第20話(第4章第2節)

文字数 3,966文字

 砂屋の門へ帰り着いたときには、すっかり日が暮れていた。
 棟押(むねおし)の柱に板葺きの屋根を渡し、羽目板を細かく組み合わせて黒く塗った砂屋の塀は、椀物の問屋に相応しい結構(けっこう)に見えた。(くぐ)り戸を抜けて仰ぎ見た母屋にも黒い用材が使われており、闇の中で見上げるとなかなかの威圧感である。
(夜の山は恐いからね。)
 山に巣くう魔の者から身を守るために、屋敷を堅固な姿に押し出しているのかも知れない。鉄山では夜通し火が焚かれていたし、侍も近くに居たのでいざとなれば腰の物を振るって守って貰えば良いという気分だったが、武家の居る衛所からも遠く離れた山奥で、百姓だけで身を寄せて生きていくのは不安なものだろう。
(三陸に居たときは、そこまで考えなかったが。)
 安全に対する着意を持つに至るほど、自分も「わらし」ではなくなった、ということなのだろうと思った。
「さてとりあえず飯を食おうか。そのあとどこで寝て貰うかだが・・・」
 ふぅと息を吐いて足を洗いながら滴が誰に向かうともなしに言っている。朱夏も滴に倣って草履を脱ごうとしたとき、
「姉さん。」と屏風の影から娘が顔を出した。
「遅かったね。おっ父ももう帰ってきたよ。」
「また越前の奴らだよ。こいつらも付き合わせちまった。」
「この人たちは・・・」
 娘は朱夏と透の方に視線を向け直した。
 肩口で切りそろえた髪に、あどけない唇、うるっとした大きな瞳がこちらを見つめている。女の朱夏ですらどきっとするほどの愛らしさである。
 滴が二人のことを、盛岡で出会った、ここに働きに来た者だと紹介してくれた。
「妹の(マキ)だよ。」
「座敷童のような娘だな。」
 透が気圧された表情のまま、何か言わなければと思ったのか、余計なことを言った。
 だが蒔は不思議そうな表情のまま佇んでいる。
「蒔に惚れたかい。この娘ならいいよ。まだ独り身だからね。年の頃もちょうど良いんじゃないか。」
 滴がからからと笑い声をあげた。
「何をっ。」
 たじろぐ透の様子を見ても、蒔は微動だにしない。滴のこうした(くすぐ)りには馴れているのかも知れなかった。
桃夭(とうよう)・・・)
 薄紅色に染めた着物に身を包んだ蒔を見て朱夏の頭に浮かんだのは、座敷童ではなく父の書物で読んだ中華の詩の一節だった。

 


 


 


 



 

夭夭(ようよう)


 


 

()

(とつ)


 



