第21話(第4章第3節)

文字数 17,260文字

 その晩、透は家人の寝泊まりする大部屋を使ったが、朱夏は滴の部屋に床を敷いて貰った。
「住み込みの女はいま居ないんだよ。しばらく寝るときはわたしの部屋を使って貰うことにしよう。」と鷹揚に許されたのだが、畳の部屋に綿を詰めた布団の上で横になるのは気持ちが休まらなかった。
 滴はさっさと寝入ってしまったので聞けなかったが、夫婦というものは寝所をともにするものではないのだろうか。そうだとすれば自分がこの部屋を使うことは邪魔になってしまうのではないか。そんなことを考えているうちに、それでも一日歩き回った身体は眠りへと落ち込んでいった。
 翌日、与えられた作業着に袖を通すと、透と一緒に作業小屋へ連れて行かれた。
「椀物というのは二つの工程からなっている。」
 今日は滴も木綿の作業着を着て、新顔の二人を案内する風情である。
 作業小屋は二棟に分かれており、片方が木地挽き、もう片方が塗りを行う小屋になっている。轆轤(ろくろ)を回して木を挽くことで一面に木屑の飛び散る木地挽き小屋と、塵一つ埃一つの混ざることも防ぎたい塗りの小屋は、建物としても厳格に分かたれている。
 木地挽き小屋から先に見せて貰った。土間に据え付けられた轆轤の周りに、二人一組で座り込んで作業をしている。一方の男は丸太に腰掛けて轆轤を支持し、両手に持った手縄を交互に引くことで、轆轤の心棒を回転させている。もう一方の男は長さや太さの違う四種類ほどの鉋を使い、心棒の先端に打ち込まれた木地の素型を削っている。
 口をへの字に曲げながら(かんな)をあて、時折それを金槌で叩いているのは、昨日会った粂太郎である。
 滴は自分の夫の仕事ぶりを黙って見つめていた。集中しているときは話しかけない方が良いとでも思っているのだろうか。
「次へ行こうか。」
 早々に促される。
「木地の方は足りてるんだよ。あんたらのどちらかが塗りをやってくれると良いんだが。」と、人の配置にも色々と苦労があるようなことを言う。
 塗り小屋に入ると、板敷きの部屋に男女が机の上に並べられた、成形の終わった木地椀の前に座り込んで、その一つを片手にとり、もう片方の手に(へら)を持って、漆を塗りつけていた。
(おっ母を思い出すな。)
 三陸で朱夏の母が鉄瓶に漆を塗っていたのを思い出した。あの茶色い、飴色の漆は生漆だと、盛岡で滴が教えてくれた。いま塗り師たちが手元で扱っているのは、鮮やかな黒や朱に着色された粘り気のある漆である。
(漆は璧のように黒い・・・)
 また本草綱目の記述を思い出した。
「どうやって色をつけているんだ。」と透が訊ねる。
「黒は鉄粉や煤、朱は弁柄(べんがら)だね。」
 滴が言うには、そうした顔料も行商人に頼んで仕入れてきて貰うのだという。
「椀は産地によって色々な特徴があるんだよ。輪島みたいに地の粉が多く採れて下地塗りが捗るところもあれば、この近くだと津軽のように、砥石が多く採れるからといって、研ぎを追及した塗り方をしているところもある。」
「そうなると、浄法寺の特徴は何だろうか。」
「質の良い漆を、大量に採ることが出来る、それこそが浄法寺の強みだよ。」
 滴は胸を張った。塗り小屋に響くしゃっしゃっという篦と木地の擦れる音が、それに呼応するようにこだました。透の目が光を持ってその様子を見据えている。
「気に入ったかい。」
「他にどんな仕事がある。」
 滴に問われて透は問い返した。滴はそれに答えず、篦の一つを手に取ると、二人に掌を差し出すよう言った。
「ちょっと試しに、あんたらの身体に塗ってみるよ。」と垂らすほどの僅かな量の漆を朱夏と透の掌に乗せた。
(なんだかじんじんとする。)
 漆に触れたところから、水気が吸い出されていくような気がした。
「へえ、あんたら二人とも、そんなにかぶれは無いみたいだね。」
 滴が驚いたように言った。多くの塗り師が、まずはかぶれに身体を慣らすところから始めるそうだ。
「三陸でも母が、塗りをやっていましたから、慣れてしまったのかも知れません。」
 朱夏はそう説明した。透の場合はそうした事情もないため、生来の気質だとも考えられる。
 滴はこうした漆への耐性を確認してから、配置を考えたいようだった。
「一人は、山で掻き取りをしてほしいんだ。そしてもう一人が、塗りに入って貰いたい。どっちがどうする。」とにやりと二人の顔を見た。
 朱夏と透はお互いに顔を見合わせる。
「別に無理やりあんたたち二人を引き裂きたいんじゃないからさ、一緒の配置が良いんならそれでもいいけどね。」
「馬鹿、おれは別にそんな、じゃあ、塗りを手伝わせてもらうさ。」
 透は決めたように滴を見た。「山に、あまりすすんでは入りたくないな。」とそのあとで朱夏にだけ聞こえるような小さな声で囁いた。
(そういえば・・・)
 鉄山に居た頃、土砂崩れで同郷の友を亡くし、透は山での作業よりも小屋の中での鋳銭が気に入っていたようだった。鋳銭小屋に通うには入会地の山の中に入るわけだし、昨日のように急に登れと言われて沢づたいの遡上をすることもあり、別段それが絶対に嫌だというわけでもないのだろうが、生業として毎日木々と対面することまでは心が受け入れないのかも知れない。
 それに、朱夏にとっても山に入るのは願ったりだと感じた。三陸に居た頃、春一と一緒に漆の木を捜して山を駆け回ったことを思い出した。街道沿いで見た痩せた身体の漆の木。そこから母の使っていた漆がどのように産みだされてくるのか、自分の眼でつぶさに見てみたいと思った。
「わたしは、山がいいな。」
 朱夏もそう言ったので、話は決まった。滴は手を叩きながら、
「それじゃあんたら、手伝う、じゃなくて一人前になるつもりでやってくれよ。」
 と雇い主らしい口調で発破をかけた。
「わかったわかった。」
 言葉尻を捉えられた透は不服そうな声で、しかし期待した目で部屋の中を見回している。
 先ほどまで閉まっていた部屋の隅の板戸が、がらりと音を立てて開かれた。
「あら、姉さん。」
 額に玉の汗を浮かべた蒔が、向こうの部屋から姿を現した。頭に巻いた手ぬぐいでその汗を拭く。ほつれた前髪が垂れている姿すらも麗しい娘御前である。
「風呂に居たの。息はどうだい。」
 滴が返事をした。
「そろそろいいよ。次の競りはいつだっけ。」
「もうすぐやるよ。そうだね、次の市の日に、知らせを入れることにするよ。」
「分かった。」
「それより蒔、新しい塗り師だよ。」
 滴は透の肩を掴んでそう紹介した。
 蒔の大きな瞳に見つめられて、透はどぎまぎと、「よ、よろしく頼む」などと言っているのが朱夏には可笑しかった。
「とりあえず総黒椀(そうぐろわん)からでも教えてやってよ。」と滴に頼まれて、蒔は頷いている。
「こちらこそ、よろしくお願いします。塗り師の方々がすっかり減ってしまって、助かります。」
 唇を震わせて首を傾げた。そうした日常的な動きすらも一幅の絵巻のように感じさせる、いつまでも見つめていたい蒔の美しさであった。

