が、謎が解けたように言った。そう言われて、朱夏も炭焼き窯の前での出来事を思い出した。
集成が富男に命じて白炭を作らせていたが、透は何故いまになってそんな実験をしているのか怪訝な顔をしていた。鋳銭が、去年になってから始まったものならば、まだ色々と試している段階なのにも合点がいく。
「そうです、そうです。これまではとにかく転炉のためを考えて作っていましたし、石巻に卸すようになってからも大して気にしてはいませんでしたが、いざ自分たちの手元で作るとなると、色々と試して見たくなるでしょう。」
「長話になったな。それでは鋳銭小屋に新入りのお二人をご案内しようか。」
三池がおもむろに立ち上がったので、朱夏と透も慌てて後を追おうとした。
「あ、痛てて。」
すっかり足がしびれてしまった。
鋳銭小屋は、森の奥にあった。
これまであまり気に留めていなかったが、三つの高炉の湯口から伸びた細い溝を辿ると、小屋まで繋がっていた。
「これが私のいかした工夫でしてね。」と集成が溝を指さしながらまくし立てている。
「つまり湯口のズク鉄は、これまでは砂場に流して固めてから、水溜めに引き入れて冷やして、その後で打ち砕いて秤にかけていたわけですが、そうではなくて、湯口から出てきたズク鉄を、この溝へ流してそのまま鋳銭小屋まで引き入れるのですよ。そうすればすぐにでも型に入れて銭形に鍛えられるわけです。これでだいぶ効率が上がりましたね。」
「他の分座に比べても、ここの生産量は群を抜いている。」
三池も胸を張っている。
朱夏と透は一通り銭座の様子を見せてもらったあと、透が実際に鉄を鍛える役、朱夏は出来上がった鉄銭を秤にかけて質を管理する役にあたることになった。
掛屋で書き方をしたり、鋳銭小屋への遣いの役目を任されたりした。
慶二よりも、透と過ごす時間が長くなった。
「山に入って木を切るより、いまのしごとが気に入ったよ。」
透は満足したように言った。
「あんたら、上手に木を切りだしてたと思ったけどね。」
朱夏も打ち解けたように、透の仕事を認める言葉を口にした。
透は一瞬黙り込んだが、
「正直、いまでも山に入ると駒のことを思い出す。鉄石を運んでいたときもそうだった。クエのとき、目を見開いてあいつを助けてやれなかったことは、いまでも悔やんでいるよ。」と弱いところを見せた。
「ああ、残念だったよ。」
朱夏はその気持ちを受け止め、寄り添ってやろうと思った。そう思えるほどに、この男に対して親近感を覚えるようになってきていた。
「春一、おまえ、本当はいくつなんだ。」
「嘉永六年の生まれだけど。」
「え、おれと同じ年じゃないか。その割に小さいな。もっと年下なのに、誤魔化しているんだと思ってたよ。何月だよ。」
「葉月。」
「へえ、暑い盛りに生まれたのに、春一なんて名をつけられたんだな。」
朱夏は一瞬どきっとした。思わず自分の生まれ年を答えてしまったが、春一の生まれ年を答えるべきだった。だが透は、
「おれは水無月だから、おれの方が上だからな。」と気持ちを切り替えたように屈託なく笑った。朱夏には透が生まれ年にこだわる気持ちがよく分からなかったが、男として生きるには、こうした序列の中に組み込まれるのが重要なのかも知れないと理解した。
「仙台と南部の領地の境を決める話、聞いたことあるか?」
朱夏は「いや。」と首を振った。
「お互いの城から、等しい距離の場所を境界にしようという話し合いになって、同じ時間に牛に乗って城を出ることになった。」
「牛って乗れるんだ。」
朱夏は牛方の曳く牛以外は、葛を上に乗せて暴れている牛の姿しか知らなかった。
「話の腰を折るなよ。それで出発したんだが、南部の殿様は約束通り牛で出発したのに、仙台様は午(馬)で出発したので、牛よりも遥かに速く、遠くまで行くことが出来た。それで南部藩は、藩境の豊かな田園地帯を仙台にとられてしまった、というんだ。」
「へえ。面白いね。」
確かに面白い話だったが、三陸の村の百姓たちの中に、漢字の見間違いというこの話の要が分かる者がどれだけ居るのだろうと思った。遠野では馬という生き物は、よほど身近なものらしい。透は、「南部の殿様が、もし遠野の馬で出発すれば、仙台の馬よりも速く走れただろうな。」と誇らしげに言っている。
「春一、年季が明けたら、一度遠野に来い。一緒に馬を駆って山まで行こう。遠野には早池峰、石上に六角牛・・・きれいな山がたくさんある。」
「ああ、それもいいかもな。」
朱夏はすっかり慣れた男言葉で答えた。煙花の町、遠野。その周りにそびえる山は、三陸の断崖とはきっと違っているのだろうな、と想像した。
朱夏は嶺得に手紙を書いた。自分も慶二も元気である。最初は山に入って木を切り出し、炭を焼いていたが、いまは掛屋で事務仕事をしている。遠野から来た馬のことばかり言うやつと仲良くなった。それなりに楽しくやっている。このことを字の読めない母にも読み聞かせてやって欲しい、といったことを書いた。
程なくして嶺得から返事が来た。里心がつくと思っていままで手紙は送らなかったが、元気なようで安心した。自分も慶二の両親も元気である。朱夏の母も静かに暮らしている。やはりおまえは読み書きが出来るのが重宝されるのだろう。また折を見て便りを送ってくれ、といったことが書いてあり、塩昆布の束と一緒に送られてきた。