 着物と同じ上品な色に染まった蒔の頬が、桃のように熟そうとしている娘の嫁入り姿を描いた水墨画の世界へと朱夏の空想を導いていった。福々しい見目をした娘が婚家に安寧と幸福をもたらす。そう考えると透が「座敷童」と称したのもまんざら外れてはいないことに気づき、朱夏は苦笑した。
「姉さん。」と再び蒔が唇を動かしたので、朱夏の空想は破られた。
須弥山(しゅみせん)の、進めてもいいの? 天台寺さま、何も言ってこないけれど。」
「ああ、確認しないとね。明日行ってみるよ。」
 滴は着物の袖で手を拭いて立ち上がった。
「だがとりあえずはこいつらに飯を食わせて、そのあとおっ父に今日のことを話しておかないと。」
「うん、ありがとう。」
 それだけ言うと蒔は奥へと引っ込んでしまった。桃の残り香がまだあたりに漂っているようであった。
 山魚を煮付けた夕餉は塩気が物足りない気がしたが美味だった。
「あんたらも一緒に来てくれ。」
 滴に頼まれ、砂太の室へ一緒にはいることになった。一日気を張ったままで歩き通したせいで疲れ切っていて、すぐにでも横になりたい気分だったが、来た初日と言うこともあってもう一息、力を入れて室に向かった。
 砂太もまた長旅の疲れを癒やすように煙管を吸って自室にゆるりと腰掛けていた。
「滴か、それに透に朱夏。長旅で疲れただろう。今日はゆっくり(やす)め。」
 砂太は笑みを作って新しい働き手を労ったが、さすがに疲れは隠せないようだった。
「福岡はどうだったの。」
 滴は座りながら訊ねた。
「ん。ひととおりの店は廻ったさ。かみ手の連中も、うちを通さずに売りに来るのが増えたと口を揃えておったよ。」
「あの人らは、そっちの方が都合が良いからね。」
「まあそうだな。それもそのうち考えんと。それで、何用かな。」
 居座る風をしている滴の様子を見て、夜の挨拶に来ただけではないと踏んだ砂太は、煙管をおくと立て膝をやめて胡座をかき、朱夏たちにも座るよう目で促した。
「越前のが、またうちの沢に来たよ。」
「またか。わしらの知らんうちにも相当入ってそうだな。また赦免状を見せられてそれで終わりか。」
「風陣のやつに、平然と盛岡はどうだったかなんて訊かれて、とっちめてやろうかと思ったよ。」
「ああ、明日、主だった家にはわしが直接言うて廻らにゃな。」
「旗屋にも行くだろう。わたしも連れてってよ。」
「だめだだめだ。おまえが行くと話が余計な方に及ぶだろうが。目に余るようなら考えものじゃが、用材を採っとるうちは、とりあえず好きにやらせておけ。とにかく漆の木だけは触らせるな。」
「分かってるよ。」
「明日はおまえ、この二人に仕事を教えてやらんか。」
 滴はそうだった、という表情をして感情の矛を収めたようだった。小気味よく続く父娘の応酬に口を挟むいとまがなかったが、一拍おいたところで朱夏は疑問だったことを訊いてみた。
「盛岡の話とは、殺し掻きの赦免のことですよね。越前の者たちもそのことを気にしているのですか?」
「うむ、気にしているどころか・・・」
 彼らこそが、殺し掻きの導入を積極的に推し進めてきた勢力だという。
 藩政時代に養生掻きが奨励されてきたのは、掻き取ったあとの漆の木に年を越させ翌年再び使うことによって、毎年の植林の手間を省くねらいもあったが、実際には実をならせて、そこから(ろう)を絞ることを主たる目的としていた。盛岡で砂太たちが話をしてくれた米沢藩の大植林事業も、樹液の採取ではなく、蝋生産が財政再建の目玉だったのだが、時を同じくして関西地方で大量生産された櫨蝋(はぜろう)が安価に江戸や上方に供給されたために頓挫したという経緯がある。奥州の藩政は、蝋という商品作物の原料として、漆を把握していたとも言える。
 一方で浄法寺では八葉山天台寺の影響を受けた独自の椀物文化が藩政よりも遥か以前から成立しており、漆はその樹液を採取して椀物の塗料とするものだ、という意識が強かった。明治の世に変わり、藩による樹液の採取量の統制が終結したとき、押さえつけられてきた漆掻きへの衝動が一挙に木地師たちの間でも噴き出したのだった。
「そうしたときにちょうど、あいつらが来て・・・」
 滴もその頃のことを思い出しているようだった。藩政の蓋が取り去られ、役銭の収め先も混乱した時期にあって、これまでとは違う仕事ができるのではないかという期待が、木地師たちの胸に去来したのかも知れない。
 越前衆は故国の山を切り尽くしたとき、新たな宝の山を求めて北へと動き出した。彼らがここにもたらしたのは「刃物」である。切れ味の鋭い刃物を使って、これまでよりも太く長く漆の幹に傷をつけ、表皮を修復しようとして分泌される樹液の量をさらに多くすることが出来るのである。
「あやつらが持ち込んだ刃物は、飛ぶようにしてここらの百姓に売れたよ。殺し掻きができるようになれば、さらに欲しがる者は増えるじゃろう。まだ越前の国もとから刃物を取り寄せる経路は持ち続けているようじゃしな。」
 ここに浄法寺の木地師たちと越前衆たちの利害が見事に一致したのだ。
「しかし、砂太どのは浮かない顔をされているようにお見受けしましたが・・・」
 盛岡城から出てきたときの砂太の表情を、朱夏は覚えていた。
「おっ父は心配してるんだよ。」と滴が代弁した。
「殺し掻きで木を切ってしまえば、これまでよりもたくさんの苗木をつくらないとならなくなる。漆の苗木を作るのは本当に難しいんだよ。それに苗木を成木にするのも簡単なことじゃない。景気よく切り倒すだけじゃなくて、そのあとのことも考えないと。」
「盛岡に届けを出すとき、こっそりと赦免の条件の案なども書いていたんじゃよ。だが県庁の連中は何も分かっておらん。生産量が上がるのであれば是非やれと、勝手次第とだけ書いて返しよった。」
「条件というのは、どういうものを考えておられたのか。」と透が訊いた。
「例えば、(めす)木は切らないこととする、といったことじゃな。漆の実は雌木にしかならぬからな。」
「しかしいまの話だと、実はもう要らない、ということではなかったのか。」
「実を採って、蝋が欲しいと言うより、種を採取せねばならん。」
(なるほど・・・)
 苗木を作るために最低限必要な種子すらも、殺し掻きを始めた場合には採れなくなってしまうことになる。砂太や滴が危惧していることが朱夏にも腑に落ちた。そしてまたそうした警鐘に耳を傾けず、ひたすら生産へと突き進む百姓たち、越前衆、それに県庁の大きなうねりが、この山の全体を巻き込んでいくような気がした。それはズク鉄の生産のために人夫に鞭を打つ鉄山と似たような力の働きなのかも知れない。
(大変なときに来た・・・)
 そう思ったが、大変なのは時代の変化に翻弄される百姓の遍く直面していることなのだろうか。三陸と鉄山のことしか分からない朱夏には判断がつかなかった。
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登場人物紹介