 透を蒔に託した後、朱夏は滴に連れられて山に登った。昨日の沢とは違う方へ向かうようだ。斜面の裾野になったところに畑地が拓かれており、ここでも幾人かの家人が土いじりをしている。
「苗木を作ってるんだ。」
 よく見ると所々に緑の芽が発芽しており、その周りの雑草を家人たちは除いているようだ。朱夏と滴も家人に交じり、向かい合わせになってその作業を手伝った。ややもするとせっかく発芽した漆苗を雑草と間違えて抜いてしまいそうになる。しっかりと苗の形を覚えて作業をするように言いつけられた。
「ところで、透とは鉄山でもいい仲だったの。」
 滴が手を止めずに言った。
「え、いや、そういうのでは。」
 朱夏は咄嗟に返答が出来なかったが、
(そういえば、早池峰山でも山伏たちに駆け落ちだと間違えられた。)と、自分たちが他からどのように見えるのか気づかされた。
 鉄山を出てから朱夏は髪も伸び、体つきも女らしくなったが、まだ気持ちがそれに追いついていなかった。時折向けられるこうした目線に、自らが女と眼差される存在であると思い出させられるのである。
「鉄山でわたしは、男と同じように働いてましたから。」
「男と同じように働くといったって、女であることには変わりないだろう。」
「ほんとうに、男として働いていたのです。」
 朱夏は三陸の故郷で税を避けるために男と偽って鉄山に入った経緯などを説明した。滴は驚いたようだったが、
「鉄山ってのはよっぽど力仕事なんだね。確かに重い鉄石を毎日運ぶのは、女たちには難しそうだ。」
「途中からは、鋳銭の仕事に関わって、書き方などが多くなりましたが。」
「そうだろ。別に女だって出来る仕事があるわけだ。だったら別に敢えて偽ったり隠したりする必要はないんじゃないか。」
(確かにそうかも知れない・・・)
 中に居るときはそうしたことには気づかず、ただただ月の障りがあるときに人目を避けるなどしていたが、
「男であるか、女であるかではなく、どういうしごとをするかで、わたしは人を量りたいね。うちはこんな商売だから、綺麗な椀を挽いて、綺麗な塗りをしてくれれば、それだけで何も言うことはないんだ。」
 滴の言葉を聞いていると、なぜ頑なに男であることを志向したのか、自身の当時の考え方をもう思い出せなくなっていった。
「あとは、苗をきちんと見分けてくれればね。」
 滴が朱夏の手を取ったので、慌てて握りしめていた苗から手を離した。
「済みません。」
「木を育てるってのは、季節に応じてやることが決まっている。それはつまり、その季節のしごとを学ぶ機会は、一年に一回しかないってことだ。」と注意を受ける。
(集中しなければ・・・)と思うほどに、必要以上に土をいじったり苗をべたべたと触ったりしてしまう。地に足が着かないとはこういうことだろうか。
 一通りの除草が終わると、畦地(あぜち)に置いた(たる)から米のとぎ汁を柄杓(ひしゃく)(すく)って畑にかけ、霜の降りないよう(むしろ)をかけた。
「そろそろ霜の季節も終わるかな。」
 滴は肩をふるわせながら気温を確かめているようだった。
「発芽していない種も埋まっているようですね。」
 粗密のある苗床を見て朱夏は訊ねた。
「昨日おっ父が言ってたように漆の種は実からとるわけだけど、漆の実は蝋絞りをするだけあって、よく水を弾くんだ。だから種を植える前に、周りから蝋を除いてやらないといけない。その作業が十分でないと、水をやっても種に至らず、発芽しないことがあるんだよ。」
 その作業を脱蝋といい、熱湯につけて荒く蝋を除いた後、およそ一週間の間水につけ、その水を毎日取り替えるという。それだけの手間をかけても最終的に苗木となり、成木にまで至るのは一割ほどだと言うから、大変な作業である。
 昼の弁当を食べながら、「これからの季節、しばらくは、他の連中に交じって苗木の世話をするようにして。」と言いつけられて、朱夏は頷いた。滴は他の連中に朱夏を託して、自分は作業小屋に戻るつもりのようだ。
「あと、お願いがあるんですが。」と朱夏はそれを呼び止めた。
 浄法寺の漆の木を見てみたい、と頼んでみた。そのほっそりと伸びる姿は奥州街道でもさんざん見たが、やはりこの地の強みとまで言わしめる砂屋の漆の茂る林を見ておきたかった。滴は朱夏の顔を見ながら苦笑いをして、
「嬉しいことを言ってくれるけど、今日は時間が無いようだね。もう一月もすれば漆の花が咲くから、その頃にまた案内してやるよ。」といったんは言ったが、その後しばらく顎に手をやって、
「そうだ、あんたにも一緒に来て貰おうか。」と独り言のように呟いた。
「どこへ行くのですか。」
「昨日あんたも聞いてなかったっけ。蒔に頼まれたんだ、天台寺に行かないとね。」
(天台寺・・・)
 朱夏のオシラサマの漆に書かれた天の字の元になった古刹である。これまでの浄法寺にまつわる話でも何度となくその名前が出てきたように思う。
「安比川の反対側にあるんだ。そっちを今日は案内することにしよう。」と、滴は決めたようだった。
 朱夏はふところに手をやって、作業着の木綿越しにオシラサマを握りしめた。

