第20話(第4章第2節)
文字数 3,966文字
(夜の山は恐いからね。)
山に巣くう魔の者から身を守るために、屋敷を堅固な姿に押し出しているのかも知れない。鉄山では夜通し火が焚かれていたし、侍も近くに居たのでいざとなれば腰の物を振るって守って貰えば良いという気分だったが、武家の居る衛所からも遠く離れた山奥で、百姓だけで身を寄せて生きていくのは不安なものだろう。
(三陸に居たときは、そこまで考えなかったが。)
安全に対する着意を持つに至るほど、自分も「わらし」ではなくなった、ということなのだろうと思った。
「さてとりあえず飯を食おうか。そのあとどこで寝て貰うかだが・・・」
ふぅと息を吐いて足を洗いながら滴が誰に向かうともなしに言っている。朱夏も滴に倣って草履を脱ごうとしたとき、
「姉さん。」と屏風の影から娘が顔を出した。
「遅かったね。おっ父ももう帰ってきたよ。」
「また越前の奴らだよ。こいつらも付き合わせちまった。」
「この人たちは・・・」
娘は朱夏と透の方に視線を向け直した。
肩口で切りそろえた髪に、あどけない唇、うるっとした大きな瞳がこちらを見つめている。女の朱夏ですらどきっとするほどの愛らしさである。
滴が二人のことを、盛岡で出会った、ここに働きに来た者だと紹介してくれた。
「妹の
「座敷童のような娘だな。」
透が気圧された表情のまま、何か言わなければと思ったのか、余計なことを言った。
だが蒔は不思議そうな表情のまま佇んでいる。
「蒔に惚れたかい。この娘ならいいよ。まだ独り身だからね。年の頃もちょうど良いんじゃないか。」
滴がからからと笑い声をあげた。
「何をっ。」
たじろぐ透の様子を見ても、蒔は微動だにしない。滴のこうした
(
薄紅色に染めた着物に身を包んだ蒔を見て朱夏の頭に浮かんだのは、座敷童ではなく父の書物で読んだ中華の詩の一節だった。
桃之夭夭
灼灼其華
之子于帰
宜其室家
桃の
たる
灼灼たる其の華
之の子
き
ぐ
其の室家に宜しからん
着物と同じ上品な色に染まった蒔の頬が、桃のように熟そうとしている娘の嫁入り姿を描いた水墨画の世界へと朱夏の空想を導いていった。福々しい見目をした娘が婚家に安寧と幸福をもたらす。そう考えると透が「座敷童」と称したのもまんざら外れてはいないことに気づき、朱夏は苦笑した。
「姉さん。」と再び蒔が唇を動かしたので、朱夏の空想は破られた。
「
「ああ、確認しないとね。明日行ってみるよ。」
滴は着物の袖で手を拭いて立ち上がった。
「だがとりあえずはこいつらに飯を食わせて、そのあとおっ父に今日のことを話しておかないと。」
「うん、ありがとう。」
それだけ言うと蒔は奥へと引っ込んでしまった。桃の残り香がまだあたりに漂っているようであった。
山魚を煮付けた夕餉は塩気が物足りない気がしたが美味だった。
「あんたらも一緒に来てくれ。」
滴に頼まれ、砂太の室へ一緒にはいることになった。一日気を張ったままで歩き通したせいで疲れ切っていて、すぐにでも横になりたい気分だったが、来た初日と言うこともあってもう一息、力を入れて室に向かった。
砂太もまた長旅の疲れを癒やすように煙管を吸って自室にゆるりと腰掛けていた。
「滴か、それに透に朱夏。長旅で疲れただろう。今日はゆっくり
砂太は笑みを作って新しい働き手を労ったが、さすがに疲れは隠せないようだった。
「福岡はどうだったの。」
滴は座りながら訊ねた。
「ん。ひととおりの店は廻ったさ。かみ手の連中も、うちを通さずに売りに来るのが増えたと口を揃えておったよ。」
「あの人らは、そっちの方が都合が良いからね。」
「まあそうだな。それもそのうち考えんと。それで、何用かな。」
居座る風をしている滴の様子を見て、夜の挨拶に来ただけではないと踏んだ砂太は、煙管をおくと立て膝をやめて胡座をかき、朱夏たちにも座るよう目で促した。
「越前のが、またうちの沢に来たよ。」
「またか。わしらの知らんうちにも相当入ってそうだな。また赦免状を見せられてそれで終わりか。」
「風陣のやつに、平然と盛岡はどうだったかなんて訊かれて、とっちめてやろうかと思ったよ。」