朱夏は慶二に読み聞かせてやろうと思い、その夜、手紙を携えて人足小屋に戻った。
慶二は葛と話をしていたが、嶺得から手紙が来たと言って手元を示すと、
「さとからの手紙なら、おれは遠慮した方がいいな。春一兄ぃ、お休み。」
そう言って葛は、さっさと向こうに行って寝転んでしまった。
「あんたらも仲良くなったんだね。」
「毎日一緒になって木を切ってるからね。兄ぃは、掛屋の方で別の仕事をしてるんだよね。」
「ああうん。ズク鉄の鍛冶というか、仕上げをしてる。」
知らぬ者に聞かれれば、そう答えるように三池に言われた。確かに、別に間違ったことは言っていない。
「どうだい、富男は相変わらずか。」
朱夏は訊いた。不人気の棒頭の悪口を言うのは、人夫たちの間でもはや定番の話題である。
「まあぼちぼちだね。ここんとこは落ち着いてるよ。」
「むかし、山の中で三池と富男が取引をしているのを見たことがある、って話、したことあったっけ。」
春一が関わる話題も、ごく自然にできるようにはなってきた。
「うーん、あったかな。まあでも、そういうこともあったんだろうね。富男って棒頭は、もともと武州や上州あたりで仕入れたものを奥州まで売りに来る行商をやってたらしいよ。」
「上州ね・・・」
三池もそういう話をしていたし、実際に朱夏が分けて貰った絹織物も、上州のものなのだろう。
「土地の顔役とうまく関係を保ちながら、かなりあくどいこともやっていたらしいけど、ご一新でそういう無頼の連中の勢力図もずいぶん変わっちまったらしくて、関東には居られなくなったらしいね。」
「へえ、それで奥州に来たのか。」
「賃銀をこつこつと蓄えて、役人たちの歓心を買って、藩の中でのし上がっていこうという魂胆みたいだけど、そのために人夫をこき使うから、たまったもんじゃないね。」
「おまえ、えらく詳しいな。」
「いや、そのくらいのこと、あいつの下で働いてたら嫌でも耳に入るよ。」
(そうなのか。同じ鉄山に居ても、銭座に関わるものとそうでないものでは、かなり世間が違っているようにも思える。)
「そういえば、十二様の神社、そろそろ完成するらしいね。」
「うん。もう勝手に拝みに行ってるやつらもいるって、三池に聞いたよ。」
三池は、長い目で人夫たちが機嫌良く働けるよう、鉄山の背後に広がる杉や檜の森の入り口を切り拓いて、神社を建立することを企てていた。禁足地の木を切りだしても祟りがないように十二様と呼ばれる山の神を祀り、また災害や事故で死んでしまった者を弔うために社を据えて、鳥居を建て、狛犬を置く。そんな計画が語られ、人夫たちも少しは平静を取り戻したように見えた。
「そういえば、いくさのときの話だけど・・・」
慶二が急に声を潜めた。
「ああ。おまえ、どんなふうに聞いているんだ?」
春一と一緒の隊にいた者が居ないか、それとなく探しているのである。
「いや、去年のいくさに出たことがあるか、って少し親しくなった人夫には、そのくらいの訊き方をしてるんだけど。」といって口の端を曲げると黙ってしまった。
「あんまり捗ってないみたいだね。おれも役人たちと話すことが増えたから、機会があれば聞いてみるよ。」
鉄山の仕事は忙しいし、そうやって労の割に得られる情報が少ない中で春一の行方を捜すのも、なかなか余裕がないし、最近では忘れかけてすらいた。
「あ、手紙読むよ。」
朱夏は思いだして紙を広げようとしたが、慶二は遮るように、
「おっ母はどうしてるって書いてある?」
「え。元気だって書いてあるけど。」
「だったらそれでいいや。お休み。」といってあくびをすると、さっさと横になってしまった。
朱夏も透と一緒に、もうすぐ完成する神社へ拝みに行ってみることにした。真新しい檜のいい香りがする社殿に向かって手を合わせた。
参道には人夫たちの墓代わりに、いくつかの塚が設けられている。透はふところから藁包みを取り出して塚の前に供えた。
「煮豆が入っているんだ。遠野では馬を送るときにこうする。ようやく駒のやつを送ってやれるよ。」
「へえ、色んな送り方があるもんだね。」と言いながら、朱夏はふところからオシラサマを取り出した。「おれも、これに祈っているよ。」
「それ・・・オシラサマだな。この間、横山殿の前で出していただろう。」
透が反応する。
「オシラサマの着物は、馬の皮でできてるんだよ」
「どういうこと。錦の布を着せてみたんだけど。」
「遠野の昔話さ。昔、馬と懇ろになった娘がいたんだが、娘の父親がそのことを怒って馬を殺して桑の木につり下げた。だが娘はいつまでもその馬の亡骸にすがって泣いているので、父親はさらに怒って馬の首を斬り落とした。すると娘は馬の首に乗ったまま天に昇って行ってしまったというんだ。」
「それで、オシラサマになったと。」
昔嶺得が教えてくれた、天とは苦しみのない、快楽の世界だという言葉を思い出した。
「そう、だから、オシラサマは馬とともに天で暮らしているんだよ。」
「おまえは、なんでも馬に結びつけるな。」
朱夏は笑った。鉄山で過ごしていく日々が、自分の日常になっていくのだと思った。