 透は作業着の木綿で手の汗を拭った。
 樽に籠められた真っ黒な漆を柄杓で掬って机の作業台の上に乗せ、それを刷毛で拾って木地椀に塗りつける。周りの塗り師たちはしゃっしゃっと拍子良い音を響かせているが、透は毛先から木地椀の曲面へと粘りのある汁を均等に延ばすのが上手く出来ず、さっきから悪戦苦闘していた。
 ふと、隣の作業台に座る蒔の方に目をやった。
 よどみのない動きで黒漆と朱漆を木地椀の内と外に塗り分けるその腕は、周りの塗り師たちの誰よりも優れているように素人目にも見えた。
 手拭いを頭に巻いているので、形の良い額や眉がよく見える。それに何かに集中している人のことは、眺めていて飽きないものだ。
「終わりましたか。」
 蒔が瞳だけを向けて問うてきた。いや、少し休憩を、と言い訳をしてせわしく汗を拭う。
「そうですか、一つ終わったら教えてください。後で研ぐので、ざっとでいいですよ。」
 そう言われても、ざっと塗るのに蒔の何倍もの時間がかかっている。透が冷や汗をかきながら一つの椀を塗る間に、蒔はもう二、三個も仕上げてしまったようだ。
 ようやく塗り終わると、作業台の傍らに置いていた棚板を抜いて持ち、先ほど蒔が出てきた板戸の向こうへと案内された。作業台の棚よりも大きい、背丈ほどの横板にいくつもの軸板が通されており、ちょうど塗り終わった椀を固定できる間隔で、止め木が出っ張っている。蒔に指示されるまま、今し方塗ったばかりの椀をそこへ据え付けていった。
「決まった時間に、この軸を回します。」
 蒔の説明によるとこの設備を乾燥風呂と言って、塗った漆を乾燥させるために、壁面に濡らした布を掛けて湿度を管理した部屋を、塗り部屋と別に設けているそうだ。軸を定期的に回すことで、生乾きの漆が垂れてムラにならないようにするという。
「それでさっき姉御が、風呂がどうとか言っていたのか。こんな部屋の中で何が風呂なのかと思ったが・・・」
「最初はみな、そう言いますね。でも実際、お風呂みたいでしょう。」
 風通しをなくして蒸し暑くした空間は、確かに蒸し風呂のようである。鉄山で入った蒸し風呂は、裸身で汗を拭いながら入ったので労働の疲れを洗い流してくれたが、こうして作業着を着ながら中に入っていると、頭がくらくらとしてくるようだ。
「しかし、これだけ蒸していたら、なかなか乾きそうもないが。」
 汗を拭いながら透が疑問を口にした。
「漆が乾くというのは、水気を無くすという意味ではないのです。」
 正確には、空気と混じり合うことで表面に皮膜を作って固まる、という変化を指して「乾く」と称しているだけで、布地から水気を除く意味での「乾く」とは全く異なっている。
 そして漆器が乾いたかどうかは、息をはあっと吹きかけて白く曇るかどうかで確認するのである。そういえばさっき滴も、息がどうとか言っていた。
「出ましょうか。」
 いつまでも中に居るのは蒔もつらいようだった。透は指示されるままに、据え付けられていた、既に乾き終わった漆器を棚板に入れ替わりに乗せて風呂から出た。
 乾き終わった漆器を砥石で研いだら、またさらに上から漆を塗っていく。この繰り返しによって椀は堅牢になっていくのである。
 研ぐ作業は塗りよりは肩の力を抜いて取り組むことが出来た。
「奈良の都に、正倉院という宝物庫があるのをご存じですか。」
 蒔が手を動かしながら訊ねてくる。
 鉄山に行くまで、駄賃付けに行くくらいしか遠野を出ることがなかった透にとって、江戸や上方のことは別の世界の話のようだ。
 
 漆胡瓶(しっこへい)
 玉虫厨子(たまむしのずし)
 螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんごげんびわ)