「ああ、明日、主だった家にはわしが直接言うて廻らにゃな。」
「旗屋にも行くだろう。わたしも連れてってよ。」
「だめだだめだ。おまえが行くと話が余計な方に及ぶだろうが。目に余るようなら考えものじゃが、用材を採っとるうちは、とりあえず好きにやらせておけ。とにかく漆の木だけは触らせるな。」
「分かってるよ。」
「明日はおまえ、この二人に仕事を教えてやらんか。」
滴はそうだった、という表情をして感情の矛を収めたようだった。小気味よく続く父娘の応酬に口を挟むいとまがなかったが、一拍おいたところで朱夏は疑問だったことを訊いてみた。
「盛岡の話とは、殺し掻きの赦免のことですよね。越前の者たちもそのことを気にしているのですか?」
「うむ、気にしているどころか・・・」
彼らこそが、殺し掻きの導入を積極的に推し進めてきた勢力だという。
藩政時代に養生掻きが奨励されてきたのは、掻き取ったあとの漆の木に年を越させ翌年再び使うことによって、毎年の植林の手間を省くねらいもあったが、実際には実をならせて、そこから
一方で浄法寺では八葉山天台寺の影響を受けた独自の椀物文化が藩政よりも遥か以前から成立しており、漆はその樹液を採取して椀物の塗料とするものだ、という意識が強かった。明治の世に変わり、藩による樹液の採取量の統制が終結したとき、押さえつけられてきた漆掻きへの衝動が一挙に木地師たちの間でも噴き出したのだった。
「そうしたときにちょうど、あいつらが来て・・・」
滴もその頃のことを思い出しているようだった。藩政の蓋が取り去られ、役銭の収め先も混乱した時期にあって、これまでとは違う仕事ができるのではないかという期待が、木地師たちの胸に去来したのかも知れない。
越前衆は故国の山を切り尽くしたとき、新たな宝の山を求めて北へと動き出した。彼らがここにもたらしたのは「刃物」である。切れ味の鋭い刃物を使って、これまでよりも太く長く漆の幹に傷をつけ、表皮を修復しようとして分泌される樹液の量をさらに多くすることが出来るのである。
「あやつらが持ち込んだ刃物は、飛ぶようにしてここらの百姓に売れたよ。殺し掻きができるようになれば、さらに欲しがる者は増えるじゃろう。まだ越前の国もとから刃物を取り寄せる経路は持ち続けているようじゃしな。」
ここに浄法寺の木地師たちと越前衆たちの利害が見事に一致したのだ。
「しかし、砂太どのは浮かない顔をされているようにお見受けしましたが・・・」
盛岡城から出てきたときの砂太の表情を、朱夏は覚えていた。
「おっ父は心配してるんだよ。」と滴が代弁した。
「殺し掻きで木を切ってしまえば、これまでよりもたくさんの苗木をつくらないとならなくなる。漆の苗木を作るのは本当に難しいんだよ。それに苗木を成木にするのも簡単なことじゃない。景気よく切り倒すだけじゃなくて、そのあとのことも考えないと。」
「盛岡に届けを出すとき、こっそりと赦免の条件の案なども書いていたんじゃよ。だが県庁の連中は何も分かっておらん。生産量が上がるのであれば是非やれと、勝手次第とだけ書いて返しよった。」
「条件というのは、どういうものを考えておられたのか。」と透が訊いた。
「例えば、
「しかしいまの話だと、実はもう要らない、ということではなかったのか。」
「実を採って、蝋が欲しいと言うより、種を採取せねばならん。」
(なるほど・・・)
苗木を作るために最低限必要な種子すらも、殺し掻きを始めた場合には採れなくなってしまうことになる。砂太や滴が危惧していることが朱夏にも腑に落ちた。そしてまたそうした警鐘に耳を傾けず、ひたすら生産へと突き進む百姓たち、越前衆、それに県庁の大きなうねりが、この山の全体を巻き込んでいくような気がした。それはズク鉄の生産のために人夫に鞭を打つ鉄山と似たような力の働きなのかも知れない。
(大変なときに来た・・・)
そう思ったが、大変なのは時代の変化に翻弄される百姓の遍く直面していることなのだろうか。三陸と鉄山のことしか分からない朱夏には判断がつかなかった。