朱夏(シュカ)

主人公。1853(嘉永6)年8月生まれ

月顕寺(ガッケンジ)の和尚である嶺得に読み書きを習い、

嘉永の大一揆を率いて死んだ父親が遺した書物を読み耽って知識を蓄えた。

商家の旦那に囲われながら自分を育てた母親に対しては、同じ女として複雑な思いを抱く。

幼馴染みの春一を喪ったことで先行きの見えなくなった三陸の日々を精算し、鉄山へと旅立つ。

やがて紆余曲折を経てたどり着いた浄法寺の地で、漆の生育に関わりながら、

仏の世話をし、檀家たちに学問を授け、四季の移ろいを写し取ることに意義を見いだしていく。

塩昆布が好き。

春一(ハルイチ)

1852(嘉永5)年生まれ

すらりとしたかっこいい漁師の息子。

朱夏とは“いい仲”だったが、戊辰戦争で久保田攻めに加わり、鹿角で行方不明となる。

盛岡で再開した彼は「白檀(ビャクダン)」と名乗り、鹿角での過酷な戦闘で記憶を失っていた。

浄法寺に林業役として赴任し、天台寺に朱夏を訪ねるようになる。

透(トオル)

1853(嘉永6)年6月生まれ

遠野から鉄山へ来た色素の薄い青年。遠野では馬を育てていた。

朱夏と反目しながらも一目を置き合い、やがてあるきっかけで親しくなっていく。

朱夏とともに鉄山を抜け、浄法寺へと同行する。

浄法寺では、蒔から塗りを学びながら、鉄山で得た知識を生かした製作へと情熱を抱き、

砂屋の事業へと傾倒していくことになる。

慶二(ケイジ)

1854(嘉永7)年生まれ

心優しい春一の弟。幼い頃小さかった身体は、次第に大きくなる。

朱夏とともに橋野鉄鉱山へ向かう。

嶺得(レイトク)

朱夏が通う月顕寺の和尚。45~50歳くらい。

髭面で酒好き。朱夏に読み書きばかりでなく、仏の教えの要諦や、信仰の在り方を説く。

当時としては長老に近いががまだ壮健。朱夏の父親代わりの存在。

横山三池(サンチ)

労務管理担当役人。アラサー。

世間師を生業として藩内を歩くことで得た経験を生かし、口入屋まがいの手腕で、藩内から鉄山へと労働力を供給している。

飄々と軽薄な雰囲気ではあるが、男だと偽って鉄山に入った朱夏にとって、本当は女だと事情を知っている三池は頼れる兄貴分である。

田中集成(シュウセイ)

三池より少し歳上の銑鉄技術者。高炉技術の研究に情熱を注ぐが、政治には関心がない。

なまじの武家よりも話が合う朱夏のことを気に入り、三池とともに相談に乗る。

なお、名前の本来の読みは「カズナリ」である。

荒船富男(トミオ)

鉄山の棒頭(現場監督)で人夫たちを酷使する。容貌は狐に似て、神経質だが同時に荒っぽい。

もとは上州で世間師をしており、三池とも交流があったため、何かと張り合っている。


小松川喬任(コマツガワ)

橋野鉄山を差配する旧武家。40代前半。

長崎で蘭学を学び、南部藩内に近代的な洋式高炉を導入したその人。

見た目は厳しいが清濁を併せ吞み、朱夏と透を鉄山の中核となる、ある事業に登用する。

滴(シズク)

1850(嘉永3)年生まれ

木地師と名乗り、盛岡で朱夏と透を助けた頼もしい姉御。新聞を読むのが好き。

二人を浄法寺へと導き、商家「砂屋」の食客とする。

砂屋の経営を担い、漆の生育、競りの開催、天台寺との交渉、生産組合の結成など、

時代の流れに応じ、先を見据えた手を打っていこうと奮闘する。

蒔(マキ)

1854(嘉永7)年生まれ

座敷童のように福々しい見た目をした滴の妹。

圧倒的技術力で砂屋の塗り小屋を治める塗り師。

行商の男たちに強気に交渉するが、それは世間知らずの裏返しでもある。

透に塗りを教える中で、彼女自身も成長していく。

風陣(フウジン)

越前から浄法寺へやってきた越前衆の頭目。

大柄で髭面。ならず者のように見えるが、口調は柔らかく油断できない。

浄法寺に「殺し掻き」を導入し、越前の刃物を売って生産力を高める。

「旗屋」の食客として、砂屋に対抗する。

政(マサ)

天皇家の赦免状を持つ近江の木地師。風陣とともに旗屋の食客として活動する。

大柄な風陣とは対照的な小男で、ほとんど喋らないように見える。

やがて砂屋と旗屋の対立の中で、特殊な役回りを与えられるようになっていく。

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