 指を折りながらうっとりと工芸品の名を挙げる蒔自身も同じで、行ったことのない遠い都の地に思いを馳せているようだった。
「絵巻を見たり、色々な人から話を聞いたりしますが、いにしえの職人たちの技が、いまも形を留めて受け継がれているというのは大変なことですね。漆を塗ることで、木地の寿命は大きく伸びて、後の人々に伝えることもできるということです。そう考えるとこうして手間を掛けるのも悪くないと思いませんか。」
「なるほど、そうした話を聞くと、いつか見物に行ってみたいという気にもさせられるな。」
 透は素直に頷いた。
「姉御は津軽や盛岡と、あちこち歩き回っているようだが、蒔どのはどこかへ出かけることはないのか。」
「物心ついたときにはもう塗りをやっていました。わたしの腕を皆が認めてくれるのは嬉しいのですが、あまり出歩くと作業が止まってしまうと言われてしまって。」
「閉じ込められているのか。」
 冗談めかして言うと、蒔もえくぼをつくった。
「まさかそんな。福岡にはおっ父や姉さんに連れられて、何度か行きましたよ。」
 福岡は浄法寺から安比川を下ったところにある、街道沿いの宿場町で、盛岡からここへ来る途中に透たちも通ってきた。五の付く日に五日市が立っており、そこへ卸しや買い付けに行くことがあったという。
「でも姉さんは最近何だか顔色が悪いようで・・・。今回も津軽や盛岡を歩き回って。赦免くらいならおっ父に任せておけば良いと思って、心配していたんです。」
「そうなのか。」
 盛岡の街を溌剌と歩き回り、ごろつきたちとやり合い、浄法寺までの一日半の里程を、朱夏と透の二人を案内しながら歩き通していた様子にはそんな気配は微塵も感じなかったが、やはり家族には微妙な変化が分かるのだろうか。
「御免ください。」と小屋の外から声がした。「あ、はい」と言って、蒔が座を立った。透も何か手伝うことがあるかと思って、それについて行った。
 行商人の男が、戸口で荷を解いて中から包みを出している。
「新しい塗り師かね。」
 男は透を見て、蒔に向かって行った。その雰囲気で、砂屋に長く出入りしている者なのだろうと感じ取れた。
(朱夏と気が合うかも知れないな・・・)と思ったのは、どことなく鉄山にいた横山という男と雰囲気が似ているからだろうか。諸国を渡り歩く男たちは、風貌までもが似通ってくるのかも知れない。日に焼けた顔に刻み込まれた皺の深さが、風雨にさらされた時間の長さを物語っている。
 蒔が透のことを紹介してくれた。
「そうかね。蒔ちゃんも同じ齢ごろの塗り師が来て良かったんじゃないか。いや、逆か。ようやく家人たちと同じくらいの齢ごろになりなさったということかな。もう蒔どのと呼ばねばならんか。」と慣れた口をきいている。
 蒔はその言葉にほほえみだけを返すと、包みを解いて荷を改めた。
 中には光り輝く粉が盛られている。
(黄金じゃないか・・・!)
 鉄山で長く鉱物を扱ってきた透だが、黄金をみるのは初めてだった。一瞬何に使うのか見当も付かなかったが、よくよく考えてみると、黄金でできた茶器を用いた貴人の逸話などを思い出して、そういえばここは器をつくる場所だったな、と納得した。
 だが行商の荷からは、一見すると何か分からない、すべすべとした石のようなものが次から次へと取り出されてきて、透は目を剥いた。
 蒔は仰ぎ見るようにそれらを受け取ると、
「よく手に入れましたね。」
「江戸、いや東京まで行きましたとも。西国から来てた商人から譲って貰ってね。質は、ちょっと分からないけども。」
「それは試して見ます。今日はどうされるんですか?」と親しく言葉を交わしている。
「浄法寺に一泊して、明日は津軽の方へ行きますよ。」
「そうですか、でしたら代金は明日の朝に姉さんから受け取ってください。それと今度競りをやりますので、その折にまたお立ち寄りください。」
 男は礼を言うと去って行った。透は小屋の庇の下にまとめて置かれた石の中から、蒔に言われた手頃な大きさのものを中に運び込んだ。
「名高い黄金の茶器というものを、ここでも作っているのか。」
「透どのの言っているのは、全面に金箔を貼り詰めた茶器でしょう。そんなものは作りませんよ。」
 蒔は苦笑して、棚にあった椀を一つ、手元に取り上げた。
「こうして加飾した椀を、『箔椀(はくわん)』と呼んでいます。」
 黒地の上に筆の跡の力強さが残る朱漆の花びらを乗せ、その上に更に金箔で菱形の文様があしらわれている。下地づくりは丹念に生漆を塗り込んで耐水性を高め、変形を防ぐ。薄い部分には布を着せ、布目には地の粉を撒く。その上で乾燥風呂に入れ、砥石で研ぐという作業を延々と繰り返して出来た下地に、そうした加飾をしているという、もはや美術品にも近い器であった。
 箔椀は盛岡藩の御禁制品として取り扱われ、藩主やその周りの限られた人々のためだけに制作された。浄法寺で生産された箔椀は全てがまず盛岡城に収められ、他領への移出は厳重に統制されていた。こうした統制については、かつて駄賃付けを手伝い、南部藩の流通の末端を垣間見ていた透も、満更知らないというわけではなかった。
「しかし、箔椀の評判は藩の外でも高まっていたようでして。」
 蒔は首を傾げながら悪戯っぽくほほえんだ。
 御禁制になって厳しく取り締まられると言うことは、放っておいたらどんどんと他領へと流出するだけの市場価値があることの裏返しでもある。実際に上方の商人は八方に手を尽くして箔椀を入手しようと働きかけ、藩境の番所の目を盗んで外への持ち出しを試みることが多かった。盛岡藩はこれに対抗して、荷の中に一つ、二つでも椀があれば吟味をし、通告をしたものには褒美を遣わすなどの措置をとっていた。
「では、ここで作った箔椀にも、そうして他領へ運び出されたものがあるのか。」
 透は鉄山に居たときの密銭について思い出した。公儀によって統制されればされるほど、百姓たちはその目をかいくぐって、より多くの銭が得られるように行動するものだと推測した。
「正直、わかりません。城へ運ぶ役の方に渡した後、どうなるかまでは。」
 明治の世になって、こうした藩による統制は終結した。箔椀も自由に取引されるようになったが、同時にこうした椀を用いる階級も滅びた。いまや、農村の百姓を主な買い手として捉えなければならない局面に達していると言える。実際に輪島や会津から廉価な椀物が旧南部領内にも流入し、浄法寺椀の市場支配率はめっきりと低下していた。
 こうした中で、制作に手間がかかり一時に多くの数を揃えることができるわけではない箔椀ではなく、先ほど透が塗っていたような総黒椀や、皆朱椀(かいしゅわん)、内外二色塗り分け椀などの比較的少ない手順で完成品と出来る椀の数が多くなったという。
「自分の作った器が高く取引されるというのは嬉しいものですが、多くの人の手にとって貰うことも大切です。複雑なものです。」
 蒔の中にも割り切れない気持ちがあるようだが、そうばかりも言っていられないようだった。いま手に取った箔椀は、そうした中でも未だ作り続けているものということになる。
「しかし、その椀をみていると使っているのは金箔だろう。粉にしてどうするんだ。それに、このごろごろしたのは何に使うんだ。」
 透は手元に抱えた石のことを訊ねた。
「色々と作ってみようと思いまして。姉さんは、浄法寺椀をもっと普及させないといけないと考えていますから。」
 どうやらこれらの全てを加飾のために使うようである。金粉は、椀の表面に漆で描いた文様の上に撒き詰めて固着させて模様を浮かび上がらせるために使うという。
「昔は撒き詰めていったん全面に漆を塗ってから研ぎ出していたそうですが、いまは金粉の粒の大きさもずいぶん細かくなりましたから、撒いたところだけを生漆で塗って研ぎ出せば充分です。・・・お話だけでは分からないですよね。」
 そう言って蒔は透の近くの棚からおもむろに総黒椀を掴むと座り込んで筆を取り、透漆をつけた筆をさらさらと滑らせ始めた。透漆という生漆から「なやし」という攪拌(かくはん)作業と「くろめ」という水分を蒸発させる工程を経て精製した漆であり、この工程を経ることで接着力が生じる。
「お、おい。」と描き終わった絵の上に金粉を摘まんで撒く様子を見て、透は思わず心配して声を上げた。黄金をこのような手慰みに使ってよいのか、とはらはらした気持ちになっていた。
 蒔の指が止まったのをみてその手元を覗き込むと、椀の表面には、中央の円の周りに堅い輪郭をした六枚の花弁が付いた鉄線の花が描き出されていた。
「テッセンですね・・・」
 ふふっと蒔が笑ったので、一瞬狐につままれたような気がした。手早く文様を描き出す蒔の腕は確かに大したものだと思ったが、「鉄銭(テッセン)」に繋がる花を敢えて描き出したことでからかわれたような気にもなり、鼻から息を吐いた。
 自分たちが鉄山にいたことは、あの姉御からでも聞いたのだろう。しかし透にとって気に入った仕事であった鉄銭作りも、あのような出来事があったあとでは苦々しい記憶にも繋がるものであり、軽々しく触って欲しくはなかった。
 どかりと座り込んだ透に対し、蒔は不思議そうに、しかしほほえんだままで伏し目がちに顔を向けた。
「そのようなことに、黄金を使ってよいのか。」
 不機嫌さが伝わるか伝わらないかの絶妙な塩梅で言い返してやったが、
「大丈夫ですよ。わたしが描いたものなら、まず豊和(トヨカズ)どのが買ってくれますから。」と当然のように言い切られてしまい、透は怒る気にもならなかった。
 豊和というのが、先ほどの行商人の名らしい。素人目にみてもこの娘の塗りの腕は相当のものだと思っていたが、目の肥えた行商人にも認められるほど、他の塗り師と比較しても際だった才能を持っているのだろう。
 また、先ほどから透が抱えていたのは、夜光貝や鼈甲(べっこう)といった西国の海でしか獲れない生物に由来する素材だったようで、単なる無機質な石ころではなかったようである。これらは薄く砕いて椀の表面に貼り付ることで文様を描き出すということだ。金粉を使った技法もそうだが、漆は塗料というだけでなく、接着剤としても使うことが出来る。
 こうした手法の数々を、蒔は古代の正倉院宝物の数々に用いられた技法から学ぼうとしているものらしい。
「それで豊和どのに頼んで、色々と手に入れて貰ったのです。」
 彼もまた、奥州地方だけでは入手困難な素材も含めて、様々な文物を人脈や販路を駆使して調達する才覚を持った者のようだ。また、そうでもなければ、格式高い浄法寺の塗り師たちに食い込んで、重宝されるまでには至らないのだろう。
 原石は鈍い光を帯びており、漆椀に貼り付けられて輝きを放つのを待っている。
 しかしその細工を行って素材に命を吹き込むのは塗り師たちの腕次第である。
「まだ、もう少し・・・」
 蒔は額に手を当てて考え込んでいるようだった。細くしなやかに伸びた指先を通して、そこから産み出される品物へと美しさが伝わっていくのだろうと透には思えた。

「蒔は、色を作りたがっているんだよ。」と前を行く滴が説明するように言った。
「あの子は塗りに天稟(てんぴん)がある。身内の贔屓目(ひいきめ)だけじゃなく、本当にそう思う。それで実際に、商人たちにも腕を認められて、この界隈じゃちょっとは名が知れているんだ。」
「そんなもんですか。」
 塗り小屋に置いてきた透は、新入りの塗り師として今頃あの桃のような娘から指導を受けているのだろうが、姉である滴までが使い走りのように駆け回っていることには、朱夏は意外の念を持った。
 すでに山を下り、集落を後ろにして、右手に安比川を見ながら浄法寺街道を歩いている。午後の日差しが、かすみがかった空気にまだらな光を落としている。しばらくすると橋が架かっているところに、いくつかの茶屋が点在しているのが見えてきた。
「門前町という風情ですね。」
 しかし町と言うほどに店構えが連なっているわけではない。
「気を遣わなくて良いよ。そんなに賑わっているわけでもないからね。」
 滴が言うには、天台寺はもともと「御山」という浄法寺に棲み着いた人々の土着信仰の地とされていたところに、八世紀頃に天台宗の寺院が建立されて神仏が融合した信仰が形成された地であり、二戸地方の三十三箇所巡礼の最終札所となるばかりでなく、奥州三十三箇所の最終札所にも重ねて選ばれるほどに格式の高い寺であるとのことだった。そこでは「精進落とし」といって、巡礼中は摂ることの出来ない肉や魚をようやく食べられることになるため、歩き終えた修行者や百姓たちが自分を労るために、門前町の食事処はよく活用されて繁盛した。
 しかしいまやそうした食事処の多くは無人となり、僅かに残ったものが街道沿いを行く旅人たちに腹拵えをさせているのみである。
(それがこれほど衰えるというのは・・・)
 朱夏にはその理由に心当たりがないわけではない。
 寺と聞いたときから、月顕寺を包んだ炎が、脳裏をよぎっていた。
 安比川を渡る橋を越えると、今度は北向きの斜面を登り始めることとなり、日差しが入らない木々は鬱蒼としていた。心なしか滴は身体が重そうだったが、昨日も今日も歩きづめで疲れが溜まっているのかも知れない。それは朱夏も同じだったのでゆっくり登ることに異存はない。
 曲がりくねった道に小石がころころと上から転がってくるのを軽く蹴りながら進むと、正面に巨大な桂が見えた。近くに寄ってみると真上を見上げても先が見えず、亭々と天を摩する、天を突くとはこういうことかと思わせる。青々と猪目(いのめ)の形をした葉が茂る、枝振りの豊かな立派な巨木であった。
「これがご神木。」
 滴が朱夏のそうした反応を満足げに見て口の端をあげた。
「泉が湧いているんですか。」
 その巨木の根元には、山の途中の僅かな平地となっているこの一角を、丸ごと浸してしまうかのように見える水場が広がっていた。
「桂の根は、水を集めるからね。」と滴が続けた。
(それで、この場所に信仰が生まれたのか・・・)
 浄法寺の集落から遠く離れ、しかも川を挟んだ反対側にあるこのような地に、棲み着いた人々が信仰を生じせしめたことは不思議だった。朱夏の知る信仰の地はそれほど多くはないが、たとえば月顕寺は漁師たちの住処からよく見える高台に置かれていた。また、盛岡八幡宮も街の中心に森を作って鳥居を立てていた。つまり信仰の中心とは、集落と共存するようにその近くに置かれるのが当然だと考えていた。
 いまこの地に来てみて、そうした近づきやすさよりも神々しさを感じるものがここにあり、上代の人々が桂の巨木とその根元の泉という地形に対して畏怖を見いだしたことが朱夏にも理解できた。
「あっちを見てみなよ。」
 滴の指す真西の方を見ると、遠くに見える稜線(りょうせん)の中に一際背の突き出た山がある。
稲庭(いなにわ)の山から、八方を見下ろすことが出来る。機会があれば一度登ってみると良いよ。」
 稲庭岳(いなにわだけ)というその山は、浄法寺のどこからもよく見える秀峰のようだ。
 立ち止まっていつまでも桂の木と泉とを交互に眺めている朱夏に対して滴は、
「寺はこの上だよ。」と上へ続く石段を指して先を促した。
 月顕寺の海風に曝された石段も風化してぼろぼろになっていたものだったが、ここの石段も、おそらく大雨で崩れたとおぼしき場所の修復や、段組の端々から芽を吹いている雑草の手入れが行き届いていない。桂の木とは対照的に、長く管理されていないような印象を受けた。
(これはますます・・・)
 朱夏の苦い記憶の欠片がその色を増すばかりだったが、石段を登るにつれてその予感は確信に変わった。かつて修行僧や参詣者の入山に、清廉な心構えを沸き立たせたであろう仁王門は、両の柱をかろうじて残すばかりの赤茶けた瓦礫に成り果てている。滴の方に顔を向けるとそうした昔日の威容の欠片からは敢えて目を背けるようにして足早に石段を登ろうとしているので、大人しくついて行った。
(やはり・・・)
 ついに登り終えた先に、静謐な境内地が整備されていたであろう石畳と砂利敷の空間が広がっていたが、不自然に土のむき出しとなった場所は、かつてそこに末社や鐘楼などがあったのではないかと目星が付いた。
 奥州の山間にあって独自の公界(くがい)を形成し、浄法寺の椀文化を胚胎させ育んできたという古刹の雅趣は見る影もなく、その静謐さは、敬虔な宗教的態度の集積によるものに依らず、ただ生ける者の息遣いの不在に依って成っていた。

 


 



 


 



(砂浜の風景、森の中のこんな場所では当らないかもしれないけど・・・)
 むしろ朱夏が連想した海岸通りや砂原の詩よりも、それと対照的な深い山の黒い緑が、朱夏たち小さな人間を圧し潰しにかかっているような感覚を受け、伽藍(がらん)の広さが却って逃げ場をなくしているようにも思えた。
「あんまり驚いてないね。」
 滴が朱夏の顔色を窺うように首だけで横を向いた。
「ここも、廃仏毀釈ですか。」
「ああ、といっても村の連中じゃなくて、盛岡や津軽から来た連中がやったんだけどね。」
 由緒を持つ寺であることが仇となって新政府から目の敵にされた天台寺は、国内でも最もひどいと言えるほど苛烈な廃仏毀釈の嵐に呑み込まれた。数ある末社や宿坊は破却され、経典や仏像は焼き払われ、修行僧たちは離散した。
 だが滴はまだ僅かに残る寺の者に会いに来たのだろう。「御免くださいっ」と声を張る。
 しかしその声は谷間の木々の間に響き渡るだけである。
 誰かに会えるという公算があったのか首をひねりながら、「仕方ない、少しうろついてみるか。」と歩き出したのに、朱夏も黙って従った。ついでのようにそこらに転がっていた竹の籠を手に取り、伽藍の脇から周囲に広がる杉林へと入っていく。
「木炭にはならなさそうですね。」と間を持たすように呟いてみると滴は笑って、
「ここらは全部ご神木だから、切ったりしたら罰が当たるよ。」と窘めた。
 では何をするかというと、落ち葉を拾うのだという。欅や唐松のような落葉樹と違って、杉のような針葉樹はいまの季節に古い葉を落とす。
 落葉しても鴨の羽のような緑を保った杉の葉のひとつを試しに拾ってみると、ちくちくと指先を刺す。こうして拾った杉の葉を、漆の種を土に埋めるときに周りに被せておくと、鼠除けになるというわけである。
「三陸の、わたしの村のお寺も、廃仏毀釈に遭いました。」
 できるだけ表面積の大きな葉を選んで竹籠に入れながら、朱夏は月顕寺のことを語った。
「さっき滴どのがおっしゃったように、月顕寺も村の百姓たちから袋叩きになるようなことにはなりませんでした。和尚さまのお人柄だったと思います。」
 嶺得の髭面を思い出した。鉄山にいた頃は手紙の遣り取りをしたこともあったが、ここから手紙を出すことができるだろうか。たぶん透に相談すれば、自分たちの置かれた状況がはっきりするまでは軽率なことはするなと止められるだろう。
「あんたは色々と体験してきたみたいだね。」
 滴が優しくほほえんだ。この姉御は睨みの効いた顔で難局に立ち向かったり、無表情に淡々と物事を進めたりするのが大半だが、時折こうした柔和な表情をみせることがある。それは苦難に歯を食いしばって立ち向かう人間に向けた、いたわりの眼差しなのかも知れない。
「天台寺が村の連中から攻撃されなかったのは、ここが祈祷寺(きとうじ)だったからだとも言えるかな。」
 滴が説明したのは、天台寺が南部藩主の庇護を受けて、一族の繁栄を祈願する役割を与えられていた寺だったということで、言うなれば寺の財政基盤は藩からの支援によって成り立っていた。ここが多くの百姓たちを檀家として囲い込み、薄巻きに先祖供養のための役銭を拠出させていた回向寺(えこうじ)とは対照的な点である。
 廃仏毀釈で住持が百姓たちから恨み骨髄に成敗された寺は、こうした役銭を搾り上げて贅を尽くしていた回向寺であることが多かった。
 一方でそうして難を最小限に食い止めた祈祷寺だったが、いざこの時期を過ぎると、回向寺と比べて財政基盤が脆弱であることが露呈した。つまり回向寺の中にはそうした通過儀礼を終えた後は、檀家たちによって再興への機運が生まれてくるところもあったが、祈祷寺の檀家といえばほとんど藩主だけで成り立っていたようなもので、藩というものが無くなった以上、残された僅かな檀家だけでこの規模の古刹を維持管理することは現実的に困難になっていたのだ。
「先代の座主様は開明的な方で、わたしたちも可愛がって貰ったんだけど、先年に遷化(せんげ)してしまわれてね。でも先代は砂屋に注文を残されたんだよ。」
「椀物ですか。誰もいなくなったところで器だけがあっても空しいものですが。」
「そう腐すようなことを言うなよ。」と頬をつつかれた。
「椀物じゃなくて、あれは一種の曼荼羅(まんだら)だな。」
「曼荼羅。」
「いや、わたしにもよくわからんのだが、須弥山(しゅみせん)という仏のおわす世界を表した工芸品を、だから、絵ではなく立体で表現して欲しいということだったんだ。」
 仏のおわす世界とは、つまりは天、というものなのだろうか。苦しみのない世界を表現することで、人々の心を取り戻し、ひいては寺を再建させようとしたのか、と推察してみた。
潤朱(うるみ)といって透漆に弁柄をまぶす量を調節して色んな朱色を作れるんだけれど、それだとあまり鮮やかな朱が作れなくてね。」
「あ、それで、さっきの話に繋がるんですね。」
 蒔が色を作りたがっている、というのは須弥山儀(しゅみせんぎ)の着色に適した色を研究しているというほどの意味なのだろう。
「そうそう。ちゃんと説明しなくて悪かったね。いまと違う朱を作るなら、顔料から替えないといけないからね。注文したお寺と相談して進めないと、と思っているんだけど、先代が居なくなってからどうにも張り合いがなくて・・・」
 口元をしかめて黙り込んだ滴は、職人としての美の追究と、問屋としての利潤の追求の狭間に位置する微妙な表情をしていた。
 月顕寺はどのように再建を試みただろうか、と思った。酒を飲むほかに娯楽もないあの和尚は、檀家たちに頭を下げて勧進を乞う以外のやり方を知っていたのだろうか。朱夏が鉄山で働いて得た賃銀は、全て釜屋たちに払った前渡し金の返済に消えていったので、三陸に残っていても何が出来たかは分からない。しかし嶺得に追随して檀家たちを行脚する手伝いくらいは出来ただろうと思った。そうした空想は、なにか宗教的な態度とはかけ離れて、事業をなすことへの欲望に起因するのではないかと気づいて朱夏は、頭を振ってその思考の雲を振り払った。
「滴どの、でしたか。声が聞こえたので。」
 かさかさと落ち葉を踏みながら近づいてきた声に話しかけられて、しゃがみ込んでいた二人は一斉に顔を上げた。
「なんだ寂景(ジャッケイ)、いるんじゃないか。さっき声を掛けたのに。」
「待たせてしまいましたか。すみません。蔵の方を整理して居りまして。」
 綺麗に剃髪した頭に木漏れ日が反射している若い男だった。
 だが彼の場合、若々しさとは力強い逞しさではなく、線の細い頼りのなさを意味する言葉となってしまっている。境内にはいたが、声の聞こえないところに居たということを言い訳しているのだろう。
「蔵なんて言ったって、もう大して何も残っていないだろう。」
 滴は、さっき朱夏に「腐すようなことを言うな」と(たしな)めたのと同じ口で憎まれ口を叩いている。
「いえ、徐々に難を逃れていた仏像や何かを戻し始めているんですよ。」
「どこかに隠してあったのですか。」
 朱夏は訊いた。月顕寺の仏像は嶺得の案内で本堂から引きずり出されて燃やされた。確かに天台寺のように多くの修行僧が居たのなら、官憲の追及の隙を見て、重要な文物を運び出せたのかも知れない。
「砂屋の方ですか。」
 寂景は朱夏の方を見下ろして気ぜわしく何度も頷いている。
「だいたいが、近くに僅かにいる檀家たちの庭先に埋めさせて貰ったのですよ。先代の座主様の法要を行ったのを潮にして、そろそろ戻し始めた方が良いというお話になりましてね。」
(羨ましい話だ。)
 嶺得は仏像も経典も、時間を掛けて元に戻せば良いと言っていた。人々の心の拠り所を目に見える形に具現化することに意味があるのならば、自分たちの手でそれを守ったという体験はそうした物の価値を更に強固にすることが出来るのではないかと思った。
「せめてもの置き土産に、できることはやっていきますよ。」
(置き土産・・・?)
 寂景が呟いた言葉に朱夏は違和感を持った。
 滴もまた鋭く反応して寂景の方を睨み付ける。視線の先の男は、しまったという表情をしている。
「あんたも、出て行くのかい、ここを。」
「いや・・・」
 冷や汗をかいている寂景を見て、
「この寺には、もうお坊様は残っておられないのですか。」と朱夏は訊ねてみた。
「この小僧が最後だよ。」と滴が答える。
「いえ、ね。中尊寺(ちゅうそんじ)から、戻ってくるように言われたのですよ。私はもともと中尊寺に入山したものですから。先代に預けられて、ここのお手伝いをしていただけなのです。」
 そういった身分なのだから、ここまで残ってやっただけありがたく思え、という本音が透けて見える言い方だった。
「中尊寺なんて新しい寺に、行基さまの開かれた由緒ある天台寺があれこれ決められてたまるかよ。」
「滴どの、あなたほどの方がそんな、血の気の多いことをいわないでくだされ。中尊寺は奥州で随一の寺院です。その力は奥州の天台宗派の寺のひとつひとつの行く末に、大きく関わり合っているのですよ。」
 八葉山天台寺の成立は八世紀、一方の中尊寺は十二世紀初頭の開山と言うから、四百年ほどは若いということになる。しかし奥州藤原氏の保護を受けた中尊寺の権勢は、数百年を経た明治の世になってもいまだ百姓たちに通じている。
「天台寺には代わりに誰か来るってわけ。」
 滴は依然として寂景を睨み付けたまま質している。
「代わりは参りません。中尊寺の座主様が、天台寺の座主を兼任なさるという形になるようです。」
「兼務じゃ、ここには住めないだろう。」
「おっしゃるとおりですね。月に一度くらいは、様子を見に来るということになるかも知れませんが。」
 だが月に一回だったのが、だんだんと二ヶ月に一回、半年に一回と疎らになっていき、ついには一切寄りつかなくなるという事態の推移が目に浮かんでくるようだった。
「須弥山儀はどうなる。」
「・・・」
 寂景は黙り込んで鼻の頭を忙しく擦っている。
 寂景は中尊寺に引き上げていく。従って須弥山儀の注文も打ち遣っていく。それが定められた結論だと言うことだ。
「すまない、分かってくだされ。」
 寂景は逃げるように杉林の外へと駆けだしていった。滴は腰元で腕組みをして呆気にとられている。その後には元通りの、森閑とした静寂だけが残された。
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登場人物紹介

朱夏(シュカ)

主人公。1853(嘉永6)年8月生まれ

月顕寺(ガッケンジ)の和尚である嶺得に読み書きを習い、

嘉永の大一揆を率いて死んだ父親が遺した書物を読み耽って知識を蓄えた。

商家の旦那に囲われながら自分を育てた母親に対しては、同じ女として複雑な思いを抱く。

幼馴染みの春一を喪ったことで先行きの見えなくなった三陸の日々を精算し、鉄山へと旅立つ。

やがて紆余曲折を経てたどり着いた浄法寺の地で、漆の生育に関わりながら、

仏の世話をし、檀家たちに学問を授け、四季の移ろいを写し取ることに意義を見いだしていく。

塩昆布が好き。

春一(ハルイチ)

1852(嘉永5)年生まれ

すらりとしたかっこいい漁師の息子。

朱夏とは“いい仲”だったが、戊辰戦争で久保田攻めに加わり、鹿角で行方不明となる。

盛岡で再開した彼は「白檀(ビャクダン)」と名乗り、鹿角での過酷な戦闘で記憶を失っていた。

浄法寺に林業役として赴任し、天台寺に朱夏を訪ねるようになる。

透(トオル)

1853(嘉永6)年6月生まれ

遠野から鉄山へ来た色素の薄い青年。遠野では馬を育てていた。

朱夏と反目しながらも一目を置き合い、やがてあるきっかけで親しくなっていく。

朱夏とともに鉄山を抜け、浄法寺へと同行する。

浄法寺では、蒔から塗りを学びながら、鉄山で得た知識を生かした製作へと情熱を抱き、

砂屋の事業へと傾倒していくことになる。

慶二(ケイジ)

1854(嘉永7)年生まれ

心優しい春一の弟。幼い頃小さかった身体は、次第に大きくなる。

朱夏とともに橋野鉄鉱山へ向かう。

嶺得(レイトク)

朱夏が通う月顕寺の和尚。45~50歳くらい。

髭面で酒好き。朱夏に読み書きばかりでなく、仏の教えの要諦や、信仰の在り方を説く。

当時としては長老に近いががまだ壮健。朱夏の父親代わりの存在。

横山三池(サンチ)

労務管理担当役人。アラサー。

世間師を生業として藩内を歩くことで得た経験を生かし、口入屋まがいの手腕で、藩内から鉄山へと労働力を供給している。

飄々と軽薄な雰囲気ではあるが、男だと偽って鉄山に入った朱夏にとって、本当は女だと事情を知っている三池は頼れる兄貴分である。

田中集成(シュウセイ)

三池より少し歳上の銑鉄技術者。高炉技術の研究に情熱を注ぐが、政治には関心がない。

なまじの武家よりも話が合う朱夏のことを気に入り、三池とともに相談に乗る。

なお、名前の本来の読みは「カズナリ」である。

荒船富男(トミオ)

鉄山の棒頭(現場監督)で人夫たちを酷使する。容貌は狐に似て、神経質だが同時に荒っぽい。

もとは上州で世間師をしており、三池とも交流があったため、何かと張り合っている。


小松川喬任(コマツガワ)

橋野鉄山を差配する旧武家。40代前半。

長崎で蘭学を学び、南部藩内に近代的な洋式高炉を導入したその人。

見た目は厳しいが清濁を併せ吞み、朱夏と透を鉄山の中核となる、ある事業に登用する。

滴(シズク)

1850(嘉永3)年生まれ

木地師と名乗り、盛岡で朱夏と透を助けた頼もしい姉御。新聞を読むのが好き。

二人を浄法寺へと導き、商家「砂屋」の食客とする。

砂屋の経営を担い、漆の生育、競りの開催、天台寺との交渉、生産組合の結成など、

時代の流れに応じ、先を見据えた手を打っていこうと奮闘する。

蒔(マキ)

1854(嘉永7)年生まれ

座敷童のように福々しい見た目をした滴の妹。

圧倒的技術力で砂屋の塗り小屋を治める塗り師。

行商の男たちに強気に交渉するが、それは世間知らずの裏返しでもある。

透に塗りを教える中で、彼女自身も成長していく。

風陣(フウジン)

越前から浄法寺へやってきた越前衆の頭目。

大柄で髭面。ならず者のように見えるが、口調は柔らかく油断できない。

浄法寺に「殺し掻き」を導入し、越前の刃物を売って生産力を高める。

「旗屋」の食客として、砂屋に対抗する。

政(マサ)

天皇家の赦免状を持つ近江の木地師。風陣とともに旗屋の食客として活動する。

大柄な風陣とは対照的な小男で、ほとんど喋らないように見える。

やがて砂屋と旗屋の対立の中で、特殊な役回りを与えられるようになっていく。

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